鉄道員(ぽっぽや)
「それで、土地の譲渡書類はどうなっていますか」
叔母が、少し落ち着いてから、オババが聞いた。
生前贈与として土地と家を受け取れば、莫大な税金がかかる事実を受け入れず、叔母、肩で息して。
ハアハアゼイゼイって、肩の上にマンガの吹き出しがありそうなくらい、上半身が上下している。
70歳超えて、ハーフマラソン完走したってな勢い。
しかし、いくら肩で息したって、怒りに青ざめたって、なにしたって、税金マンはやってくるんである。
来年、贈与税が支払えませんになったら、姉であるオババに、鬼の税務署が連絡してくっかも。
そしたら、息子である私の夫、まさかの多額の金を用意って、税金ドミノ倒しが勃発かっていう非常事態が、サイレン鳴らしてる。
で、夫の後ろには誰が控えてんの?
え?
私?
いいぞ、いいぞ、私。
500円くらいなら、カンパしてやってもいいぞ、税務署!
というわけで、叔母が離婚を渋ったため、とんでもない事態になっているわけで。
「それで、生前贈与の書類は?」と聞くオババに、よっこらしょって、叔母が立ち上がった。
ガシガシと音をさせながら、古いタンスの引き出しを開けて、大事そうに茶封筒を持ってきた。
「ちゃんと、印鑑おしてますからね!!」
叔母、鼻息が荒い。
茶封筒から書類を取り出した。
「これはコピーですか」と、オババ。
「何いってるの。どうしてコピーなのよ。本物よ」
ん?
「勝江」と、オババが厳粛な顔で聞いた。
「印鑑を押してどうしたのです」
「だから、ちゃんと押して、大事にタンスにしまっています」
オババ、口元を歪めた。肩がかすかに震えている。
例の片方の口元をぐっと引き上げて笑おうとして、ぶはって吹き出しました。
「あんたは、あんたは、あんたという妹は……」
それ以上、言葉にならない。
テーブルを叩きたそうだったので、薄めの雑誌を手渡した。
オババ、雑誌を丸めてバンバン机を叩いて笑いだした。
叔母、非常に険悪な表情になって、さらに眉間にシワを寄せている。
「でかした! 妹。いつもながら、あっぱれとしか言いようがない!」
「な、なにをよ」
「あのね、勝江。こういう書類は役所に届けなければ、意味がない」
「ど、ど、ど、ど、どういうことよ」
「勝江、あんたのその世間知らずがたまには役に立つ。この書類を持って役所で手続きしなければ、まだ、この家は叔父のもんってことじゃ」
「え!」
叔母、驚いたのか椅子を倒して、直立不動で立ち上がった。
「す、すぐ行くわ。どこへ行けばいいのよ」
「そういう手続きは簡単じゃないの。自分じゃ難しい。弁が立つやつ、あっと、弁護士か? なんとか司法とか、アメ! 検索じゃ」
「は」
「なんと」
そんな、さすがのGoogleも一瞬では解決できないって。スマホって、手が勝手に動いて、使い辛いんだから。
「アメ!」
「は!」
「まだか」
「まだでござる。殿」
「じゃあ。離婚届を先に」
「それは嫌!」
オババ、笑うのやめた。
「アメ 。待ちわびておる。グーグル先生が昼寝して、教えるの嫌とか、ダダをこねてるのか」
「いえ、私の指がダダをこねてて……。わかりました。司法書士です。そういう関係書類を扱うのは」
「そう、それじゃ、勝江。先生に相談しなきゃいかん」
先生でいいのか!
なんで調べた!
「じゃあ。その先生に」
オババ、その先生を無視して、真剣な顔で問い詰めた。因みに、司法書士先生だから。
「あの男を愛してるのか」
私、おそるおそる叔母のほうに視線を動かすと、叔母が顔を真っ赤にしている。
言葉も発せず、唇を噛んで、オババが持っていた雑誌を盗むと、ぐしゃっと丸めた。
どうしよう、どうしたらいい?
皆さま、カオスだ。
金の話が、なぜか愛の話になっているから。
嫁のほうが、すでに、愛! から、かなり距離をおいておって。
ごめん、すまん、オババと叔母よ。
ついていけない。ついて行きたくない世界でござる。
「勝江、離婚届は、あの男の愛情だって気づいたほうがいい」
「どういう意味よ」
「離婚して、あんたに土地と家を残そうとしているのだから」
「どういう意味……」
語尾が消えかかっている。
10年以上も別居し、勝手に米国で生活している叔父を、それでも叔母は思っているんである。
それはおそらく理屈とは別次元の、愛! なんだろう。
確かに叔父のような男性は、70歳半ばすぎても魅力的だ。
話は面白いし、周囲を惹き込む魅力に満ち溢れている。
会社社長として莫大な年収を稼ぐ昨日で、そして、今日は、破産してるかもしれない。
そうした危険に飛び込むことが好きな男なんだ。
叔父の対局にいるのはオジジだ。私の舅は地味な人だ。
面白みもないかもしれない。しかし、自らの器を知り、誠実に人生を紡いできた古武士のような人だ。
私は、『鉄道員 ぽっぽや』で高倉健さんが演じたような男性を尊敬する。
北海道のローカル線、幌舞線の終着駅の駅長として、人生の大半を鉄道に捧げ、そして引退した筋金入りのぽっぽや。
日本のインフラを支えるのは、こうした方たちで。
こうした人々が実際は経済も社会も支えているのだ。叔父のような男ではないと思う。
余談が長過ぎた。
叔母のダイニングテーブルに話を戻す。
「わからんか、勝江」と、オババが言った。
叔母、しばらく黙っていた。
それから、興奮の冷めた声で呟いた。
「姉さん、私……、離婚は嫌なの」
話が平行線のまま、いつしか日が暮れた。
離婚、愛、ときどき司法書士の先生がループして、私、ただ聞いているだけなので、なんだか子守唄みたいで、こっくりこっくり……。
りーこん、あいあいああーいって。
「こら!」
ふいに頭を小突かれた。
知らないうちにヨダレを垂らし寝てた。
「お、おはようござ、あれ? 朝ごはん? 準備……」
「アメ。今は夜だ。ここはどこ、私は誰って言ったら」
「ここはどこ、私は……」
「目覚めよ!」
(つづく)
映画『鉄道員』
1999年公開 高倉健主演『鉄道員』
鉄道で働く寡黙な鉄道マンの、心をうつ人生を描いて秀逸な作品です。そこには生の生活が溢れています。
浅田次郎さんの短編小説『鉄道員』が原作。小説もいいです。




