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いぬみみうさみみ 第10話  作者: 佐倉蒼葉
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第1章

 今年も、この時期が来てしまった。

 日曜日のデパートである。特設会場の売り場には、女性ばかり。チョコレートの見本が並び、ラッピングされた箱が山積みにされていた。そう、バレンタインの時期だ。私は空の買い物カゴを提げて、呆然と立ち尽くしていた。

 去年は義理チョコだけだったので、何気なくあれこれと買ったけれど───

 まずは、会社で配る分。これは必要と思って、大きい箱を一つ取った。後は……

 会社で配っているのだから、仕事仲間の伊野さんの分がないのは不自然だ。けれど。

 ≪俺じゃダメか≫

 伊野さんの気持ちを知ってて、義理チョコを渡すのはどうかと思われた。するとアシスタントのひかる君の分も買えない。そして───

 ラジオは義理チョコとして受け取ってくれるだろう。心配はない筈だが……伊野さんには贈らない事を思うと渡しにくい。

 そして、もう一つ、買おうかどうか迷っていた。

 遠いし。住所も連絡先も知らないし。和泉さんの分は必要ないだろうと思うのに、気づくとチョコを探している。渡せる機会の可能性を考えてしまう。

 ───ええい、今年は義理もなし!職場の分だけ!

 レジに並ぶ列の最後についたところへ、「ミオさん?」と声をかけられた。振り向くと短い赤い髪が目を引いた。梢子さんだった。

「こんにちは」と微笑む彼女が手にしたカゴには、同じ包みの箱が三つ、入っていた。

「梢子さんも野宮君にチョコ買いに来たの?」

「はい。あと山崎君と店長の分」

とカゴをちょっと上げてみせる仕草が可愛かった。……だが。私はカゴを覗き込んで尋ねた。

「三人とも、同じチョコなの?」

「はい」

「ちょ、ちょっと待って、」笑いが引きつった。「野宮君のは本命チョコじゃないの?」

「え?」梢子さんはきょとんとしてわからないといった顔だ。

 私は梢子さんの腕を引いてレジの列から離れ、チョコの棚の前に戻り、「彼氏には義理とは別のチョコじゃないと…がっかりしちゃうよ?」と言った。

「去年は別に何も言われなかったけど…」

 野宮君、大人だ。ちょっとかわいそうな気もした。でもそれが彼女らしくて可愛いとも思った。

「ミオさんは、逢坂さんにあげないの?一つなんて。でも大きい」

「あーこれは職場でみんなに配る用…」

 前髪をかき上げる手を額で止めて、付け足した。

「今年はそれ以外義理チョコもやめようと思って」

「それって本命がいるから?」

「え、」

「薄く見えてます。スーツを着た眼鏡の人」

「……」

 私は絶句して、顔が赤くなるのが自分で判った。

 梢子さんはラジオ同様、能力者だ。その力は弱いとはいえ、私とは波長が合うらしい。誰にも見えない私の心が映像として見えてしまうのは二度目だ。それが和泉さんの姿をしていると指摘され、私が惹かれているのはやはり和泉さんなのだと思い知らされて、私は幻をかき消すように両手を振るという、意味のない動作をした。

「…と、とにかく、野宮君のチョコを探そう?ね?」

「つらくないですか?」

「え?」

「私にはミオさんがつらそうに見える」

「……」

 ≪泣いていいんだよ。僕の前では≫

 ラジオにも私はつらそうに見えたのか───そして、梢子さんにもそう見えるのなら、私は作り笑いをしなくてもいいのか───うなだれると「ごめんなさい」と聞こえた。「ううん、謝ることじゃないよ」と言うので精一杯だった。





 その後、チョコレート売り場で梢子さんと別れた。これから野宮君とデートだと言う。バレンタインは明日だけど、フライングで今日渡して驚かせるのもいいね、なんて笑って話した。

 デートか……いいな。

 ちくりと胸が痛かった。結局、梢子さんの説得で、私は義理チョコをいっぱい買い込んだ。伊野さんもこれまで通りにしてくれているのだから、私が変な態度を取る方がおかしい、と思い直したのだ。ラジオには本当に、いろいろお世話になっているのだから、そのお礼と思えばいい。

 一つ、余計に買ったのは、自分が食べる分だ。そう、自分の。

 梢子さんには「本命の人の分も買った方がいい」と言われたのだけど。渡す術もない。

 買って来たチョコを冷蔵庫に入れた。100円ショップで買った保冷バッグは三つ。会社用、伊野さん用、六角屋用だ。寒い季節とはいえ、部屋は暖かい。チョコが溶けないように……なんて思いつつ、忘れそうだったので『チョコ』と書いた付箋を冷蔵庫に貼った。

 なんとなく、ラジオのチャットルームを覗いた。独りには慣れているけど、少し寂しくなったのは、デートに行くと言う梢子さんが羨ましかったのかもしれない。

 『入室:1』。誰かいる。ラジオかな、と思って入ってみると、和泉さんだった。


  海音:こんばんは

  rhythmi:こんばんは。お久しぶりです

  海音:お久しぶりです


 この前話した時を思い出そうと必死だった。和泉さんも普通に接してくれていたから、普通に普通に……と思うほど、言葉が出て来ない。しばし沈黙。ややあって、彼から話しかけてくれた。


  rhythmi:今日は何してましたか?

  海音:買い物行ってました。バレンタインチョコ

  rhythmi:良いですね。僕は今年は多分ゼロ個です

  海音:なんで?

  rhythmi:男所帯の職場だから(笑)


 胸がドキドキする。チョコを渡せれば…と思い、ふと思いつきで訊いてみた。


  海音:もし差し支えなかったら、メアド教えてもらえませんか?

  rhythmi:いいですよ


 そして、メールアドレスが表示された。私は「ちょっと待ってください」と発言して冷蔵庫へすっ飛んだ。『余計に買ったチョコ』を取り出して包みを開け、チョコの写真を撮って即、和泉さんに送った。


  rhythmi:あ、なんか来た

  rhythmi:チョコだ!(笑)

  海音:気分だけでも味わってください

  rhythmi:ちょっと待ってね


 なんだろう?と思って待つ。携帯がメールの着信音を鳴らした。開いてみると……

 和泉さんの自撮り写真だった。唇を結び、片方の頬を膨らませ、それを指差している。本文には「ありがとう。美味しいです」と書かれていた。その顔が面白かったので、ぷっと吹いてしまった。


  rhythmi:海音さんの写真も送って

  海音:え?なんで?

  rhythmi:顔が見たいから


 全身の血がザーッと早く流れ出したような、急激な動悸と恥ずかしさ。私はチョコを1個手に取り、今にも食べるところ、という仕草と顔で写真を撮った。「変顔対決」と本文に書いて送った。


  rhythmi:変顔対決って(笑)

  rhythmi:髪を切ったんだね

  海音:あ、はい

  rhythmi:僕のせい?


 手がキーボードの上で浮いた。何と答えたものか逡巡した。


  rhythmi:この前は言えなかったけど

  rhythmi:ごめん


 謝らないで、と思った時───

 ピーンと耳鳴りの向こうで声がした。

 ≪謝らないで≫

 ≪……忘れる、から≫

 以前にも聞いた、ふわっと柔らかな可愛らしい声……

 同じ声を和泉さんも聞いた筈だ。

 ≪後戻り出来ると思う?≫

 出来ない。出来る訳がない……


  海音:謝らないで

  海音:後悔してないから


 沈黙が長く感じられた。余計なことを言ってしまったかと不安になった。


  rhythmi:ごめん。僕は悔やんだ

  rhythmi:彼女を裏切ったことになったし

  rhythmi:彼女との約束も果たせなかった

  rhythmi:海音さんの優しさにつけこんで

  rhythmi:僕は甘えていた


「僕は悔やんだ」の言葉が痛かった。やっぱり和泉さんにとっては、あれは過ちだったのだ。両目がじんと痛くなった。パソコンの画面が滲んで見える───泣いちゃダメだ。


  rhythmi:でもね

  rhythmi:初めて会った時からずっとだけど

  thythmi:僕は君の前では自分を偽らないでいられた

  rhythmi:僕の為に泣いてくれた君を

  rhythmi:愛おしいと思ったのも本当だよ


「愛おしい」の文字列が、一瞬よく判らなかった。

 ───え?どういうこと───?


  rhythmi:ごめん、喋り過ぎた

  rhythmi:海音さん生きてる?


 私は慌てて「はい」と答えた。


  rhythmi:ログ流しておこう


と、次からまた何かの詩らしきものが並んだ。


 今なんて言ったの 他のこと考えて

 君のこと ぼんやり見てた……


 そうして、次のフレーズに心臓を射抜かれた気持ちになった。


 君を抱いていいの 好きになってもいいの


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