リメンバーパールハーバー
呉に半月ぶりに戻って来てから、数日が経とうとしていた。厳龍は呉のドックに入って機体整備を行っていた。
その間もアメリカ軍との戦争は続いており、厳龍も間もなく更なる激戦地に投入される事が予想された。
それを後押しするかのように、兵器開発局の九龍中佐から、呉基地司令の上田少将に89式魚雷の開発量産に成功したとの一報が入った。これにより、厳龍に搭載されていた2012年の兵器である2つの近未来兵器が、日本海軍兵器開発局にコピーされたことになる。
開発の責任者九龍中佐は、こう語っていたという。
「設計図と材料さえあれば、大抵の兵器は作る事が可能である。」と。
沖田以下64名にとってみれば、追い風になる情報なのかもしれないが、それは攻撃力が増しただけで、戦局の激しい所に投入されるかもしれないという可能性を高めるものであった。
その後、呉には大量生産されたハープーン級USMや、89式魚雷が運びこまれ、本土にいる厳龍の戦力は少しだけ上がった。
航続距離の長い厳龍が本土にいるだけで、米内海軍大臣は終戦に向けての大博打をたてることが出来た。
その内容は、厳龍乗員や沖田でさえも知るはずもなかったが、簡単に説明するとこうなる。日本本土にあるありったけの空母や艦栽機を集めて、敵戦力が集中するグアム・サイパンを叩くというものであった。その護衛にどうやら厳龍を投入させたいと米内海軍大臣は考えていた様である。
最新鋭の装備で最新鋭のsubmarineをこの最重要任務に持って来ることは、米内海軍大臣の計算のうちだったのだろう。この第二次パールハーバーと言っても過言ではない、グアム・サイパンへの2方面攻撃は、アメリカとイギリスと、講話に持って行く(6分4分)為の最重要作戦であった。




