マリアナの猫だまし作戦
1945年9月20日、ついに日本海軍機動部隊は、その射程にサイパン島に停泊するアメリカ海軍第5艦隊を捉えた。真っ昼間に行われたこの戦いは、後に「マリアナの猫だまし」と呼ばれるようになる。
なぜ猫だましだったか?それはアメリカ第5艦隊に日本海軍機動部隊を向かわせ、その一方で厳龍他10隻余りの潜水艦部隊が、グアムの太平洋艦隊の残党を壊滅させたからである。
戦闘という戦闘もないまま、日本側の勝利で日本海軍機動部隊はほぼ無傷で、引き上げる事になった。
アメリカ海軍は、大きなショックを受けた。それはそうであろう。二ミッツだけではなく、猛将ハルゼー提督までもが、厳龍にやられたからである。アメリカ海軍は3トップのうちの両サイドを失った事で、残るはキンメル提督の第3艦隊のみとなった。
二ミッツもハルゼーも同じ事を言っていた。
「ドルフィンだ!奴さえいなければ……。」
それは、厳龍の実力を認めていたことの何よりの証である。厳龍は「マリアナの猫だまし」作戦で12門の全弾を打ち尽くしていた。
これで当分の間日本は安全だろう。そう思っていた。虎の子の空母や戦艦大和か残っている。それだけで、日本は戦える事が出来た。
広げすぎた触手を縮めるように、日本軍は、国益にそぐわない部隊を随時日本へ復員させた。それは配置変えという名の復員であった。
戦略としては、陸上兵力を豊富にしておく事で、来るかもしれない本土決戦に備える。未だに日本国内は、戦況が混迷を極めている事になるとは、思ってもみなかった。
戦況を正確に理解していたのは、大本営の米内海軍大臣や井上大将と言った、ほんの一握りの人間だけであった。
追い詰められなかった鼠は、まだ猫を倒すには、至っていなかった。




