30.狼の隠れ里 -3
戦争に絶対の正義などない。それは生存競争であり、強い者が勝ち取り弱い者が奪われるのは摂理だ。
「それを変えるための文化、文明じゃないのか……?」
湧き出したその疑問が頭から消えない。
ヒトという種は特殊で特別だ。他の獣とは明らかに一線を画する『文明』を築いた生き物だ。自然に抗って生きることそのものが人間を人間たらしめているはず。
それなのに、弱い者が全てを奪われた末に自然に飲み込まれようとしている。これではなんのための社会か、国か、王か分からない。
「マスター、前方のあれは……」
「ああ、一旦停止する」
そんな思考を抱きながら不可視の豪腕を振りかざして進んでいた足が、第四階層で初めて止まった。足元には砂が敷かれ、その先には波を寄せる蒼い水面。そしてその彼方には。
「水平線か。相変わらずS級ダンジョンはなんでもアリだな……」
階層全てが水に覆われていた。天井は高く、壁は遠く、水ははるか彼方で天井と重なっている。コエさんは何も言わずに俺の手を離れると、波打ち際に手を入れて一口啜った。
「無毒な真水のようです。地上の湧水と変わらない水質かと」
「なるほど。心臓が止まるかと思った」
「なんと」
即座に【熾天使の恩恵】を起動し、万一の毒や呪いを打ち消す。コエさんは生存本能というものがどこか薄く、治せると分かっていれば毒も平気で飲むから時々こうして驚かされる。
ダンジョンの水など何が混ざっているか、何が棲んでいるか分からないというのに。
「海みたいな広さの湖、か。『魔の来たる深淵』は劇毒の見本市だったが、相変わらず予想外のことをしてくれる」
ダンジョンは時に“地下迷宮”と表現される。
そのランクは発生直後のD級から始まり、C、B、AそしてS級と分けられる。特にA級からは景色と呼べるものが現れだし、最上位のS級ともなれば内部で空を見たという報告もあるほどに多様性と非常識に溢れている。
ここ『蒼のさいはて』は水平線のダンジョンなのだろう。誰が命名したか知らないが、なるほど率直かつ的確な名だ。
「【空間跳躍】で飛び越えますか?」
「どうやらそうもいかないらしい」
水面が揺れた。
静謐だった蒼い湖面が盛り上がり、次々に顔を出したのは海蛇に似た魔物、シー・サーペント。空には無数の蜂の群れ。天井間際までを埋め尽くしており、この空間から隙間を見つけて跳躍してゆくのはあまり効率が良くない。
思案する。広大な水面を越えるならば、やはり。
「『船』で行く」
足元の水に向けて氷の魔術を放つ。凍りついた水には小舟の形をとらせ、その上に騎馬のように跨がれる座席と手綱を形成した。前面は研ぎ澄ました風防で覆い、前方からの脅威を防ぐ。
「足元に気をつけて」
波打ち際に浮かべた『船』にコエさんの手を引いて跨る。すでに敵は眼前だが、構わない。
「【神代の唄】、起動。過去の魔術を検索」
歴史の中で生み出された数多の魔術から、必要なものを選択。
「嵐風術『アイオロス』」
【金剛結界】を纏い、力を篭める。『船』の後ろに風が渦巻いた。
「――行け」
それは一直線に。
氷の矢が敵群をまっすぐに貫いた。風の魔術を推進力に、海蛇と蜂を切り裂きながら水面に一文字の航跡を描く。浮力のある水上だからこその速度で『船』は一息に水平線を超えた。
「陸の階層なら【剛徹甲】、水の階層ならこの【冰嚆矢】で戦わず貫いて進む。最速最短で最奥へ向かうぞ」
「はい、マスター」
ダンジョンに入って約十三分。
現在地、第四階層。
お陰様で三十話まで来ました。ありがとうございます。
有り体に言えば、水上バイクをイメージしてください。
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