第18話 トラスの葛藤
天空塔の部屋の戸を開いたトラスは、目に飛び込んできた極悪犯の姿を見て絶句する。口はパクパク開くけれども、何も言葉が出てこない。
そこには、窓際の粗末な椅子に座り本を開いて男と向き合う、眩し過ぎて直視するのも躊躇われるほどの美しい女性がいた……。腰まで伸びた気品溢れる薄い金色の髪に、優しげな薄い緑の瞳……着ているものは粗末なのにもかかわらず、溢れる輝きに覆われてそれすらも神々しく見せていた。
突然開いた戸にしばし驚いた様子だった女性は、何も話せないでいるトラスを見ると、ふふっと柔らかな微笑を湛え、透き通るような肌に映える薄紅色の唇を開くとトラスに話しかけた。
「珍しくお客様が来てくれたのね! とても嬉しいわ。できれば、お話ができるともっと嬉しいのだけれど、やっぱり無理なのかしら?」
少し最後は寂しげな表情でそう言った様子に、はっとしたトラスは反射的に応えていた。
「あ、はい、是非お話させて下さい!」
その途端に彼女の頬はバラ色に色づき、本当に嬉しいといった様子で少女のようにはしゃぐ。
「まあ、私ったらはしたないわね。でも、ドノバン先生、こんなに嬉しい事ってあるかしら? 兵士の方が初めて私に口を聞いてくれたのよ。あ、でも貴方に危険が及ぶといけないので、私と話したことは秘密になさってね」
その後、何を話したのかトラスはあまり覚えていない。ただただ予想と大きく違う事態に直面してしまい、理性など吹き飛んでしまったのだ。ただ、覚えているのはその極悪犯と呼ばれる女性が光り輝いて見えたことだった。それは恐らくトラスの方にも、人の内面から出る品性のようなものを感じ取る感覚が備わっていたからということもあったのだろう。
翌日、元気になって警備の任への復帰を果たした同僚の姿を見て、トラスは心底がっかりしたのだった。
天空塔最上階の戸を開けて以来、トラスには確信していることがあった。それは、幽閉されているあの女性が極悪犯などではないということだった。元来真面目なトラスは、そう思った時から、彼女の今の状態が許せなかった。名前やそこに至った経緯は教えてくれなかったが、どうにもできない事情があることは分かる。それはこの天空塔へ幽閉されているという事実からも明らかだ。しかし、トラスは彼女をどうにか自由にしてあげられないものかと考えられずにはいられない。毎日毎日、天空塔を警備している自分にも腹が立つのと、あの日以来訪ねる機会を見つけられないでいることもジリジリとした思いを募らせるのだった。
それからしばらくして、城の王女アーリア姫が隣国のカトラスタ王国の王子を伴って帰国するという噂が広まり、王子を迎える準備でてんやわんやの大騒ぎとなった頃、トラスは自分の中に毎日くすぶるやるせない思いをドノバンにぶつけることにした。
平民が使う食事処でドノバンと落ち合うと、さっそくトラスは自分の思いを吐き出した。
「彼女が極悪犯なんて俺は信じません。あれではあんまりではないですか!」
「確かにそうだね」
「ドノバン先生は事情をご存知なんでしょう?」
「うん、知っているけれど、それは言えないよ。彼女がそう望んでいるからね。君を危険な目に遭わせたくないんだよ」
そう話すドノバンの目にもやるせない気持ちが見て取れ、トラスは再び怒りの矛先を自分の心の中に、仕方なく封じ込めるのだった。
トラスがセリアの境遇を憐れに思う一方で、セリアは最近とても幸せだった。ドノバン先生は、知り合いからのもらい物だと言って、大量のお菓子や本を届けてくれたし、この塔に来てから初めて兵士であるトラスと会話をすることもできたからだ。あの日はたまたま来られただけのようで、それ以降訪ねて来てはいないけれど、知り合いが1人増えるという事は、セリアにとってとても貴重なことだった。
……姫様、最近嬉しそうだね……
……うん、こんなに沢山のお菓子や本をもらって、新しい人ともお話ができたのよ……
……うん、お菓子はチッチも嬉しい……
沢山もらったお菓子は、隣国の物ということで、それだけでも心がときめいた。ラナやピスナーにもそのことを報告すると「良かったな」と喜んでくれて、彼等の国のお菓子の話題で楽しめた。
セリアはとても幸せだと思っていたが、同時にこのまま幸せが続いてほしいと願わずにはいられなかった。そう思ってしまうのは、10歳の時に突然両親を亡くしたという経験が大きいかもしれない。セリアは、幸せというものが突然崩されてしまうことがあるということを理解していたのだ。
……そういえば、町の皆がまた騒いでたよ。町を掃除して飾りつけしてた……
……そうなの? お祭りか、どこかの国から王族や貴族の訪問があるのかもね……
……姫様も見られたらいいのにね……
……うん、でも、そうやってチッチが話してくれるので十分楽しいわよ……
セリアはこの時はまだそれが、その後自分にふりかかる恐ろしい災いに繋がっているのだとは知る由もなかった。
お読みいただきどうもありがとうございます!
第1幕のクライマックスが近づいてまいりました(そのうち章分けしようかな……と思っています)。
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