第19話 芝居
ラナハルトの静かな声の響きは、後ろに控えていた護衛達を震撼させた。自国で兵士達の訓練にもたまに混じるラナハルトは普段は気さくで、公務の時には風格を纏うが、今のように思わず竦みそうになるほど冷え冷えとした声を発することはなかったからだ。その、何かが起こりそうとさえ感じてしまう雰囲気に、思わず剣に手を伸ばした護衛もいたほどだった。その冷え冷えとした雰囲気のままラナハルトは姉妹に問いかける。
「まず、ネリエと言ったか? 私は貴女が着飾って来ようと来なかろうとどちらでも構わない。それから、イーラ。貴女は宰相の娘でありながら、この国のことはどうでもいいのか?」
それを聞いた2人は一瞬ポカンとした顔をしたが、いち早く返答したのは妹のイーラだった。
「いいえ、どうでもいいわけではありませんが、カトラスタ王国からでも自国の支援はできると思いますの」
「どういう支援だ?」
「それは……」
「思いつきでどうにかなるほど国政は甘くない。自国のことをまず知ってみることだ」
それを聞いたイーラは一瞬俯いた。ラナハルトよりも背の低いリースミントは、俯いたイーラの顔が怒りに醜く歪むのを見たが、顔を上げた時にはにこやかな顔になっていた。
「ええ、自国のことを学ぶのはもっともなことですわ。でも、私の希望は変わりませんの。それも王子を敬愛しているからですのよ。お側においていただけるように頑張りますわ」
そう言うと、まだポカンとしたままのネリエを引きずるようにしてイーラは軽やかに去って行った。
その後挨拶が一通り終わったラナハルトは、リースミントと共に宴の食事に手を付けた。もちろん用心の為に食べる前には、従者が試薬を垂らして確認をしている。ラナハルトはある程度の毒には耐性があるが、リースミントはそこまで厳しい毒耐性の訓練は受けていないので、心配したラナハルトの勧めもあって徹底するようにしていた。
しばらく食事を楽しんでいたリースミントの耳に遠くの方で「あっ!」というどよめきが聞こえてきた。そちらの方を向くと、先日見た黄色い鳥が一直線にこちらへと飛んで来るところだった。黄色い鳥はそのままリースミントの頭の上に止まると「チチチチチッ」と小さく鳴いた。周りが騒然となり、護衛が慌てて捕まえようとするのをリースミントが止める。
「大丈夫」
そう言って護衛が動くのを制止したリースミントが頭の上に手をやると、その鳥は大人しくリースミントの手に止まった。
「ああ、これは先日の鳥じゃないか。とても大人しくて可愛い」
「先日の?」
「ああ、そうなんです兄上! 先日この鳥がいたずらをしに来ましてね。うっかり私はグラスを落としてしまったのです」
「まったく、鳥くらいで。お前はおっちょこちょいだな」
「ええ、でも、そのせいでこの鳥の飼い主が捕えられてしまったのです」
「なに? 鳥のいたずらごときで、この国では人を捕えるのか?」
「ええ、宰相殿には、そんなことをする必要はないと言ったのですが……」
近くでそれを聞いていた宰相ビズートは、2人の会話が予め打ち合わせてあった芝居であるとも知らず、慌ててラナハルト達の元へとやってきた。なぜかその後ろに娘2人も引っ付いてくる。
「その件については、危うくリースミント王子がお怪我をされるところだったので、処罰を下したまででございます」
「しかし、弟は怪我をしていない。それにこれを見る限り、この鳥は弟を害する気はないどころか、懐いているようだが?」
「は、はい……そのようですね」
顔を歪ませてビズートがそう言うと、ラナハルトは更に雰囲気で威圧する。
「では、この鳥の飼い主を牢から出してもらおう。弟は自分のせいで飼い主が牢に入ったことに心を痛めている。鳥もここにいることだし、ここへ連れて来てもらおうではないか」
「し、しかしそれは……」
「罪もないのに牢に入れられていたんだ。責任者としては謝罪もしたいだろう?」
「う……は、い」
「そこの兵士、聞いたな?」
有無を言わせぬラナハルトの圧力に、宰相のビズートが小さく頷くと、待っていましたとばかりに兵士は地下牢へと走って行った。ラナハルトはピースからの情報で、セリアが看守や兵士達から人気なのを知っていて、兵士を迎えに行かせたのだった。
成り行きを見守っていた貴族達は、少しほっとした表情で再び宴の席へと戻り、楽隊は穏やかな曲を演奏していた。ビズートの娘2人は先程からラナハルトに話しかけようとするのだが、国王夫妻とリースミントという王族のみの会話を楽しむラナハルトに背を向けられ、話しかけられないでいた。そんな中、これまでリースミントの腕や肩に止まっていた黄色い鳥チッチが、突然小さく「チチチチチッ!」と鳴くと、広間の入り口の方へ向かって飛んで行った。それを見たラナハルトがニコリと笑った。
「やっと来たか」
この広間へ登場してから一番嬉しそうな顔でそう言ったラナハルトの顔を見て、リースミントはフフッと笑う。
扉が開くと入り口付近の貴族達が静かに息をのみ、やがてその静寂は広間全体へと広がっていった。




