王子様のための歪な箱庭【過去】
幼馴染たちは初めて会った日から少しずつ距離を縮め、1年も経つ頃にはまるで兄弟のような関係となっていた。
王子とその学友としての授業を終えると、三人はいつだって連れだって遊んだ。城の最奥、王族と彼らに許された者たちだけが訪れるその場所は、三人の高い声が風に駆けるように響く。周囲も驚くほどに彼らは同じように遊び、遠慮も気遣いも無く泥だらけになった。
鬼ごっこが強いのはジークヴァルト、木登りが得意なのはオリーヴィア、そしてアルブレヒトはかくれんぼなら誰にも負けることは無い。ひっかき傷ができ、こんがりと日焼けする、そんな少年たちの遊びにオリーヴィアは宣言通り、何の不満も漏らすことなく、周囲に違和感すら感じさせることは無かった。
「あんなにも怒られるなんて、計算外だったね」
オリーヴィアが肩を竦め、疲れた顔で呟いた。初対面の頃から変わらずに、今でもオリーヴィアは少年のような振る舞いをする。万が一にもアルブレヒトに怯えられないように、彼女の中の少女を覆い隠す。変わったといえば、砕けた言葉遣いをするようになったくらいだろう。
「本当。私は初めて司書に怒られたよ」
常にびくびくしていたアルブレヒトはもうどこにも居ない。常にオリーヴィアとジークヴァルトが傍にいることで、女性の手はアルブレヒトに届かなくなっていた。そして家族では無い二人が絶対的な味方となったことが彼の心を安定させ、アルブレヒトに強い自信を与えていた。未だに女性は苦手だが、体調を崩すほどでは無い。
怯えが無くなったからか食欲も出て、良く遊んで良く学ぶ、アルブレヒトはぐっすりと夜に眠れるようにもなった。そういった生活は彼の心を救うだけではなく、発育不全であった体が嘘のようにしなやかに育ちつつあった。
「だから俺はやめろと言ったんだ」
呆れたようにジークヴァルトは呟いた。彼の体はより大きくなり、アイスブルーの三白眼はさらに吊り上がった。どこからどう見ても凶暴そうに見える彼だけれど、三人のうち一番気性が穏やかだ。
数日前、アルブレヒトは泣いた。
「こんなの、納得がいかない!!」
琥珀色の瞳から大粒の涙をこぼし、グスリとしゃくりあげる。いつも穏やかで聞き分けが良い、優等生なアルブレヒトとしては珍しいその癇癪に、オリーヴィアもジークヴァルトも驚いた。
図書館で読んだ冒険小説の結末に、彼はどうにも納得がいかなかったのだ。三人の仲間と手を取り合って敵に立ち向かうその小説は、まるでアルブレヒトやオリーヴィア、ジークヴァルトの三人を連想させて、彼はいつになく熱中して読んでいた。
最後の敵が強敵であることは分かっていた。なにせ物語の山場なのだから。誰かが重く傷つくかもしれないとも覚悟した。そうして読み進めていくと、なんと仲間のうちの一人が敵の間者であったのだ。間者は主の命令と、仲間たちと育んだ友情の間で揺れ動く。けれど最後は己の命と引き換えに、最後の敵に致命傷を与えるのだ。
物語としてはありがちで、でもアルブレヒトは納得がいかない。思わずぽたりと涙が出て、そしてそれを見たオリーヴィアは、「おまかせあれ!」 と言って笑ったのだ。三人で理想の結末を考えて、一番字の上手いオリーヴィアがその理想の結末を紙に書き上げた。そしてジークヴァルトが司書に見つからないように見張りをして、アルブレヒトが最後のページに紙を貼り付けてしまったのだ。
もちろん司書は激怒した。いくら王家の子どものための図書室とはいえ、貴重な本に傷をつけるなどありえないと怒られたし、罰として古書の修復の手伝いなどもやらされた。けれど三人は満足感で一杯だった。確かに本を汚してしまったことはまずかった。けれどそれでも、裏切りなんて無かったことにして、三人で生き抜く結末が見たかったのだ。
その冒険小説はアルブレヒトに引き取られ、彼の自室の本棚に大人になった後でも大切に仕舞われている。三人が何度も読み返すものだから、せっかく貼り付けた最後のページは少し剥げかけているほどだ。
アルブレヒトを笑顔にするため、オリーヴィアは奇策を思い付き、ジークヴァルトはそれを慌てながらフォローする。いつだって三人の間には、笑い声が響いていた。
「殿下が昔のようによく笑われるようになったな」
側仕え兼護衛として周囲を固める騎士たちは、幼馴染となった三人をいつも穏やかに見守った。彼らが共にいる期間が長くなれば長くなるほど、王子が本来持つおおらかな魅力を取り戻していく様子が嬉しかったのだ。
幼い彼らの間には、誰も口にしないルールがあった。
それは恋を徹底して避けること。
年を重ねるごとに三人はそれぞれ成長していく。
線の細かったアルブレヒトの背中は広く大きくなってしまった。少年とも少女とも言えなかったオリーヴィアの体は、いつの間にか女性らしく丸みを帯びた。ジークヴァルトは見上げるほどに背が伸びた。
けれども三人は、歪なほどにそれから目を反らし続けた。
成長してワルツの練習を始めたころ、オリーヴィアとペアを組んだアルブレヒトを懐かしい緊張が襲った。彼女の掌の柔らかさ、自分とは違う香水ではない甘い香り、支える腰のくびれ、それらを考えると一気に鼓動が早くなる。手の先は驚くほど冷たいのに、体は嫌な汗で濡れていく。
(彼女は僕が知る女性じゃない。リヴはリヴだ。欲を抱かず友であり続ける、リヴなんだ。だから怖いはずは――)
意識をすればするほどに、自分とオリーヴィアの違いに目がいった。それは開けてはいけない禁忌の扉。けれどもいつかは訪れる通過儀礼。息を吸い込みすぎてハクハクと呼吸が乱れそうになった時、オリーヴィアが強引に彼の手を引いた。
「おや、王子様にはまだこのステップは早かったか!!」
オリーヴィアは気付かない振りをして、高度なステップへと誘導する。リードされるはずの彼女は、主導権を強引に捥ぎ取り自由気ままに大胆に振る舞った。フロアを大きく移動して、細かなステップも組み込んで、ただ体を動かすことだけに思考を注ぐ。
「アルはもう限界かな?」
「そんなわけ無いだろう。リヴこそ遅れるなよ!」
リードを引き受けたアルブレヒトも負けじと動き出す。レッスンが終わる頃には、オリーヴィア相手のダンスだけは克服できていた。
彼らは目をそらす。なぜなら恋という異分子が、彼らの仲を壊してしまうと気付いていたから。大切に育んできた関係を崩してしまうから。彼らはいつだって、恋を視界からわざと外して笑っていた。
そんな風にして、オリーヴィアとジークヴァルトが守る箱庭で、アルブレヒトはのんびりと成長した。




