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深海の精鋭たち(サブマリナーズ)  作者: 佐久間五十六
昭和の大日本帝国海軍の潜水艦

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198/252

厳龍のミステリー

 1985年12月、3人で作成した"戸村レポート"

をが、ある男達に渡された。

 大日本帝国海軍戦史研究室、とは名ばかりだが、沖田初代艦長が、帝国海軍上層部に掛け合って立ち上げた、厳龍調査委員会の事であり、正式に発足したのは、戸村元大佐が退艦する事になった、1980年代に入ってからだった。

 名前を厳龍調査委員会にしなかったのは、世間の不要な干渉を避けるためでもあり、スケープゴートでもあった。時系列的に言えば、大日本帝国海軍戦史研究室発足は、3人の活動より遥かに早かったが、大日本帝国海軍戦史研究室は、その活動を本格始動したのは、3人の活動後の事であった。

 だが、恐らく長い間、多額の予算を計上しておきながら、帝国海軍の士官の天下り先として用いられて来た場所であり、3人の活動が、大日本帝国海軍戦史研究室の研究に火をつけたとも言える。

 大日本帝国海軍戦史研究室には、退役軍人ばかりでなく、海軍大学校を首席で卒業するような現役のエリート中のエリートばかりが名前だけ籍を置いていた。彼等現役のエリートからしてみれば、上に上がる為の踏み台としか思っていなかったし、退役した防衛省の官僚が本腰をいれて、厳龍の事を本気で調べようとする者は皆無だった。

 だが、それでも戸村元大佐にとっては、活動が継続されてさえくれれば、体裁にかまってはいられなかった。帝国海軍上層部としても、この部署を置いておくメリットはあった為、多少の人員をさくのは造作もないことであった。

 戸村元大佐の死後も、熱意が通じたのか分からないが、この戦史研究室という名の、厳龍調査委員会は続く事になる。

 結局答えの出ないまま、21世紀初頭まで続いたが、仕事は打ち切られたという。どういう意図で作業を続けたのかは分からないが、どうやら未来の人がどうして作業を打ち切ったのかは、タイムマシンでもなければ分からない。

 どうやら未来の技術の進歩を持ってしても、分からないミステリーだったのであろうと推測できるが、現在の技術力ではそれを知る術は、残念ながら無い。

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