恋に恋する王子様【過去】
「恋というものをしてみたいんだ」
黄金の髪が風になびいた。熱に浮かされたようなその顔を俯けて、シュタール王国唯一の王子であるアルブレヒト・シュタールはそう言った。
オリーヴィアとアルブレヒト、そしてジークヴァルトは成長し、15歳を迎える年となった。そしてアルブレヒトの誕生日の夜会のタイミングで、幼馴染たち三人は同時に社交界のデビューを終えた。
アルブレヒトの無邪気でいて、これ以上ないほどに残酷な言葉をオリーヴィアが聞いたのは、夢のようなその夜会の翌日のことだった。
白のドレスを纏ったオリーヴィアは初々しく、その場の注目を一身に集めていたけれど、オリーヴィアの瞳が映すのはアルブレヒトただ一人。二人は三曲共に踊り、そしてその後はジークヴァルトと共に一曲だけ踊った。
誰もかれもが彼ら幼馴染三人を褒め称えた。オリーヴィアは指先まで行き届いたマナーと上品で貞淑な振る舞いに、アルブレヒトは次代の王としての堂々とした姿に、そしてジークヴァルトはそんな二人を支える気遣いに、周囲の貴族たちは賛辞を贈るばかりだった。
社交界デビューはただの通過儀礼に過ぎないが、幼馴染三人が今まで学んできたことのお披露目の場でもあったのだ。周囲の反応を見るに、大成功と言って良いはずだ。今日は昨夜の互いの健闘を称え、少し長めのお茶の時間をとっていた。けれども成功による興奮は、アルブレヒトの放った一言で一気に冷えていく。
その後に続くアルブレヒトの必死な願いは風に乗って、幼馴染たちの耳に届く。それがどんなに鋭い刃になるか、本人だけが気づかぬままに。
「うわっ! 未来の嫁の前で愛妾作りの相談!?」
オリーヴィアは思わずといった様子で口を開いた。学友として異性であるオリーヴィアが側に置かれている理由は、アルブレヒトの婚約者候補とするためだ。緩やかなプラチナブロンドを、きゅっと無造作にまとめたその少女はじりじりとアルブレヒトから遠ざかった。
オリーヴィアは覚悟をしていた。アルブレヒトがいつか誰かに恋をしたら、”王様の一番好きな人”である愛妾に迎えるかもしれないという事実を。
アルブレヒトがオリーヴィアに恋をしていないということは、ずっと昔から知っていた事だから。恋という感情が芽生えなかったからこそ、そしてオリーヴィアの恋が知られていないからこそ、ずっと一緒にいられたのだと知っていた。
「さすがにどうかと思うぞ」
低い声が響く。王子の学友であるアイスブルーの三白眼が特徴的なジークヴァルトは、未来の主をちらりと見た。その視線は冷たすぎて、アルブレヒトが一瞬うろたえるほどだ。
「ち、ちがう! 愛妾では無く妻としてだ」
その言葉にますます分からないといった風に、オリーヴィアとジークヴァルトは顔を合わせる。
「だって、私とオリーヴィアは思い合ってはいないだろ? 大切な幼馴染ではある。誰よりも大事だ。けれど、これは恋じゃない! オリーヴィアが私を男として好きではないように、私もオリーヴィアを女性として愛していない。だろう?」
アルブレヒトの言葉に口を挟もうとするジークヴァルトを、オリーヴィアが静かに止めた。
「二人はお忍びで街に下りた時に見た、庶民の結婚式を覚えているか?」
ジークヴァルトとオリーヴィアは話を促すように、ただ頷いた。数か月前、庶民の格好をして三人で出かけたことがあった。楽しそうな陽気に誘われて、小さな教会にたどり着いた時の事だろう。
「幸せそうな御夫君にな、いつ結婚しようと決めたか聞いたんだ。彼は、『出会った時に恋に落ちまして』 と言っていた。恋というのは胸が騒めいて、苦しく、それでも甘やかであるらしい。私もそれが、知りたいのだ」
アルブレヒトは少しだけ俯き、胸の前でぎゅっと手を握りながらそう言った。
アルブレヒトはいつだって、男としての自分に自信が無かった。幼いころに女性に嫌悪感を覚えてから、ずっと恋や愛といった感情を避けて生きてきた。どこかで恋という感情を、下賤なものであるようにすら感じていた。
それでふと気が付いたのだ。 『自分は誰かを愛することができるのか』 というどうしようもない不安に。
「あなたには立派な婚約者候補がいるのをお忘れか?」
ジークヴァルトが冷たく責めた。婚約者候補とはなっているものの、それはあくまでも有事の際に王子の婚姻という手段を残しておくための措置だ。貴族たちは皆、公爵令嬢であるオリーヴィアが次期王太子妃だと知っている。
「だが、オリーヴィアだって好きな男と生きたいと思うだろ? 私も可愛らしい女性に恋をしてみたい、それだけなんだ」
「アル、お前なに甘えたこと言ってるんだ」
「これは甘えだろうか? この先の生涯という長い時間、共に過ごす女性を自分で選びたいと思う、これは甘えか?」
アルブレヒトは顔を歪め、問い掛けた。
それは誰が聞いても甘えでしかなかった。そしてまだ15歳という年齢だからこその、根拠の無い万能感が彼に言わせた言葉だった。アルブレヒトは良い人間だ。けれども傅かれることが日常の彼は、人の心を慮ることは不得手だった。だからこそ、オリーヴィアの白い肌がいつも以上に色を無くしていることに、気がつくことはなかった。
口から出た言葉を取り消す術は、誰も持ってはいない。
震えるほどの寒気が少女を襲った。
オリーヴィアは自分の立場を理解していた。この場合、諫めて王子が落ち着くように誘導する義務が確かにあった。けれども彼女もまだたった15歳で、そして何よりも、オリーヴィアはアルブレヒトに恋をしていた。好きではないという相手に愛を乞う、その屈辱を、受け入れることが出来なかった。
打ち鳴らされるような強く、早い鼓動。そして湧き上がるような怒りが彼女を一気に燃やした。
それらがぐるぐると渦巻いて、やがては悲しく落ち着いていく。わざと音を立てて、オリーヴィアが立ち上がった。上質だけれど飾り気の無いドレスの裾を、無造作に払う。
「私の魅力に気付かないだなんて、馬鹿な男」
オリーヴィアは言った。普段の屈託のない雰囲気は消え、その顔も声も、どこか妖艶ですらあった。アルブレヒトは空気に飲まれ、一瞬だが固まってしまう。けれどもすぐにその空気は霧散して、オリーヴィアはくしゃりと笑った。
「私におまかせあれ! アルの夢を叶えてあげる」
そのままくるりと背を向けて、「じゃあね」と言って去っていく。
「オリーヴィア!」
あわててアルブレヒトはその背中に声をかけるけれど、振り返らない彼女には届かない。
「アル、俺が追う」
「頼んだよ、ジーク!!」
ジークヴァルトは、アルブレヒトからの返事も待たずに駆けだした。