誰も知らないこの世界の行方
深海のサブマリナーズ前半校了
「戦争というものは、無ければ欲する達のものなんだな。」
「数え切れない戦いの中で、我々は強くなっている。」
「陸での戦いと深海でのそれとは、比べてはいけない。」
「厳龍が幸運だったのは、この世界の魚雷が使えた事だ。」
「潜水艦にとって沈められないものは、艦じゃあない。」
「明日も明後日も、この戦いは続くと思っていた。」
「こんなに毎日刺激的だったのは、初めてだ。」
「潜望鏡で、戦果確認するのが楽しかった。」
「不謹慎な事を言う様だが、雷撃は楽しい。」
「避けられない魚雷というのは、相手も嫌だったろう。」
「ジャップ、ジャップって俺らはお湯じゃねぇ。」
「白人だろうが、黒人だろうが、何でもかかって来い。」
「陸上兵力が羨ましい。潜水艦の中は地獄。」
「開放された時の楽しさがあるから、サブマリナーはやめられない。」
「今日を乗り越えれば、明日がある。」
厳龍乗員の呟きには、確かな重みがあった。自分達は、ここにいる。ここで戦っているぞ。そんなことを叫んでいる様だった。
日本国を二度に渡るアメリカの脅威から守り、その能力をフルに活かした厳龍は、整備の為に2ヶ月程呉の海軍ドックに入った。
やはり、かなりの無茶が響いたようで、整備と言うよりは、修理に近いものがあった。
その隙をアメリカ海軍が、急襲する事も考えられたが、今更ハイエナのような、盗人のような事を、キングやニミッツが、するはずも無かった。
戦後は日本とアメリカを中心とした勢力図のまま、パワーバランスはとられていく事になる。
1950年3月15日、厳龍とその乗員がこの世界に来て、丁度5年の月日が経とうとしていた。
その後、沖田は戦功もあり、少将に昇格。その他に、近田中佐が大佐に。倉沢少佐と井浦少佐が中佐に昇進した。
こうして沖田達の知らない戦後が、始まった。




