005
なにもない空間。虚無。とても寂しげだ。
「やあ」
白髪の青年を見るのは二度目だった。僕が思うにこの空間は夢なんかじゃない。もっと精神が――魂なんてものが存在するならばそれが――特殊な空間に近づいたときに現れる一種の現実の延長線上のようなものではないか、と考察する。だってそう考える他ないから。あまりにもリアルで、前来たときもはっきりと記憶に残っていたから。つまりこれは夢ではないと考えるしかないのだ。
「あー……えっと僕は……死んだのか?」
「覚えてないの?」
「あ、ああ」
国会議事堂に侵入した。衛視が何人かいて……それから……
「まあ死んでるからね。死ぬ前の記憶が残っていなくてもおかしくはない」
じゃあ僕はやっぱり死んだの。
「どうなったんだ?」
僕は成し遂げたのか?
「悪いけど教えられない」
「なんで!」
「そういう決まりなんだ。君がどんな行動をしたって未来の出来事は教えることはできない」
「……」
白髪の男は水の中を泳ぐようにひらひらと空中を舞った。
「それで、君はこれから新たな人生を送ることになる」
「ちょ、ちょっとまってくれよ。僕は知る権利があるだろう?」
勝手に話を進めないでくれ。
「なんだい、一体?」
「まず、爆弾を仕込んだのはお前か?」
「半分そうだ」
歯切れの悪い返事に僕は苛立ちを覚える。
「はっきりしろ」
「爆弾を埋めたのは君が検査を受けていた病院の医師だ。指示を出したのは僕」
「なんでそんなことを」
「君が決めたんじゃないか」
「爆弾を埋め込めなんて言ってないぞ!」
「爆弾ってそんなに変?」
「変だよ!」
こいつは一つ武器をあげると、そう言ったんだ。腹の中に爆弾を仕込むなんて一言も言わなかった。
「わるかったよ。僕だってこの仕事は慣れてないんだ。ちょっとしたミスさ」
まだ右手が銃とかの方がマシだった。
「それで、他には何が聞きたい?」
「お前だよ。お前はなんなんだ」
「前も言ったじゃないか僕のことはどうだっていいって」
「どうだってよくない。夢かと思ったら現実で爆弾を仕込まれてた。しかも、それが医者を操ってだと? 意味がわからない」
「はあ、君はなんだか面倒だねえ」
白髪の青年は飄々とした様子で答える。
「僕は……あー君たち的に言うと神とか仏とか……そういう存在じゃない?」
神?
「もちろん君たちの言う神とは違うところもあるけれど……まあ簡単に言えば人間の上位者かな? 当然君たちの想像も及ばないような力を持ってるし、それを当たり前のように使ってる。僕の仕事は前にも言ったとおり……そして今の担当は君だ」
異なる世界に……誰を送り込むか決めてるんだったか……?
「この際だからはっきり言おう。僕はねSSRを引いたんだ」
「ガチャ?」
「そう、君にもわかりやすく表現してみた。――いいかい、異なる世界を行き来できるのは限られた人間だけで、中でも君のような人間は極めて珍しい。異なる世界に転移する時、今持っているものを失い、逆に今、あるいは元の世界で一生手に入らないものを手に入れる。そういうルールというか、しきたりみたいなものがある。そうして君だ。君は何も持たない。何も持っていないということは失うことがないということだ。僕からすれば君は最強のカードなんだよ」
一生かけても手に入らないもの……あまりにも多すぎる。
「例えば君はブサイクだろう? だったら次の生では君はきっとハンサムに生まれ変わる」
彼は遠慮もなしに続ける。
「例えば君は貧乏だろう? だったら次の生では君は――」
「――わかったもういい!」
このままだと無限に続きそうだった。僕は彼の言葉を打ち切り、言う。
「つまり僕は異世界転生するってわけだよな?」
「そう」
僕がクールならきっとそれを受け入れることはできなかっただろう。でもこの謎の虚無空間では僕の思考や感情と言ったものは一定に保たれ、そしてなぜか順応してしまう。彼の発言を聞いても驚いたり悲しんだり、苛立ったりそういうことは殆どないのだ。
「だが君はその障害を失うことになる」
「僕からすれば万々歳だが?」
「……本当にそうかな?」
「なんでだよ」
「君は今までの行動を後悔することになる」
「どうして?」
「君は罪もない人間を殺したじゃないか?」
「罪悪感ってやつ?」
「そう。君はその特殊な障害の所為で罪悪感に苛まれることはない。でも、次の生でも記憶は引き継がれる。だから君は人を殺したことを後悔することになる。そして――」
彼は言う。
「君の運命もそういう風になってしまう」
「随分……ふわっとしてるな」
「苦難の道……いや……君たち流で言うとなんだろう……」
彼は少し頭を悩ませ――
「そう……! 修羅の道だ」
修羅、六道の阿修羅。争いの世界。僕は次の世界でそういう人生を送ることになるのだと、彼は言った。
「……チート能力でもないとすぐに死んじゃうんじゃないか?」
「死なないよ。君は死にたくても死ねない」
「……」
随分と恐ろしげな事を言うな、そう思った。
「お前が仮に仏様だとして、僕が輪廻転生の結果修羅道に進むとして、それでなんだ? お前になにか関係があるのか? そんなに深刻そうな顔をして」
「君と僕は運命共同体なんだ」
よくわからない。だが彼の口ぶりからするに次の世界でも僕は彼と会うことになる。そういうことらしかった。
「強すぎるカードには同様に相応のデメリットもあるということさ」
彼は元の調子で言う。
「ま、君は次の世界でも僕と仲良くしてくれると期待してるけどね。同じぼっち同士」
「お前ぼっちだったのか……」
何故か妙に親近感が湧いた。
「次の世界に行く準備は?」
「まあ……なんとも……」
「シャキッとしてよ!」
「そんな事言われたって」
僕は一瞬でも何かいいセリフはないかと考えてみる。だが何も浮かばなかった。
「あーそうだな……なにか……気をつけることは?」
彼は空中であぐらをかき答える。
「そうだな……君は死ぬ前に持っていたものを引き継ぐ。例えば衣服とか……そういうもの」
死ぬ前に持っていたもの……それって……
「気づいた? 使い所を間違えると序盤から躓くからね。気をつけて」
彼はグッドラックと軽い感じで親指を立て僕を見送った。
「あ! 忘れてた。君の新しい名前――」
消える間際、彼は僕の名前を呼んだ。
「ヘルムート」
なんか横文字ってむず痒いな……。
そんな変なテンションで僕は異世界転生を果たしたのだった。