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深海の精鋭たち(サブマリナーズ)  作者: 佐久間五十六


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王手飛車とりの厳龍

 米内大将は、沖田らと会談した直後に、厳龍及び65人の乗組員を日本海軍の切り札として、その実力があるのか試す為、4月上旬の沖縄特攻に参加させる方針を、上田少将に伝えた。

 大本営内部でも、海軍部内でも、厳龍の事は話の種になっていた。厳龍初陣の話は上田少将を通じて、沖田らにも伝えられた。沖田は、乗組員を前にして演説を行った。それは自分に語りかけるような語り口であった。

 「皆、ここに集まってもらったのは他でもない。遂に厳龍に出撃命令が出された。目標はアメリカ海軍太平洋艦隊。場所は、沖縄近海である。知っている者も多いが、あの沖縄特攻だ。航空機の支援は皆無。元の時代に戻れるかは分からん。しかし、ここに来てしまった以上、我々の存在が異質なものであることが分かっていても、生き残る以外に道はない。今さらジタバタしても、我らがタイムスリップしてきた事実は変わらない。大日本帝国海軍に所属する事で、厳龍の力を活かす事が出来ると判断した為、その傘下に入った。65名もいれば、何かしら言いたい事もあるだろうが、ここは私の指示に従ってもらいたい。以上だ。」

 するとそこからは、水雷長倉沢恵一少佐と井浦好二少佐にバトンが渡され、戦闘時の持ち場や心構えについて、説明があった。出港は約一週間後の4月上旬であった。この時点で(厳龍が参加する事になった)、既に米内大将の皮算用は始まっていた。なぜなら1945年3月という時期は、大戦末期と呼ばれる時期であり、日本軍が坂を下りきった絶望的な時期であったからである。

 この国が、死に体状態の時に彗星の如く現れたのが67年後の最新式潜水艦は、充分に皮算用をするに足る戦力である事に違いはなかった。大日本帝国が今から戦況を巻き返し、五分五分の講話まで、その条約を結べるならば、厳龍以外に見当たる兵器はない。自爆攻撃という最後の手に手を出していた日本軍にとって、起死回生の王手飛車とりの出来る兵器が厳龍であった。

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