雨の訪問者 2
息を整えるため、私、お茶をいれる振りをしてキッチンに逃げた。
策は? 策はないのか?
その時だ。叔母の、影の薄い優しい叔母の顔が天使のように輝いて見えた。
そうか。この手があった! オババよ、戦略を間違えたな。いや、読んでくださる、そこのあなたも知らない奥の手を発見したんだ。
私、満面に笑みを浮かべ、適当にティーパックで紅茶を入れ、リビングに戻った。
相手の戦意喪失には、まず、こっちのスタートダッシュが大事。
ソロキャンプに勝てる、唯一の方法。
「ソ」とオババが言った瞬間、ロの言葉言わせる間もなく、私、叔母の顔を真正面から凝視し「優ちゃん(仮名:叔母の一人娘)、このあいだ、お見合いしたって聞きましたけど」と瞬殺のダッシュをかました。
一瞬、それまで泉のように静かだった叔母の顔に生気がみなぎった。
母が語る子ども自慢。この永遠の話題に勝てるものがあるか!
オババよ、ぜったい戦略を間違えた。今日は叔母の娘、アラフォーで結婚できないが、結婚できるかもしれない話があったことに気づいた私がいる。自分を褒めてやりたい、これ、オンリーで乗りきってやる。
覚悟しいや。気合いは十分だ。
だって、叔母には本当に目に入れてるんじゃないかってほど、溺愛する娘がいる。
まだ、結婚していない。それに関していうなら、40歳まで残すところ1年という年末カウントダウンの39歳。義理イトコ優ちゃん(仮名)は、とっても素直で可愛い子なんだ。いや、その年齢では可愛すぎるのが、逆に難点かも。
はじめて会ったときの優ちゃんは、まだ20代で人懐っこくて、それはいい子だった。
童話の世界からでてきたように可憐な妖精のようで、そんな彼女の前で、私、かなり焦った。このイトコと比較されては負け戦しかないって。
容姿、年齢、性格、三拍子ふくめて負けてるって。
はじめて会ったのは結婚直前、夫の実家に招待されたときだ。叔母親子もいて、叔母とオババは夕食の準備をしていた。
私は緊張して敵中にいた。
そのときだ、「ジュース、飲みたい」って。
ゆうちゃんが舌足らずな可愛い声で言ったんです。
「冷蔵庫から自分で取りなさい」
「はーーい」
優ちゃんは、かわいい返事をしてからジュースを取り出した。20代にしてはあどけない様子で、10代と言っても通る、そんな小柄で妖精のような雰囲気。
しばらくして、彼女、周囲を見渡し、暇を持て余していた私と視線が合った。
緊張気味だった私は、とびきりの笑顔を見せた。夫となる人の親族ですから、そりゃあもう、頑張るしかないって場面で、ここで破談にしたら後がないぞと、まあ、それなりに必死だったわけで。
軒下にさがった風鈴が夏風にゆれて、ちりーーんと鳴ったのを合図に、
「アメさぁーーん」
幼い声で彼女が呼びかけてきた。もう少女満開というか可憐さ100パーセントで、だから、私、かなりテンション下がっていた。
可愛い、可愛すぎる。
「取れないの」って、それから、彼女が謎の問いかけを続けた。
イミフだ。
「え?」
「ほら」
優ちゃんは無邪気に薬指を見せた。
指輪がはまっていた。彼氏にもらった指輪? ずいぶんとゴツいけど。それ、指輪だよね。
「取れなくなっちゃたの」
指輪が取れないって、どういう意味だろう?
で、次の瞬間、私、気づいたんです。薬指にはまっているのが指輪じゃないってことに。
プルトップだ! 見間違いじゃない。
あの缶ジュースを開けたあとに残るプルトップ。普通は缶の中心で折れ曲がっているはずで、プルトップの居場所って、それ以外にないはずなのに。
それが白くふくよかな美しい指に深々とはまり込んでいる。
なぜプルトップが指に?
私だって子どものころ遊んだよ。プルトップ、指にはめて、ほら!って、ちょっと指輪みたく面白いから。でも、それ小学生だから。小学校卒業して指にプルトップはめることはしない、普通なら。
自分の目を疑った。
ふわふわした白いワンピースを着た可憐な子が、指にプルトップ。
「な、なんで」と思わず地声がでていた。
家族はなにも言わない。なんだか、みなで知らん顔しているような、白々しい沈黙が周囲を支配している。
え? 私なの? 私がプルトップのレスキュー隊員?
はじめての実家訪問だ。つまり、ここは将来の嫁として、いい所をみせる場面かもしれない。
それがたとえ、プルトップ救助隊だったとしても。
私が頑張るしかない状況だって、余裕をかましてプルトップを外してみせる場面だって。プルトップにかけちゃ、右にでる者なしってくらい、いいところを見せるしかない。
そう決意したね。
まあ、プルトップだから、入ったんだから、抜くのも簡単だと最初は軽く考えていた。
しかしだ、外せなかった。
軽く引いたくらいじゃ取れない。なんでここまで深く突きさした。あんたは何を考えとる。なんて感情をヒタ隠して、ひたすら、そのプルトップと格闘した。
だって、婚約者の実家に来た嫁候補なわけだから。この試練さえ乗り越えれば、最高の花嫁だと、家族の評価もうなぎのぼり、なんて邪悪な考えもチラっと脳裏をかすめていたわけで、
よっしゃ、頑張るしかない! ここが頑張りどころ。
どんな頑固なプルトップだって、私の思いを跳ね返す勇気はないだろう。若かった私、若さゆえの頑張り、あの時の私、本当にキスしたいくらい愛おしい。
そして、プルトップ!
左右に動かしてみたり、逆に押し込んだり、引いたり、ついに強引に引っ張ったが、しかし、全く薬指から外れない。もう、ここしかプルトップの居場所はないってなぐらい頑固、プルトップ、薬指を死守している。
「イッターーい」
かなり強引に引いたら、彼女、半泣き。
そのとき全員の視線が私には痛かった。泣きたいのはこっちだ。
結局、その日はなんとか、オババが食用油を薬指につけて外した。それが、この後、夫婦の語り草となった、優ちゃんとプルトップ事件である。
(つづく)