Keep&piece
沖田元艦長や戸村艦長を、第一世代とすると、新体制で入って来た下士官や兵隊は、第二世代という事になる。
二回目の厳龍体制入れ換えで、幹部になるのはこの第二世代の人員であった。そして、新たに配置される、下士官や兵隊は第三世代となる。
通常の潜水艦の寿命からして鑑みれば、二世代くらいで、退役となる。と、言うよりも、その頃には新兵器が登場しているという事である。それが、通常のサイクルである。
いくら、厳龍が未来のスーパーウェポンであるとは言え、それはもう35年も昔の事である。スペック的には、まだまだ現役を張れるものの、艦齢を考えると、第三世代の途中で退役となる。と戸村大佐は、算段を立てていた。
さて、1980年1月に時は流れていた。この頃の国際情勢は、なんと言っても、世界No.2の座を巡って激しく米露がしのぎを削っていた。日本もそれに負けじとあの手この手で、No.1の座を守ろうと、必死であった。下手をすれば、米露に覇権を握られてしまうのでは、と危惧された状況であった。
No.2争いの主眼はなんと言っても核兵器及び原子力空母や原子力潜水艦をいくつ持てるかという事に置かれていた。
日本は、最新鋭の原子力空母三隻と通常動力型空母六隻、原子力潜水艦は既に十六隻配備と、米露両国の二手三手先を歩いていたのだが、核兵器に関しては五百発程度に抑えられていたため、その部分については、米露の方が先を行っていた。
1980年の情勢では、日本、米国、ロシアの三国が、覇権争いをしていたことに間違いはない。それぞれの国々に得意・不得意があり、一つの強国というよりは、三つ巴の大国という見方をした方が、適切だったのかもしれない。
しかしながら、この三国が直接戦禍を交えるという事はおろか、第二次日米戦役後は平和な状態が、keepされていた。これは、強大な核兵器及び原子力兵器によってもたらされた、平和状態と言えるかもしれない。




