ジャップの刀
1947年9月、にわかに戦争の機運が高まるような出来事が、日本とアメリカの間で起こってしまう。
事件は東京・渋谷で発生した。
修学旅行で日本を訪れていた学生らが、悪ふざけをして、由緒正しき銅像や、公共物に落書きを始めたのである。
最初は誰も気にも止めなかったが、その時たまたま近くを通りかかった右翼団体の人間が、それを見てしまい、直ぐ様応援を呼んで乱闘でも始めるかと思っていたら、かなり本気だったらしく、日本刀をを持ち出してきて、落書きをしていたアメリカ人学生を、次々と切りつけたのである。
この事件は警察沙汰になるだけでなく、翌日の新聞にも1面で記載された。そのニュースは、海を越えてアメリカ各地でも報じられた。アメリカ人学生3人が重傷、10人を越えるアメリカ人学生が切られて軽症だった。
日本の警察は一時容疑者である、右翼団体のメンバーを逮捕、身柄を拘束したものの、動機がアメリカ人学生に悪さがあるとして、起訴もせずに釈放した。
この異例の対応に噛みついたのは、アメリカ側だった。何故人を傷つけておきながら、そのような軽い罪で済むのか?と。
しかし、日本の世論も政府の対応も、右翼団体のメンバーに同情的で、それがアメリカ側の怒りにスイッチを入れてしまったようである。
この事件の余波は留まる事を知らず、ついには日米の外向問題にまで発展してしまう。
アメリカは日本との貿易を中止し、この事件に納得の行く答えが得られるまで、ガンとして動かないという強硬な姿勢を示していた。
日本政府は、冷静にその状況を注視していくつもりだったが、対米貿易は、日本にとって言わば、「お得意様」であり、この対応は日本経済にとって痛かった。
後に9.23アメリカ人学生襲撃事件と呼ばれる様になるこの事件が、アメリカとの戦争の火種になろうとは、日米両国民は思ってもみなかった。




