上田少将の皮算用
まだ沖田には飯を食う前にやる事があった。上田少将への厳龍の紹介である。
「随分コンパクトだがハイテクなものだな。」
沖田が主兵装だけ簡単に伝えた。エンジンのディテールを上田少将に話しても、理解出来ないはずだから賢明な選択をした。533㎜魚雷発射管×6門というのが、厳龍の主兵装だったが、当時の戦艦や巡洋艦の巨砲並みの大きさであった為、上田少将はとても驚いた。タイムスリップしてきた時既に厳龍は、魚雷とハープーン級対艦ミサイル(USM)を三基ずつ持っていた為、量産するため秘扱いの両ミサイルと魚雷の設計図を、沖田は上田少将に渡した。彼の心の中には、もしかしたらアメリカに勝てるかもしれないという好奇心があったのであろう。それは上田少将も同じだった。
「沖田大佐ご苦労様。今日はカレーの日だよ。」
それは奇しくも海上自衛隊伝統のメニューであり、ルーツはこの日本海軍にあった。だが、これは当時の食糧難を考えると、高級ステーキ以上に贅沢な食べ物であった。沖田はタイムスリップしてから初めて物を口にした。
「ああ、やっぱりこれは夢じゃないんだ。」
そう感じるカレーだった。沖田が床についたのは、すっかり暗くなった夜の九時半をまわった所であった。
その頃、呉基地司令は大本営のある人物に向けて電報を打っていた。アメリカ軍に傍受されないように20文字以内のものにした。短文の電報は、一般市民の連絡ツールであった為、それを傍受出来たとしても、すぐには分からない様にした。
「センキョウダカイノキリフダクレニアリ」
その人物は、大本営にいながら故山本五十六大将、井上成美大将と共に海軍良識派三羽ガラスとして知られている米内光政大将その人であった。上田少将はもう1つ電報を飛ばしている。
「アストウキョウニソノジンブツトムカウ」
それは、上田少将が、沖田を東京に広島から連れ出す事を意味している。日本海軍は、この未来の兵器を戦況打開の切り札として、投入し何としてもアメリカとの戦争に終止符を打たねばならなかった。それは負けて終わるものではない事は、上田少将の行動からしても明らかであった。