未知へのいざない
厳龍の雷撃は、見事敵空母4隻と戦艦クラス1隻、重巡洋艦2隻を沈める程、大破させた。二次攻撃でもエセックス級空母2隻を追加で沈めた。これらの大戦力をたった一隻でやってのけてしまうところが、厳龍の凄い所であった。
これを受けて二ミッツ大将は、今度の失敗は、ドルフィン(厳龍)を哨戒出来なかった自分達に落ち度があるとして、太平洋艦隊の全てと第5艦隊の力も借りて、ドルフィン(厳龍)を始末する事を上層部に打診した。
この厳龍のテニアン島襲撃急襲作戦成功は、すぐさま大本営に届けられ、マスコミを通じて国民に広く知らせた。日本を駆け巡ったこのテニアン島急襲は、アメリカの怒りを大きく買った。
その間に、1945年8月15日は過ぎ、厳龍が日本に帰って来る頃には、8月20日を過ぎていた。これが意味する事は、もうここから先の歴史は、自分達の知らないゾーンに突入したという事である。それはつまり、歴史が完全に変わってしまった事を意味していた。
それからは、来る日も来る日も呉基地と日本近海の往復作業であった。今や日本海軍の切り札ではなく、唯一無二の不敗兵器として、日本への敵艦隊不接近任務に当たっていた。
アメリカ海軍太平洋艦隊は、空母6隻を一度に失い大きく力を削がれていた。厳龍によって守られていた本土の人々は、待たしても国力を盛り返していた。アメリカも、まさか日本海軍がここまでやるとは想定外だった為、急ピッチで空母や他艦船の補充を行う。
天下のアメリカ海軍と言えども、需用に供給が間に合っていない状態であり、アメリカは、開戦以来のピンチを向かえていた、と言っても過言ではなかった。そしてアメリカ海軍上層部は、全てがドルフィン(厳龍)の影響である事を、察知していた。




