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いぬみみうさみみ 第10話  作者: 佐倉蒼葉
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第4章

 伊野さんから電話をもらったのは週半ばの夜の事だった。

「モデル頼んどいて悪いんだけど、今回のAIM、俺パスするわ」

「ええっ?何で?」

「仁史を撮るのに事務所の許可が下りなくてよ…」

「そうなの…?」

 モデル事務所というのはそんなに厳しいものなのか、と思った。確か学校の後輩を二十人くらい集めるって言ってなかったか…?

「仁史君抜き、っていうのはダメなの?」

「ダメだ」

「どんな写真を撮ろうと思ってたの?」

「キス」

「はあ?」

 テーマは『K』だった事を思い出した。それで……キス?

「カップルとかじゃなくてよ、性別も立場も関係なく、ほっぺでも額でもいいから、キスしてる大勢の写真をコラージュしようと思ってたんだよ」

「だったら、仁史君居なくてもいいじゃない」

「……おまえとくっつけるつもりだったんだよ」

「……」言葉も出なかった。

「おまえら、見てて焦れったいからよ……」

 そんな風に見えるのか───私は思い切って言う事にした。

「ごめん、そういう事なら私も断る。…私、他に好きな人いるから」

「やっと認めたか」

 フッ、と笑われた。……あれ?

「まさか今の、誘導尋問?」

「そんなつもりなかったが、結果的にそうなったな」

「やられた…」と私は呟いてこたつに突っ伏した。

「まあ、仁史はキスの写真は事務所がNGって事で」とくつくつ笑う伊野さん。「じゃあな、頑張れよ」と言って電話を切った。

 頑張れと言われても───

 気になっている事はあった。先日の停電だ。

 今のご時世、停電などほとんどない。あっても雪明かりで真っ暗闇にはならなかった筈だ。そして前に和泉さんから聞いた話にあった、「空間の歪みに僕も落ちた」というのを思い出していたのだ。

 ≪そこは真っ暗な闇で───姿は見えなかったけど、彼女がそこにいた。やみくもに手を伸ばしたら彼女に触れて…怖かったよ≫

 それに似ている……

 「ミオさん?」と呼び、暗闇で触れた手を引いて、胸に抱き寄せたのが和泉さんなら───

 思わず「うわあ」と声に出して、またこたつに突っ伏した。

 手には携帯電話を握ったままだ。

 メールで訊いてみようか……そう思ったのも初めてじゃない。でも何て言えば……そしてあの時の人が和泉さんでもそうでなくても、心を乱されるのだ。

 ≪おまえとくっつけるつもりだったんだよ≫

 伊野さんに、そんな風に思わせてしまうのなら、私がはっきりしなくちゃいけない。

 けれど和泉さんの「僕は悔いたよ」の一言が、私を躊躇わせた。

 また───後悔するのだろうか。彼は。自分が、私を惑わせていると。そう思うと訊けなかった。

 私はラジオ宛にメールを打った。「今度会って話したいんだけど、時間ある?」

 あの不思議な暗闇───あれが『空間の歪み』なら、ラジオに話すべきだと思った。少しの間があって、「土曜なら空いてるよ」と返事が来た。六角屋で会うことにして、私は土曜を待った。





 土曜の朝、カーテンを開けて外を見ると、景色は雪ですっかり白く塗り替えられていた。昨夜だいぶ降ったんだな……寝ぼけ眼をこすり、台所へ行ってお湯を沸かす。インスタントコーヒーを淹れた。東さんの写真に向かって、おはよう、と呟く。トーストで簡単に朝食を済ませた。いつも通りの───だけど少し、何かが違う朝。

 ネイビーのVネックニットとジーンズに着替えた。鏡台に向かう度、東さんの言葉が思い出される。

 ≪きれいでいろよ≫

 今日はゆっくりと、アイシャドウの色を選ぶ。丁寧に陰影をつけてゆく。ピンクベージュのグラデーション。同じトーンのチークで頬に血色を与える。ピンクの口紅を塗ったら、顔色が一段明るくなった。「うん、よし」と呟いて微笑んでみる。最後に温かみのあるフレグランスを頭上でシュッと噴いた。

 東さんが居た日々のように───

 私はきれいになる。





 午後一時、約束の時間に六角屋に着いた。地下への階段を降りると、そこには傘立てが置かれていて、傘が二本あった。一本はきちんとたたまれて、濡れていない。ラジオの傘だ。また差してなかったんだな、と思ってもう一本を見る。雪に濡れている黒い傘───誰のだろう。入り口に看板は出してなかった。それなら……

 まさか───和泉さん?

 私は緊張しながら六角屋の扉を開けた。絵の廊下に、声が漏れ聞こえてくる。小声で聞き取れなかったが、ラジオの声だと判った。私は小走りに奥の戸口に向かった。

 ラジオと話していたのは高瀬さんだった。

「いらっしゃい」とラジオ。彼はカウンターの内に入って葡萄柄のカップを手に取りながら、「どうぞ座って」と言った。今日はいつものカウンター席に着いた。高瀬さんと向かい合うのは、少し怖い気がした。

「高瀬さん、…今日はどうしたんですか?」

 斜に振り向き、顔は見ないようにして尋ねた。

「ラジオさんに呼ばれて来たんですよ」

 ───『逢坂』ではなく『ラジオ』と名乗った……そして、呼んだ……?

 これから何かが始まる、そんな予感がした。

 ラジオはコーヒーを淹れながら、「天気予報で今日は雪だって言ってたからね。この前、高瀬さんがミオさんの前から姿を消したからくりを、教えてもらおうと思ったんだ」

 そう言って視線を高瀬さんに投げた。

「雪の日じゃないと訊けないと思って」

「知ってるんじゃないですか?」

「まあ、ある程度は。祖父からも聞いてますし」

 ≪おじいさんがね、お父さん達には内緒だよ、って、一度だけ自分の話をしてくれたんだ。僕の力はおじいさん譲りだって≫

「祖父はこう言いました。結晶には不思議な力があるんだよ、と。溶ける雪なら尚更でしょうね。封じている力が流れ出すんですから───それも、辺りいっぱいに。この世界のバランスが崩れるリスクを伴って」

 高瀬さんは無言だった。

「はい」と私の前にカップが置かれた。「あ、ありがと…」

 ラジオはカウンターを周っていつもの席、私の隣の椅子に腰を下ろした。私に背を向け、椅子に横向きに座り、高瀬さんの方を見た。

 その瞳には光が宿っているだろう───私からは見えない。

「僕がわざわざ大阪から出向いたのは、呼び出したのがラジオさん、あなただからです。その瞳の光は……鏡を見ているようだ」

 高瀬さんはフッと苦笑した。

「あなたもこう呼ばれるでしょう。『ポラリス』と」

 ポラリス?

「北極星ですか」とラジオが『北天』を見た気がした。高瀬さんは続けた。

「僕は空木秀二とは面識はありませんが、彼もポラリスだったと思っています。ほら、この絵……北極星が赤いでしょう」

「はい」

 私は黙って聞いているしかなかった。

「北極星は『動かし難いもの』……つまり真理や事実を象徴する星です。…とは、以前お話しした『時と記憶の番人』がそう言っていたんですけどね」

「…はい」

「つまり僕も『ポラリス』と呼ばれる、番人の一人なんです」

「……」

「空木秀二もそうだったと思われます」

 はあ、と高瀬さんは深く息を吐いた。

「番人はこの世のものならざる者ではないんです。誰かがどこかで、その役目を果たしている。それが例え無意識でも」

と、彼はコーヒーを一口啜り、

「自覚のある者もいます。会ったことはありませんが。いや───今、初めて会ったかもしれません」

「…僕ですか」

「ええ、そうです」

「僕は『ポラリス』と呼ばれた事はありません」

「そうでしょう。僕も今初めて話すのですから」

 私は息を殺して二人の会話を聞いていた。

「空木秀二はこの『北天』を、次代のポラリスに真理を伝える為に描いたんでしょうね。まさか二人も現れるとは思ってなかったと思いますが」

 そう言って高瀬さんはクスと笑った。

「いや…判っていたかもしれません。『宿命』が櫂にあったのが僕のさだめだったのだとしたら……」

 高瀬さんは『北天』を見つめた。

「この『北天』を見る為だったのだと思います。空木の絵を探し、この絵を見つける為の」

「…そういう事ですか」とラジオは頷いた。

「ええ。…話が逸れてしまいましたね。僕が消えたからくりを聞きたいんでしたっけ」

「判ってしまったかもしれません」とラジオが苦笑したのが肩の動きで伝わった。

「この前お会いした時、美緒子さんの前から消える為に雪の力を使ったと仰ってましたね。それと同じで、砂糖の結晶の力を使って空間を曲げて消えた……という事でしょうか」

「その通りです」

「ましてここは六角屋です。『北天』に当てるライトを変える事で空間が歪むのを確認しました。砂糖の力を借りなくても良い程の力が『北天』にはあります。この事は遠山さん……ここのマスターですが、彼にも言っていません」

 遠山さんも知らなかったのか、と少し驚いた。

 こんな秘密を───私が聞いていて良いのだろうか。

 それを感じ取ったらしい、ラジオが言った。

「ミオさん、居て。彼の話を聞いた証人になって欲しい」

「それはどうかと思いますよ」と高瀬さんは険しい目をした。

「あなたは…」と私を見て、「美緒子と同じく、忘れるべきです」

「高瀬さん、僕は、それは違うと思います」とラジオが遮った。

「この時間も、一瞬一瞬の積み重ねです。人生はそうして紡がれていくんです。人の人生を……勝手な都合で人生の瞬間を奪って良いと言うんですか」

「僕もそう言いましたよ。十一年前に」

「……」

「だから賭けをした。美緒子の記憶を、そして自分の記憶を守る為に。人生は他の誰のものでもない、自分のものだって」

「……そして負けたんでしたね」

「はい」

「美緒子さんも、もう思い出して良い時ではありませんか?ダメだと決めたのは高瀬さん、あなたですよね。美緒子さんはあなたの『記憶の地平』を見て思い出したと言っていました。あの絵はあなたが記憶を取り戻したから描けたんだ。美緒子さんにもその時が来てもおかしくはない筈です」

「……」

「美緒子さんを思い出した時を考えてみてください」

「……忘れていませんでしたよ。彼女の事は。彼女の方は僕を忘れていましたが」

 そしてフッと微笑みを浮かべて、高瀬さんは遠くを見るような目をした。

「あんなまっすぐな女の子、他に知りませんでした。いや…最初は警戒して、誰にも本心を見られないよう隠していましたが。一日一緒にいて、判ったんです。素直で、僕を信じてくれて。たった一日だったけど、忘れ難い一日でした。僕が忘れていたのはその日の記憶の一部だけ…あの景色だけです」

 目を伏せて思い出す。『記憶の地平』───あの、あたたかく輝く、朝焼けのような広がり。

 それと同じものを描いたと言われる『北天』。北天は夜空だ。どこが同じなのだろう。印象だけは似ていると思う。だが、『同じ』とは思えなかった。

 ただ、伝わってくるものがあった。

 自分を忘れてしまった美緒子さんを、ずっと愛していたこと───

「ラジオさん」と、彼はまたラジオを見据えた。

「あなたのような輝きを持つ瞳は、『ポラリスの眼』と呼ばれていて、その眼を持つ者は『真理の番人』としてこの世に点在するんですよ」

「真理の番人?」

「先程、あなたが言ったでしょう。雪は『この世界のバランスが崩れるリスクを伴って』降ってくると。そのバランスを取るのが番人の役目であり、中でもポラリスはこの世の真理を見出し、守らねばならない。真の理、です。それは一見誰にも揺さぶる事の出来ないものに見えますが、実は非常に脆いものでもあるんです。雪が降るようにね」

「…仮にそうだとして」とラジオは訊いた。

「この世界のバランスが崩れたら、どうなるんですか」

「予測もつきません。前例がないもので」

「それでは納得がいきません。真理は自然の中にあるものではないですか?それを守る人間が必要だという意味が…理由が判りません」

「それなら…」

と高瀬さんの瞳の光が鋭く瞬いた。

「見てみますか?この世界の真理を」

 ───え?

 そんなものが目に見えるのかと疑問だった。

「お先に」と高瀬さんは席を立ち、『北天』の正面に立った。右手を中央の赤い北極星にかざすと───

 絵が波打った。右手を中心に波紋が広がってゆく。音もなく……高瀬さんの背中が動く。絵に向かって進むと右手が絵の中に沈んだ。そのまま歩いて、高瀬さんは絵の中に姿を消してしまった。

 これが───空間の歪み───

 ラジオがやっと振り向いた。真顔で私を見て、「一緒に行こう」と言った。

「僕らには多分必要だから」と彼は手のひらにわずかに砂糖を載せ、指先に取った砂糖を舐めた。「ミオさんも」

 私も真似して砂糖を舐めた。

「行くよ」

「…うん」

 ラジオが私の手を握った。ぎゅっと力を込めて。ラジオが『北天』の北極星に手をかざして、私たちは波紋を広げて波打つ画面の中へと進んで行った。


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