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深海の精鋭たち(サブマリナーズ)  作者: 佐久間五十六
昭和の大日本帝国海軍の潜水艦

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厳龍法案

 1985年4月、厳龍が2012年の未来から、1945年の敗戦寸前の日本にやって来た、40年目の春であった。

 厳龍二代目艦長戸村哲也大佐から、三代目艦長村雨零三郎に指揮権が譲渡されたのは、1985年4月15日の事であった。

 第三世代が入って来た厳龍は、ついに第一世代が全員退役となる事になった。最年少の第一世代の戸村大佐ですら、もう60歳を越えていた。恐らく、厳龍最後の艦長になるかもしれない村雨大佐には、その事をにわかには伝えていた。それ以外の事で不安な事はない。

 きっと村雨大佐なら、上手くやってくれるだろう。そういう信頼感はあった。厳龍だけが日本海軍の中で特別視されていたのは、言うまでもない。"厳龍が未来から来た"という理由に依るものである。もちろん、それを知っている者は海軍のほんの一部の幹部だけだ。階級ピラミッドの厳しい海軍にあって、下士官や兵から士官に昇格させ、新兵を下士官や兵として迎え入れる、いわゆる沖田方式は、海軍大臣と海軍大将7人が定めた「厳龍法案」にのっとるものであった。

 特殊な過程でやって来たこの潜水艦の処遇を定めた正式な法律であり、この厳龍法案策定にあたっては、厳龍初代艦長沖田も参加し、同意したものであった。その後、厳龍法案は、戸村大佐や村雨大佐に引き継がれた。厳龍マニュアルが、それである。

 言ってしまえば、厳龍法案は性能の飛び抜けた異物を、海軍内部で上手く使う為に策定されたような法律であった。事実、法案の至る所に、海軍が優勢となるような文書の書き方が成されている。

 ただ、初代艦長沖田が、こだわったのが、乗組員に関するモノだ。今の兵や下士官→士官になるというシステムを作り、頑なに譲らなかったのは、沖田が主張し続けていたもので、永続的に厳龍を運用し、厳龍乗員を補足し、活用する為のものであった。

 海軍側は、それはまかり通らんと、突っぱねたが、沖田の決心は揺るがなかった。結局、沖田の主張を海軍側は飲むことになるのだが、いくら人員のシステムが整っても、艦齢の事までは頭が回らなかった様である。

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