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いぬみみうさみみ 第10話  作者: 佐倉蒼葉
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第3章

 高瀬さんはコーヒーを一口啜り、「何から話せばいいのか…」と呟いた。「そうだな、まず僕がなぜ今、東京に居るのか、から…」

 それはつい先程の事だったと言う。

「僕は仕事で外回りをしていました。櫂に戻る道を曲がったら、景色が突然変わった。大阪は晴れなのに雪が降っていて…そこは見覚えのある団地でした。僕がまだ学生だった頃に一人暮らしをしていたアパート近くの団地で、毎朝駅に向かうのに使っていた道だった。僕が初めて美緒子に声をかけた場所でもありました」

「はい」と続きを促すラジオの声。

「話は十年…もっと前か、そのくらい前のクリスマスイブにまで遡りますが…」とまたコーヒーを一口飲んで、「美緒子は通学に使う電車が同じで、毎朝見かける、ちょっとユニークな子でした。地下鉄なのに、暗い窓の外の景色を楽しそうに眺めている。面白い子だな、と思っていたところへ、団地に積もった雪に足跡を付けて遊んでいるのを見かけて……おはようございます、と声をかけたんです」

 そう、あれは雪の日でした───と言って、高瀬さんは沈黙した。次に何を言おうか考えている様子だった。

「美緒子はちょっと世を拗ねた、無愛想な子でした。電車では楽しそうだったのにね。けれどその日一日を一緒に過ごして───だんだん、本性と言うのかな、本心を見せるようになったんですね。雪のせいかもしれません」

 雪のせい……?

「先程、『結晶の秘密』と仰いましたね。僕らはそれに気づいてしまったんです。仕方なかったと思います。雪が次から次と降ってきて、結晶が溶けてはそこに秘めていたものを思い出させたのだから」

「結晶に秘められたものですか」とラジオ。

「そう、それで僕は今日、大阪から一瞬で東京に移動し、そこで美緒子と再会したんです」

「ちょっと待って、急に話を変えないでください」と私は口を挟んだ。高瀬さんは「順序立ててお話ししていますよ」と静かな声で言った。

「彼女は雪の結晶の力を使って、僕を大阪から引き寄せたんです」

 ───どこかで聞いたような話だ。

 そうだ……由加さんが空間の歪みに落ちた時に和泉さんを呼び寄せた、と───

「驚かないんですね」と高瀬さんは私たちを見た。

「予測し得たので」とラジオ。

「なるほど、僕と同じくらい判っている、と仰る通りなんですね」

 高瀬さんはわずかに苦笑した。

「では、これは知っていますか?この世界には番人がいると」

「番人?」

「彼らは、結晶の力を秘密にし、守っている」

 ラジオは頷いて、「それは知りませんでした」と言い、煙草に火を点けた。高瀬さんが続ける。

「だから僕と美緒子は彼らと敵対する事になった。……闘った訳ではありませんが……ゲームをしたんです。僕と美緒子の記憶を賭けて、時と記憶の番人たちと」

 ラジオは「時と記憶の…」と呟いて煙をそっと吐き出した。

「…そして、僕らは負けたんです。だから記憶を抜き取られた」

「高瀬さん、先程仰いましたね。『思い出してはならない事』と。それは誰が決めるんですか?」

「自然が…宇宙が…この世界が決める事、と言えば良いでしょうか」

「どういう意味ですか」と私。

「自然の理、だという事です」

「という事は、思い出すのは自然の理に反する事なんですか」

「いいえ。彼らは言いましたから。『いつか全てを思い出す』と。僕らは、ただその『いつか』より早く、この世の記憶に気づいてしまった。最初は面白半分に、雪の結晶の力を使っていた。だから番人が現れたんです。この世の秩序を乱さない為に」

 いつか全てを思い出す───

 美緒子さんの言っていたのはこの事か……

「では」とラジオが煙草の火を消した。

「美緒子さんは、思い出した…、つまり『いつか』が訪れた、という事でしょうか」

「判りません。ただ、僕の描いた絵をきっかけに思い出したのなら、その『いつか』はまだだったのかと思います」

「けれど雪の結晶の力で高瀬さんを東京まで引き寄せたんですよね。それがどれほどの想いからだったか、想像されましたか」

「…しました。そのくらいの事は判るつもりです。だから僕は───彼女の前から消える為に雪の力を使いました。そうしたら、この近くに出た、という訳です」

 そう語って彼は『北天』に目を遣った。

「『北天』が僕を呼び寄せたのかもしれません」

「美緒子さんは…どうしたんですか…?置き去りですか…?」私の声が震えていた。

「いや、少し話して…今はまだその時じゃないと…さよならを言いました」

 高瀬さんの瞳の光が滲んだ。涙となってこぼれそうに見えた。

「そろそろ列車の時間なので…これで失礼します」

 立ち上がった高瀬さんに、ラジオが引き止めるように言った。

「『その時』は誰が決めたんですか」

「僕です」

 では、と彼は深くお辞儀をした。私たちの顔を見ないように彼はすっと動いて六角屋を出て行った。後に残った私たちは、ただ『北天』を見つめるしかなかった。

「いつか全てを思い出す───か。だとしたら、高瀬さんにはその『いつか』が来たんだろうね。『記憶の地平』を描く事が出来たんだから」

「あ、そっか…」

「『全て』はきっと空木秀二が描いたような『あらゆるもの』なんだろう…。高瀬さんは言葉を抑えて言わなかったね。『後悔する』と言った、その真意を」

 そう言ってラジオはまぶたを閉じた。

「彼は優しい人だよ」

「…うん、そうだね…」

 私たちを揺さぶる高瀬さんの悲しい波動が、いつまでも六角屋を満たしているような気がした。





 独りの部屋に戻って明かりをつけて、誰にともなく「ただいま」と言った。「おかえり」と部屋中のものたちが応えるような気がした。私は冷蔵庫から、包みを開けたチョコレートを取り出して、東さんの写真の前に置いた。「おすそ分け、もらうね」と言って一粒つまむ。

 いろんな事があったな……疲れていた。チョコの甘さが身に沁みた。

「中途半端、か…」

 伊野さんの「俺が認めない」が思い出された。どうしたらラジオのように認めてもらえるだろうか。───何をばかな事を考えてるんだろう。恋人じゃないのに。「愛おしかった」という言葉が本物だとしても。

 窓を開けると雪が舞っていた。私はそれを手のひらに受けて溶けるのをじっと見た。

 結晶に封じ込められているのは何か。

 次々と手のひらに落ちる雪を、そっと舐めてみた。

 何も起こらなかった。

 どうすれば奇跡を起こせるのだろう。

 『いつか全てを思い出す』。

 私には、まだその時ではないのだと思われた。

 ───和泉さん。逢いたい……

 そう思った瞬間、ふっと明かりが消えた。

 停電?

 どこもかしこも暗闇で、私は手探りで部屋を歩いた。懐中電灯はベッド下の引き出し……その辺りと思われる場所を探ってみた。何の手応えもない。ここは───どこ?

 不意に近くに人の気配を感じた。「…誰?」と声に出した。でなければ怖かったのだ。

「…ミオさん?」

 この声は───

 少し低い、柔らかな声。

「和泉さん?」

 やみくもに手を伸ばすと指先に何か触れた。と、手を掴まれた。再び「ミオさん?」と問われて私も「和泉さん?」と訊き返した。

 何が起こっているのか判らなかった。

 その誰かは私の手を引っ張って、その拍子に私はその人の胸に倒れ込んだ。

 ───東さんの匂い……

 そう思った時、誰かの気配は消えた。明かりが点って、私は部屋の隅で壁にすがりついていた。

 気のせい───

 頭がガンガンと痛くなって来た。

 今のはいったい何だったのだろう。

 幻覚…?

 きっと和泉さんに逢いたい気持ちが強すぎて、停電のせいであんな幻覚に襲われたんだろう……

 自分が恥ずかしかった。

 東さんの写真がこちらを見ていた。私はそれを裏返しに置いた。

 ごめんなさい、東さん───

 やっぱり、あの人が好きみたいです。


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