大本営海軍兵器開発局九龍明人中佐
厳龍が沖縄で戦い始めてすでに2ヵ月が過ぎていた。
出撃の度に必ず何隻かの艦船を撃沈させていた厳龍は、アメリカ海軍にとっても無視出来ない存在になっていた。
塵も積もれば山となる。それは被害の少ないものが積み重なり、大きな傷口を残す事にもなるアメリカ軍の状態を指すことわざであった。
沖田の懸念は、こうした実戦によって少しは払拭出来たのかもしれないが、まだ完全なものではなかった。それは、89式魚雷やハープーン級USM対艦ミサイルに、替わる代替え兵器として使用していた43式魚雷の事だった。
巡洋艦やそれより小型の艦船や潜水艦なら、一発で仕留められるが、それより大きな空母や戦艦クラスになると、2発、3発当てなければならない。破壊力不足というのが、ネックになっていた。
6門しか魚雷を放てる発射管がなく、どんなにスペースを切り詰めても(切り詰めるという意味がよく分からないが)6×2=12発(右側6門、左側6門)しか魚雷を登載する事が出来なかった。
そんなパンチ力のない43式魚雷に悲鳴をあげていた沖田に、大本営海軍兵器開発局の九龍明人中佐より、呉基地宛で上田少将に一報が来たという知らせが届く。
89式の開発はまだ時間がかかりそうだが、ハープーン級USMは量産出来るというのが、趣旨だった。さらには厳龍をベースにした新型潜水艦も開発しているとの文が、最後に書かれていた。
上田少将も沖田もこの一報には喜んだ。特に兵器の威力を知る沖田にとっては、さぞ嬉しかった事だろう。これだけの短期間で67年後の最新兵器である、ハープーン級USMを量産出来るようになるとは、思っていなかった。そして新型潜水艦の援助は絶体絶命の時を回避出来る為の、影武者的働きをすることが出来る。




