第16話 充実した牢
コツコツと響く靴音は、一番奥のセリアの牢の前まで来ると止まった。まさか自分の所に来るとは思っていなかったセリアはびっくりして床から身体を起こした。
「セリアちゃん、大丈夫?」
「えっ? あ……!」
「しっ! 小声でね」
「すみません、驚いてしまって」
その声の主はなんと、昼間に会ったナイディル王国のピース王子であった。
「ラナから、セリアちゃんが牢に入ったから自分が行くまで頼んだって伝言を受けて、まさかとは思ったんだけど、本当だったんだね」
「はい、そうなんです」
「僕がちょうど抜けていた時に、晩餐会でリースミント王子にハプニングがあったというのは聞いていたけど、まさかセリアちゃんに関係しているとは思わなかったよ。それにしてもビズート宰相のヤツ……」
「あ、ごめんなさい。ご迷惑はかけないように大人しくしていますから」
「いや、セリアちゃんは悪くないから。こちらこそ内部の事情に巻き込んでしまってすまない。ラナの頼みを聞くわけではないけれど、せめて僕にできることをさせてほしい。そんな所では眠れないだろうしね……ちょっとの間辛抱しててね。ああ、それから僕にもラナと同じように口を聞いてくれると嬉しいな」
そう言ってニコッと笑うと、ピース王子は再びコツコツと靴音を響かせて、牢の通路を戻って行った。
それからしばらくすると、地下牢の入り口付近からバタバタと慌ただしい気配がし始めた。
「セリア様、失礼いたします」
セリアの牢へ来てニコニコとそう言ったのは、食事を持ってきてくれた看守で、その後ろには、セリアを牢へ連行した兵士達もいた。皆、何かを持っているようで、セリアの牢の扉を開けて入って来ると、その荷物を広げ始めた。手際よく床に絨毯を敷くと、木材を組み立ててベッドを作製し始めた。更に、少しでも寒くないようにと、壁にまで布を貼ってくれる。天井にはレールが取り付けられて、そこから仕切り用のカーテンが吊り下げられた。洋服の入った衣装ケースや、小さいテーブルの上には湯の入ったポットなど茶器までが用意されたことに、セリアは目を丸くする。
「え、どうしてこんな……」
「おもてなしするようにとのことですので!」
胸を張ってそう言った看守達は、出来上がった内装を確認すると「ゆっくりお休みください」と言ってあっという間に去って行った。
「あ、ありがとうございます!」
ぽかんとしていたセリアは、慌ててその後ろ姿に礼を言ったのだった。
翌日、目を覚ましたセリアは一瞬自分がどこにいるのか分からずに混乱した。狭いながらも安心する空間のお蔭で、自分が牢にいるということをすぐには思い出せなかったのだ。
ベッドから起きて仕切りのカーテンを開けたセリアは、牢の前に新しい湯が入ったポットを見つけて心がほわっと温かくなった。さっそくお茶を入れると、昨日連れて来られた時の心細さがほとんど消えているのを感じた。
その頃から、看守や城の兵士達の中で『地下牢の天女』という言葉が飛び交うようになったのだが、当の本人は知る由もなく、ただ入れ代わり立ち代わり看守や兵士達、はては庭師までもが、お菓子や本などを持って来てくれるという珍事に、セリアは他国の牢屋事情について測りかねていたのだった。
黄色い鳥の飼い主が捕まって牢に閉じ込められたという話は、昨日リースミントにも報告されていたが、何も鳥の悪戯くらいで飼い主を牢に入れる必要はないと言ったリースミントの言葉は宰相のビズートによって受け流されてしまった。自分が関わっていることもあり、その飼い主の処遇が気になっていたリースミントは、城の庭を歩くビズート宰相を見かけると、呼び止めて再度その旨を伝えた。
「リースミント王子のお気になさることではないですよ。それに、捕えた娘を昨日見ましたが、見るに堪えない醜悪な顔をしており態度も野蛮でありました。王子のお目汚しになりますので、こちらで対処させていただいた次第です。申し訳ありません、急ぎの用がありますので、これにて失礼させていただきますが、お話し相手がいないとお寂しいでしょうから、娘のネリエをここに……」
「それには及びません。私も急ぎの用があるので」
そんなことかというような態度をとられた上に、不愉快極まりない娘の話をされては、いくら王子として躾けられているとはいえ、まだ11歳のリースミントは素直に腹が立った。
口を結んでなんとか怒りを噛み殺して庭を歩いていたリースミントは、いつしか城の裏手まで来ていた。そこで数人の兵士達が何やら嬉しそうに、花なんかを抱えているのを見て不思議に思い、案内役の者に訊いてみる。
「あの者達は兵士のようだが、何かの催しでもあるのか? 花などを持っているようだが?」
「いいえ、そのような催しはないと思うのですが……少し訊いてきます」
案内役が兵士に尋ねると、こちらを見た兵士達が少し気まずいような顔をしたのが分かった。
「兵士が言うには、この地下に昨日収容された女性に差し入れをしているのだそうです。どうも、王子が気にしていらっしゃる例の鳥の飼い主のようです」
それを聞いたリースミントは、益々不思議な気持ちになった。
「その飼い主は、ビズート宰相によると醜悪で野蛮な者ではなかったか?」
「ええ、私もそのように聞きましたが……」
「ふむ、いずれにしても良い機会だな。実際にその飼い主に会えば、この心のモヤモヤも解消されるかもしれない。その者の所まで案内を頼む」
「本当に行かれるのですか?」
「そうだ。百聞は一見にしかずというからな」
リースミント達一行は地下へと下り、なぜか胸を張って生き生きと案内を買って出た看守の後について陰湿な地下通路を進んだ。
「こちらがセリア様のお部屋でございます」
「部屋」という言葉に違和感を覚えながらも、牢の前へと進んだリースミントは、その「部屋」を見ると普段は穏やかな薄茶色の瞳を最大に開いたままの状態で立ち尽くしたのだった。




