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深海の精鋭たち(サブマリナーズ)  作者: 佐久間五十六


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厳龍一時帰投

 那覇の空気にすっかり慣れ親しんだ1945年7月上旬、アメリカ軍は、急襲や散発的な攻撃さえしてこなくなった。(理由は厳龍が相当数のアメリカ海軍艦艇を撃破したため。)

 そんな頃、呉基地の上田少将から連絡があり、一度那覇から呉に戻って欲しいとの主旨の電報が、届いていたのであった。

 厳龍乗員にとっては、上陸や外出の機会もほとんど与えられていなかった為に、嬉しい悲鳴が聞こえそうなくらい酷使されていた。アメリカ海軍よりも、帝国海軍に殺されるのではないかと、思った者もいた。(あまりに酷使するため)だが、沖田を含めた厳龍乗員総員が、この呉基地への帰還命令には皆無条件で喜んだ。この沖縄で大和ら連合艦隊を、必死で守り抜く事から始まった厳龍の戦いは、数字に現すと以下のようになる。

 使用魚雷(全て43式酸素魚雷)約500本、撃沈空母2隻、戦艦3隻、巡洋艦約100隻、潜水艦10隻、小型船団(タンカーなど)約50隻といった具合で、これ以外にも数え切れない程被害を与えた艦艇は存在する。正に一騎当千、獅子奮迅の活躍であった。

 厳龍帰還の大元は海軍大臣米内光政が指示したことである。何やら良からぬ敵の動きを察知したのだろうか、その真意を沖田が知るはずもなかった。たっぷりと実戦経験を積む事が出来た為、沖田はその手に確かな手応えを感じていた。

 その厳龍に変わり沖縄を防衛する事になったのが、向井剛大佐率いる日本海軍の誇る戦艦扶桑の所属する第2戦隊であった。扶桑が沖縄に派遣されたという事は、近田類中佐も乗船しているはずである。近田中佐も厳龍乗員と同じかそれ以上の修羅場を潜り抜けて来ていた。

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