大日本帝国海軍に面倒をみてもらう訳
沖田は、歴史が変わってしまう事に対する、罪悪感のような、負い目のようなものを感じていなかったようである。
そもそも厳龍が1945年3月に存在している時点で、歴史は変わってしまったと、そう考えていたようである。
皆、一応は沖田の演説に納得したのか、何もクレームをつけなかたが、一人だけ想いのベクトルが違う人間がいた。近田類中佐である。
行動にこそ移していなかったものの、向井剛大佐の艦である戦艦扶桑に乗船したかった様である。
近田中佐は後日、正式に上田少将の許可を得て、向井剛大佐と行動を共にする。
出撃までの一週間は、厳龍乗組員にとって、たまらなく嫌なものであった。訳も分からず来た上に、死ぬ訳にはいかない。と、考えるもやとにかく生きて帰れば、またあの時代に戻れるかもしれない。と、考える者もいた。
そんな中、夜空を見ている士官がいた。
「沖田大佐!」
「どうした倉沢少佐?」
「夜空の美しさは67年後と変わりませんね。」
「そんな事を言いに来た訳ではあるまい?」
「沖田大佐には頭があがりませんね。本当に。」
「死ぬ覚悟は出来たか?」
「いえ、死ぬ訳にはいきません。」
「まだ、未来に未練があるのか?」
「そういう訳ではありませんが、生きてこの先の日本がどうなるのか見てみたいのです。」
「私もその気持ちはある。でも何故私が日本海軍の傘下に入ったと思う?」
「それは分かりませんが、私が沖田大佐の立場だったら同じ事をしたと思います。」
「大したことではない。65人の乗組員の飯を食わせてくれるのは、日本海軍しかあるまい。」
「そんな理由で傘下に入ったのですか?」
「1945年といったら、食糧難も良いところだ。そんな所に大切な乗組員を放り出す訳にはいかん。」
「そこまで考えているとは知りませんでした。」
二人の会話はもう少し続きそうなので、また次話に。




