組織を変えたファクター
必要な戦力を、国防に支障のない範囲で準備する事が、大本営参謀本部には求められていたが、きっちりと仕事を果たすあたりは流石であった。
アメリカとの二度による戦いで、辛くも勝利した日本海軍というよりは、日本軍全体が、まるで別組織になったと言っても過言ではなかった。
この組織を変えたのは、沖田であり近田大佐であった。そう、何らかのファクターがなければ、そうそう歴史の流れは変わらない。
沖田や、近田大佐の政治力はさほどのものではない。彼等が蓄えていたものと言えば、戦後教育によって培われた反日思想だろう。当然、彼等はそんなものがまやかしである、という事には気付いていたが、特別に抜きん出た力があった訳ではない。
彼等の存在が、ぶつかり合う中で、生み出された時空のゆがみなるものが、彼等の発する言葉から生まれていたと、沖田や、近田大佐は自覚していた。
そんな小さな事からでも、組織というモノは変わるというのは、勉強になる。
ともあれ、日本海軍は優秀な組織へと変革する事に成功したわけである。今後、例えどんな国が日本の安全保障を脅かそうとも、柔軟な対応ができる今の日本海軍ならば、心配はなさそうである。
そんな事より、沖田や近田大佐が心配していたのは、厳龍の後継者探しであった。厳龍を任せられる純粋無垢な海軍軍人を、複数人探していたため、汗を流して探した。
こちらの世界の1958年4月現在で、沖田は66才、近田大佐は58才になっていた。自衛隊法の定める定年退職年齢を大きく、越えていた。
ワングラスで決めない。それだけ後任人事に、慎重になる理由があった。




