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深海の精鋭たち(サブマリナーズ)  作者: 佐久間五十六
昭和の大日本帝国海軍の潜水艦

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残しておいたデザート

 1947年6月23日、日本の南東部にある、台湾を巡った戦いが、次第に肥大化していき、最終的に日本とアメリカを講和へと走らせて行く。

 日本は、手に入れたほとんどの植民地を、独立という形をとらせ、地元住民に返却し、既に国家として再スタートをきっていた。

 しかし、台湾だけは、地政学上又国防上渡す事が出来ない場所にあるため、支配下においていた。日本は韓国や満州も手放し、日本の大陸における権益は、全くなくなっていた。

 それでも、日本が経済的に破綻するよりはマシだ。なくなく手放した、満州と韓国ではあったが、台湾はそうはいかない。そこは陸軍も海軍も同じ意見だった。そうまでして残していた、絶対国防圏である台湾に、アメリカが目をつけたのは、1947年5月下旬の事だった。

 奇しくも、テニアン島で日本海軍が、大勝利を上げたその日に、アメリカは報復のつもりか、台湾を実行支配した。アメリカにしてみれば、肉を斬らせて骨をたつ、そんなつもりだったのかもしれない。

 結果から見れば、テニアン島のアメリカ海軍第5艦隊や太平洋艦隊がいてくれたお陰で、台湾が無防備になった。のは、偶然かもしれないが、運良く時が重なった。

 日本からしてみれば、残しておいたデザートを、他人に食べられて、お勘定も払わされた。という気分になった。いずれにしろ、日本にとって台湾が取られたというのは、空母機動部隊を失う程の痛手であった。

 そこで作戦を終えた、テニアン島急襲部隊を、1週間だけ休ませて、軍を再編成した。もちろん、その部隊にはアメリカ海軍がドルフィンと恐れる、厳龍の存在もあった。上陸後のドンパチは、陸軍の仕事であるため、20万人の大軍勢を合わせた陸軍と海軍の合同作戦となった。

 そうまでして、取り返しておかなければ、何の為に多くの植民地を手放し、台湾を大切にしてきたかが分からない。

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