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1発目

 8畳のワンルーム。貧困オブザ貧困、とでも呼ぶべき部屋の壁際に寄せて畳まれた布団に、年老いた男が腰掛けていた。


 長い白髪は1本に束ねられており、短く切りそろえられた髭が、その輪郭をボヤけて見せている。垂れ目で好々爺とした容姿だが、不思議と、ギラギラとした圧のようなものを放っている。


 部屋の様子といい、男の様子といい、違和感の塊のような存在だったが、それ以上に不似合いな物があった。

 彼の右手に握られた、古びた火縄銃だ。鉄は黒々と焼けていて、塗られた漆と金の細工が美しい。

 反対の左手には、柄が短槍のように長い日本刀……長巻まで握られている。


「此度は随分とまァ、けったいな様子で来たな」


 男が冷たい目で床を見下す。

 そこには、土下座している金髪の女性がいた。男の位置からは見えないが、西洋風の彫刻のように整った顔をしている。


「心よりお願い申し上げます。どうか、どうか、死んでください!!!」


 あまりにもあんまりな要求だが、男に驚いた様子はない。


「随分と長いこと生きた。否やは無い」


 堅苦しい物言いの男に、女はがばっと顔を上げ、目を輝かせた。


「さりとて、是とも言えぬな」


 女の眉毛が下がり、しゅんとした顔になる。


「どうしてでしょうか?」


 死ぬ気は無い、という当たり前の返事を、さも不思議なことのように訊ねた。それを怒るでもなく、男は頬を緩めた。まるで遠い景色を思い出すかのように。


「天下を……天下を、見たかったのだ。誰の下でもなく、この手で、天下を掴みたかった。天下を獲るまで死んでたまるかと。逃げに逃げ、山に篭もり、大陸に挑み、大戦を駆けた。が、ついぞ死ねなかった」


 髭に隠された右頬は、目を凝らせば火薬のカスで焼け焦げ、真っ黒に色づいている。

 左手の小指の付け根には、撃ち抜かれた穴が空いていた。


 満身創痍。古傷がない場所などない男に、女は微笑んだ。


「ええ、存じております。そこで、我が主は提案なされました。ただ死ぬのではなく、異世界への転生を。まだ、剣や弓、そして魔法で争う、乱世の世への転生です」


 男の目がピクリと動いた。

 興味を示したのだ。


「小さなものですが、領地もございます。配下となる存在もおります。その代わり、条件はございますが……天下を獲るならば自然と成せる条件でもあります。いかがでしょうか?」


「所領安堵か。分かっているじゃないか」


 男の口元がにぃと獰猛に笑った。

 火縄銃をそんざいに床に投げ捨て、長巻を抜き放つ。ぎらりと剣呑な輝きが刃先に踊る。


「ぴぃっ!?」


 女が悲鳴を上げるも、男は意に介した様子はなく、床に長巻を突き刺した。

 くるりと女に背を向け、どっかと座る。


「あい分かった。この首くれてやろう。異世界へと、案内せよ」


 女はおそるおそる、長巻を引き抜くと、上段に構えた。その背中からふわりと一対の白い翼が生える。

 天使。

 それが、彼女の正体だった。


「確かに、送り届けいたします。……失礼」


 がつり。

 枯れ果てた肉を斬る音はあまりに希薄で。古びた骨が断たれる音ばかりが響いた。


 その目に光を失った男の頭が転がる。生前あった迫力は、嘘だったかのように消え失せていた。


「およそ500年。生きも生きたものです。……雑賀孫市」


 織田信長すら苦しめた、戦国時代の傭兵集団。それが雑賀衆だ。

 農民であり、商人であり、傭兵であり、支配者であり、そして――――鉄砲の名人たちでもあった。

 彼らを率いた長、雑賀孫市。


 雑賀衆の長が名乗る名前であり、1人を指すものではない。

 役割ごとに複数人いた。

 本当の生死はわからない。


 正体がゆらめく、未だ全貌が明かされない戦国の雄。


 本当に彼だけが、雑賀孫市だったのかは分からない。

 果たして何代目なのかは、わからない。


 だが。令和の世に至り、ついに。「雑賀孫市」を名乗る1人の男が、人知れずその生を終えたのだった。





 真っ白な空間だった。無数の青白い光の玉が漂い、うごめく。その中に、紅の着物を身につけた、黒髪おかっぱの幼女が浮かんでいた。


 可憐な顔には、焦りのようなものが浮かんでいる。


「まだかの、まだかのぅ」


 そう、呟いたときだった。背景を失った絵のような場所に、孫市の首を落とした天使がふわりと姿を現す。


「やっと来たか!」


 幼女の顔がぱぁっと明るくなった。

 天使が深々と頭を下げる。


「主よ、お待たせいたしました」


「早う出して欲しいのじゃ!」


「はっ」


 天使が両手を前に差し出すと、漂う光の玉に似たものが飛び出した。

 が。

 色は似ても似つかぬ、禍々しい黒色で、触手のようなものがザワザワと動いている。さらには、鋭いトゲが飛び出しては引っ込んだりを繰り返している。


「ひぃっ、なんじゃこれは!」


 幼女がドン引きした様子で声を上げた。

 それに反応したのか。黒い塊に横一線の切れ目が入る。

 ――ぐぱぁっ。

 粘液質な音を出し、切れ目が開いた。出てきたのは、真っ赤に充血した眼球。


「うぇぇ、なんじゃこれ、なんじゃこれ!」 


「雑賀孫市の魂です」


「禍々しすぎるじゃろ!?」


 大きな悲鳴に驚いたのか、周りに漂う綺麗な光球が逃げるように遠ざかった。


「500年も執念で生きてましたからねぇ。それに、戦国時代に朝鮮出兵、戊辰戦争やら日清日露に2つの大戦。果ては中東の戦争まで、あらゆる戦場で殺しに殺してきましたから」


「人間ではなく、鬼と思った方が良いのぅ……」


「はい。仙人の類かとも思ったのですが、どうも仙気や聖気の類は一切感じられなかったので。どちらかというと、猫又みたいな妖怪化をしているんだと思います」


「とんでもない化生じゃの」


 幼女は困ったように黒い球体を見下ろす。と、じろりと孫市の魂についている目が動いた。幼女と視線を合わせる。


「ひぅっ。な、なんじゃ」


 球体の大きな眼球の、瞳孔が縦に裂けた。ヤギの目のようになったそこから、歯がにょきりと生える。


「お初にお目にかかる」


「しゃべったぁぁぁぁ」


「ふむ。今のわしの姿はまるで喋れそうにない、ということか。はて、生首のまま運ばれたか」


「発想が生々しいのじゃ! おぬしは今、魂だけになっておる。普通はしゃべったり出来るものでない」


「そうか。便利な魂を得たものよ」


「前向きじゃな!?」


 幼女はツッコミに疲れたのか、肩で息をしてから、どこか力ない声で言う。


「さて、遅れたが……。我こそがおぬしを招いた神。スクナじゃ」


「ほう、鬼か」


 古代日本の伝説に、両面宿儺りょうめんすくなという鬼が登場する。それを思い浮かべた孫市に、スクナは首を左右に振った。


「縁はあれど違う存在じゃな。とりあえず関係はない、と思ってくれればよい。地球がある世界線とは、そもそも関りが希薄だしのぅ」


「なるほど。そんな関りの薄い神が、なぜ地球の儂の命を欲した」


 孫市の冷たい声に、スクナは後ずさった。


「ち、違うのじゃ。もともとは、そちらの神に頼まれてのことなのじゃ。世界の理に反し、死をばら撒く不死の魂を厄介払いしようとしおっての。力関係が弱い我が……そのぅ、あのぅ」


「貧乏くじを引かされた、ということか」


「言いにくいが、そういうことになるの」


「しかし殺すに殺せず、転生を条件に儂を連れてきたということか。とは言えだ。他所の神が嫌がった存在を自分の世界に転生させるなど、スクナにとっても不都合であろう。そこはいかが説明する」


 痛いところを突く質問。にはならなかったらしく、スクナは真剣な表情で頷いた。


「こっちにはこっちの厄介者がおっての。領地と配下を用意する故、それらを倒して欲しいのじゃ」

実在の人物や実在の歴史とは一切関係がこざいません。

あとデバイスの都合で半角数字です。

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