星降る夜に願いを込めて
久しぶりの恋愛小説テイストです。ちょっと展開急ですが、多めに見てください。どうぞ。
星川結芽は今日も保健室で外を見ている。何を見ているのかといえば、何も見ていない。と、いうよりは何も見えていないのだ。
〜先天盲〜
それが神様が彼女に与えた残酷な運命だった。
彼女はそれが原因で嫌がらせを受け、もう小中と七年と半分も教室ではなくここで勉強など、学校生活を送っている。故にトラウマになって戻れなくなった教室は、彼女の事を忘れ去っていた。もちろん僕に対してのいじめも。
保健室という見えない空間にいる僕らは、もう忘れられている。
「ねえ、セイ、これってどういう意味?」
ある日、結芽が持ってきたのは武器としての攻撃力に定評のある、分厚い点字のシリーズ小説。
彼女が聞いてきたのは、「星降る夜」というありきたりな描写についてだった。
「えーっと、これはね」
説明しようとして、思いとどまった。
なんだろう。星降る夜って。
彼女に視覚を伴う言葉の意味を教えるときには、辞書の堅苦しい表現に頼らず、できるだけ自分の言葉で彼女に伝える事を大事にしていたけれども…
「…なんだろうね」
分からない。試しに辞書で調べてみても「降りそうな程に綺麗な星空」としか出てこないのだ。
違う。そうじゃない。言葉としての意味はそうであったとしても、その言葉だけでは「星降る夜」という情景は、あまりにも表現し得るに足りない。そんな気がしてならなかった。
「辞書には、『降りそうな程に綺麗な星空』って書いてあるかな」
「ふーん。そっかでも、辞書にはって事はセイはその表現に納得いってないんだ」
分かっているのか。
注意深く言葉を聞き取られていたことに感心して、ほう、とため息を付くと、彼女は図星でしょ?と言わんばかりに、こちらを向いて可愛らしくはにかんで見せた。
〜〜〜〜〜〜
「お祭りに行こう!」
何の脈絡も無く彼女がそう言い出したのは「星降る夜」の話の大体一週間後のこと。
あの小さな質問は、心に棘のように刺さって消えなかった。あれからずっと考えていたのだが、自分の中で答えは見つからない。行き詰まっていたのだ。
久しぶりに気分の方向がその事以外に傾いた。そんなものあったか、とふっと彼女に目をやると、後ろに神社の縁日のお知らせのポスターが貼ってあった。
きっと記憶力の良い(というよりは良くないと生きづらいのだ)彼女のことだから、担任代わりの看護教諭がふっと言った事を覚えていたのだろう。
「急にどうしたの?」
「ううん、セイと過ごせる最後の夏だから。思い出づくりだよ」
「…そっか」
僕の声のトーンが下がったのは、彼女がはっきりと「最後の夏」と口にしたからではない。彼女も悲しい事は知っていたし、最後の、と言うところで少し俯いたのもそういうことだろう。僕は、いや、僕もただ、それを思い出すのが嫌だったのだ。
彼女は高校から盲学校に通う。彼女の日常に僕はいなくなるのだ。
保健室で一緒に小学校で五年。中学校で一緒に二年半。彼女は僕をたくさん慰め、僕も彼女をたくさん励ました。親以外で初めて僕を受け入れてくれたのは、他でもない彼女だった。
その日常は、記憶の中の一ページにするにはあまりにも密だった。思った事をあまり口にしない彼女が、寂しい。としおらしい顔で言った記憶が脳裏に浮かぶのが嫌で、僕は彼女との別れから目を背けていたのだ。
僕と彼女は共依存していると言うには互いを大切にしすぎて、恋愛と言うには淡すぎる関係だったけれど。少なくとも彼女も僕を憎からず思っている事を知っている故に、僕は彼女との分岐点までの日数から目を背けていたのだ。
「私も寂しい…でも」
僕の気持ちを察したのか、そしてそれで寂しくなったのか。もう一度、彼女は項垂れながら言った。惜しさと悲しさと不安をないまぜにした表情を僕から隠すように。
「行こう」
でも、そんな気持ちを、ひいてはそれを僕に見せまいとする気遣いを。彼女に背負わせる訳にはいかないじゃないか。
ぱあっと顔を輝かせる結芽はかわいいというより、綺麗という方が表現にあって。そんなちっぽけなことで、僕と彼女の成長を感じ、また、これまでの積み重ねてきた日数が思い起こされた。
「分かった。去年なら即切り捨ててたけれど、最後の年だしな」
僕達は看護教諭に夏祭りの旨を説明した。僕としては断られても行くつもりだけれど、念の為と結芽が止めたのだ。
「ただ、これだけは守って欲しい」
何時にもまして語調を強めた彼は、僕と彼女が姿勢を直したのを見て少し笑ってから、言った。
「まず、絶対に二人で離れないこと。手探りで探せる目印が少ない場所だし、人混みだ。ぶっちゃけ、星川が行くには迷子になりに行くようなモンだ。これは徹底してくれ」
「後、これは分かりきってると思うけど、あんま熱いもん頼むなよ。星川は湯気とか分かんねえ訳だし。小籠包とか100%火傷するからやめとけ。熱中症も気を付けろよ。ドリンクは高いから、近くのコンビニか自販機で買っとけ」
初めの一つ以外は、まるで母親のようなんですけど。そう口を開こうとしたが何も言わなかったのは、彼が少し怖い顔をしたからだ。緊張感を感じたのか、結芽の体が強張ったのが分かった。怖い顔をした看護教諭は、ゆっくり口を開くと、言った。
「絶っ対に。後悔するんじゃねえぞ」
僕達が真顔でそれを聞き取ったのを見届けると、彼はふっと笑って、今度は今までに見たことのないくらい優しい顔をした。
〜〜〜〜〜
ディンドーン
一オクターブほど、音が低く、鈍い結芽の家のインターホンを鳴らすと、ちょっと待って!と何時にもまして慌てた、インターホンより二オクターブほど高く、澄んだ声が帰ってきた。
十分ほど待つと、オレンジの浴衣を着た彼女がちょこんと玄関先に出てきた。
「ああ、聖くんね。今日はうちの娘をよろしくね!」
後ろから顔を出した彼女のお母さんは、じゃ、邪魔者は退散するわね。楽しんでくるのよ!と、朗らかに出て、こちらに何も言わさぬまま去っていった。
「…」
「…」
言うべき言葉が出てこないのは。僕らに照りつける日差しのせいか。はたまた別の何かか。そしてそれは彼女も同じようだった。
「あのさ!」
「何、」
「い、行こうよ」
「そ、そうだね」
ぎこちない会話を交わし、僕は彼女の手を握った。小さい。手汗、大丈夫だろうか。
「あの、手汗。すごいかも。ごめんね」
「ん、い、いいよ全然」
どうして、僕も手汗すごいから。気にしないで。とか気の利くセリフを言えないんだよ!
悶々としつつ足を動かしていると、鳥居が見えてきた。神社だ。
「あれ何?」
彼女が指差したのは、鈴カステラの出店。
「鈴カステラだよ。食べたことあるよね」
「ああ、本当だ。言われてみれば」
「折角だし買ってみようか。すみません。小を一つ」
店のおじさんは、はいよっと、と慣れた手つきで紙袋にカステラを入れた。
「ん、お兄ちゃんデートかい?おまけしといてやるよ!」
違いますよ!デートじゃないです!と言いかけたが、これまた弁解の余地を与えない速度でおじさんは僕らに袋を渡した。
「兄ちゃん、来年は二人で大のパックを買ってくれよな!」
そのおじさんの言葉を聞いたのを最後に、僕らは人混みの濁流に押し流されていった。
「なんか、こういうのも悪くないね。これがお祭りなんだ!」
りんご飴を片手に彼女がはにかんだ。
「うん」
やはり足りない言葉で、僕は返した。
「楽しいね!」
「うん」
その時、少し彼女の顔に、疲れが見えたのだ。
「ちょっと、休憩しようか」
「ん、分かった。あれ、待って、これ何!?」
彼女が振り向いたのは、小籠包の店。
「これは小籠包。熱いから危ないよ」
「そっか、先生の言ってたやつだね。辞めておこう」
咄嗟に前へ向き直る彼女。その拍子に彼女が提げていたトートバッグから、財布が落ちた。
「あ、」
「あ、」
そう言ったのはほぼ同時で。財布を拾う急な姿勢変更で彼女はぐらつき、人が多い場所での疲れも相俟って、人混みの濁流は鈴カステラの時と同じように、しかし今度は僕だけを、道の奥へとさらっていった。
~星川が行くには、迷子になりに行くようなモンだ
〜熱中症も気を付けろよ。ドリンクは高いから、近くのコンビニか自販機で買っとけ。
人はなぜかこういう時、妙に冷静になるもので。看護教諭の声が頭の中を反芻する。
ドリンク…買い忘れた!彼女は飲み物を持ってない!
変に冷静な頭で僕は、考える。
待てよ。結芽は随分疲れた、というか熱っぽい顔してた、あれはテンションが上がっていたからじゃなくて、熱中症の前触れだったのかも…じゃあ早くしないと結芽が!
まずい。
考えろ。どうすればいい。
この神社は回廊型だ。結芽の方に早く行くには逆流していくのがいい。だがそれは不可能に近い。だったらこのまま流れにそって走って行くしかない!
早くしないと!結芽が!
そう思うや否や、僕は人混みをかき分けて走った。
「ごめんなさい!通して下さい!」
「盲目の彼女と、はぐれちゃったんです!」
大声を上げて、ただひたすら走りに走った。
確かここで結芽とはぐれた位置…だが彼女の影は見当たらない。だめだ!もう一周したのか!
「おい!さっきの兄ちゃん!どうしたよ」
鈴カステラのおじさん!僕は藁をも掴む思いで言った。
「結芽が!さっきの彼女がはぐれちゃって!彼女、目が見えないんです!」
「まじか!さっきちらっと見た!よたよた歩いていたが、まだこの近くにいるはずだ!」
「ありがとうございます!」
天の助けだ!この近くに彼女はいるはず!
右、左、灯籠の方へ避けて、必死で彼女を探した。
すると、人混みの中に微かに、あのオレンジの端が見えたのだ。
「ゆめ!」
声を張り上げると、一瞬彼女がこっちを向いたのが見えた。
「ゆめ!待って!ここ!僕だよ!」
「せい?ど、こ?」
「行く!踏みとどまれる!?」
「んん、」
波にできるだけ逆らおうとしている彼女に向かって、もう一度僕は走った。
あと少し!よし、掴んだ!
彼女の手を、絶対に放すまい、と握りしめる。
「ごめん!さっき手を放して。」
「うん、」
息も絶え絶えにそう言うと、彼女は僕に体重を預けた。
まずい。意識は、ある。呼びかけたら返事はできるが、一難去ってまた一難と言ったところか。
彼女に肩を貸して、もう一度ひたすら人波をかき分けた。ジュースの出店は、人波に流されて寄れなかったのだ。神社を抜け、人波が和らいだ中、自販機でアクエリアスを買って彼女に差し出した。
「飲める?」
「ん、」
近くの人通りのない公園に入り、彼女をベンチに寝かせた。
公園は街灯が無くとても暗いので分かりづらかったが、水道があったのでタオルに水を染み込ませ、彼女の額に乗せた。
「ごめん」
少し顔色を直した彼女が、顔だけこちらに向けて言った。
「こっちこそ」
僕も放してごめん。とか、疲れてんの、もっと早く気づいてあげられなくてごめん。とか気の利く言葉はもっとたくさんあった。
「ううん、ありがと、ほんとに、楽しかった」
ただ、どうでもいいんだ。そんなこと。きっと彼女は分かってる。ごめんじゃない。僕が彼女に伝えるべきは、謝罪じゃない。
「ありがとう。僕も。ほんとに楽しかったよ」
「うん」
「来年も、今度は鈴カステラを大で、頼もう。互いの友達を連れて」
「っ!う、ん!」
抱きしめた彼女の体温は、まだ少し熱かったけど、それもまた心地良くて、まるで世界を独り占めしているようで、ふっと零れそうになった涙を堪えて上を向いて、しかしその空を見てこらえた涙が零れ落ちた。
涙で滲んだ空の星が、いや、その夜空が。街灯のない公園から見える星空が。降っていたのだ。地面に、いや、僕らに。
「星降る夜ってさ、」
涙声になるのも構わず、彼女に囁く
「幸せなんだな。」
溢れ出た言葉に、
「それじゃ、分からないよ」
泣き笑いながら囁き返される。そして彼女は、続けた。
「でも、分かった。きっと、すごく綺麗なんだ」
彼女だけじゃない。僕も、いや、きっと誰だって本当の世界なんて見えちゃいない。美しさを何なのか説明すら出来ない。写真を見て、テレビで写って、ああ、綺麗なんだと思ってる。思い込んでる。
でも、本当の綺麗さなんて見えないんだ。花火も雪も、この空も。
ただ一つ言えるのは、世界には、こんな言い表せない美しさがある。
目に見える物じゃなくて、形も無くて、ただ、言葉だけの概念がこんなにも美しい。
星降る夜に願いを込めて。
きっと、いつの日もこの言葉が文字になってしまわぬために。
星降る夜ってなんぞや?っていう素朴な疑問から生まれた作品です。多分、それはカメラやフィルムはおろか、澄んだ田舎の空であろうと見ることは出来ない物なんじゃ無いでしょうか。でも、それはおとぎ話なんかじゃなくて、感極まって涙を堪えて見上げた星空は、星が降っているんじゃ無いかと。
最後にくだらんポエムを投げて申し訳ないですw
また見に来てくれたら嬉しいです!