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午前零時の鐘 1

 高速道路を走る車の窓を雨粒が転がって、窓の外には濡れた夕暮れの街が煌めく。


 それは瑠衣にとって新鮮で美しい風景だけれど、さっきからずっと気掛かりな事があった。

 何度携帯をチェックしても、大志宛てのチャットには既読がつかない。


 どうしたんだろう大志くん。夕方には連絡し合う約束だったのに。

 お仕事まだ終わらないのかな。

 今日はこのまま会えずに終わるの?寂しいな。

 FMラジオから洋楽が流れ、瑠衣は窓の外に目を向けた。


「大志は元気?」

 運転しながら日比野が尋ねてきた。

「元気ですよ。今日は市内で打ち合わせが入ってて、まだ連絡が取れないけど。長引いてるのかな」

「そうか、相手のある事だしな。大志は時間の使い方が上手くて忙しそうに見えないけど、パズル組むみたいに仕事入れてるだろ」

「はい。一度スケジューラー見せてもらったらびっくりしました」


 それでも私と会う時間を作ってくれる優しい大志くん、待っていても大丈夫かな。

 そう思って瑠衣は日比野とたわいない会話を重ねた。

 もしも自分に兄がいたらこんな感じかな、と思えるくらい彼とは打ち解けて話せるようになった。

 からかいもするけど、年下の私をいつも自然に一人前の女の人のように扱ってくれる。


 結局大志と連絡がつかないまま車はY市内に戻り、午後六時過ぎにS町のマンションに着いた。

 駐車場とつながる通用口から入って一階のエレベーター前に出る。


 ロックされた正面玄関のガラス扉越しに人影が見えた時、日比野の足が止まった。


「遥、どうしてここに?」

 彼が言ってガラス扉に歩み寄ると、自動扉が開いて一人の女性が入って来た。

 瑠衣の初めて見る女性で、靴音を響かせ真っ直ぐこちらに来た彼女は鋭く瑠衣を見据えた。


「あなた誰。裕也の彼女?」

「いいえ、違います」

 気圧されながらも瑠衣が答えると、彼女は日比野に一歩近づいた。

「裕也、話があるの。私やっぱり司さんとの結婚は無理。お互いの両親にも言うつもりよ」

「遥、急にどうして?いや、それは俺とする話じゃないな、司と話してくれ。すぐに送るから」

 困惑した様子の日比野が言った。


「そんな、酷いわ!裕也と話したくて私ここまで来たのに」

「この場所のこと、まさか司に聞いたのか?俺には答えられない、駄目だ」

「嫌。嫌よ、帰りたくない!そばに居たい、裕也!」

 彼女は子供がイヤイヤをするように後ずさったけど、眉を寄せた日比野が彼女の腕をとった。

「行こう、遙。帰ってくれ」

「聞いてもくれないの、冷たい!知らん顔しないで、裕也」

 マニキュアをした彼女の白い手が日比野さんの腕を掴んだ。

「瑠衣、また出掛けるから俺はここで」

 それだけ言うと日比野は彼女を伴って再び駐車場につながる扉へと消え、唖然とした瑠衣は一人残された。


 ハルカさん、という人。

 彼女が言ってた司さんて日比野さんのお兄さん。

 ハルカさんは、お兄さんの婚約者さん?

 でも結婚は無理って。


『そばに居たい、裕也!』

 振り絞るように鋭く呼んだ声が耳に残った。



 部屋に戻ると携帯に幾つかチャットが入っていた。

 どれも大志からの連絡ではなく友人からで、中に南絵菜からのチャットがあった。


 写真があるけど。

 え、この写真……。

 これ、今日の私と日比野さんの写真じゃない。

 雨の中、日比野が傘を持って瑠衣とパーキングに向かう途中らしい写真。

 それと一緒にメッセージもあった。

『日比野さんと一緒だったの?さすがに声かけれなかった。けどこれ、どういう事』


 絵菜、あの時見てたの。

 声かけれなかったって、また変に誤解されたの?


 彼女からは時間を置いてチャットが入っていた。

『さっきの写真、間違えて大志くんにも送っちゃった。ごめんね』


 そんな。

 この写真を見たら大志くんにまで誤解されてしまうかも。

 まさかそれで今日連絡が来てない、なんて事ないよね。

 ああ、大志くんと早く話したい。

 彼に誤解されていたら困るもの。


 まだ連絡の取れない大志に電話をしてみたけれど繋がらなかった。





 夜七時過ぎ、咲香の部屋を後にした大志が携帯を見ると、様々な相手からのチャットや着信が入っていた。

 南絵菜からは写真とメッセージが送られている。


 何だろう、このカップルの写真。

 どこだろう、もしかしてこれは裕也と瑠衣ちゃん?


 その写真は、裕也が差し掛ける一つの傘の下を寄り添って歩く二人の姿だった。

 それと『ごめんなさい、誤爆です!瑠衣に送るつもりで大志くんに送ってしまいました』というメッセージ。

 それらを目にした大志の胸によぎったのは痛みと、それに加えて微かな安堵だった。



 そもそもは先月のある日、高校時代のサッカー仲間達とY市内のスタジアムでサッカー観戦した。

 SNS経由で連絡しあい、軽い同窓会気分で集まったメンバーの中には伊原咲香も居た。


 試合は贔屓のチームが完勝して一気にハイテンションになり、皆んなで食事に流れた。

 咲香の家が自宅から意外と近いと知ったのはその時だった。


 そして今日。

 ちょうど僕が仕事を終えた頃、咲香から電話があった。

「咲香、どうしたの?」

『急にごめんね、大志。ちょっとだけ手をお借りしたい事がありまして。話してみていい?』

「いきなり改まって、どうしたの」

『あの、実はね。家のリビングの電灯が切れたから交換しようとしたの。けど脚立に乗っても私じゃチビだから全然手が届かないんだもの。大志、助けて貰えない?』


 実際、咲香は小柄だから困ったろう。

「何だそんな事?僕はたまたまこっちに居るから、これから行けるけど」

『良かったあ。兄を呼ばなきゃ駄目かなって思ってたとこ。でも家が離れてるし、絶対文句言われるし。助かったわ、じゃあ待ってるね』

 その時も別段後ろめたさはなかったから、気軽に引き受けた。


 初めて咲香の部屋を訪ねると、リビングの真ん中に脚立が置かれていた。

「ほらね、お手上げなの」

 困った顔の咲香が笑い、すぐに僕は電灯を交換してやって脚立を降りた時。


 そばに立っていた咲香が僕の胸に腕を回してきた。

「咲香、どうしたの急に」

「ありがとう大志。日が暮れる前に来て貰えて良かった」

「どういたしまして、でもこれは駄目だよ。離して」

「ごめんね大志」

 僕を下から見上げて咲香は言った。


 でも、僕の体に回した腕を解かずに背伸びした彼女はそのままキスをしてきた。

「駄目だよ咲香、僕には……」

 回された腕を解こうとすると、咲香はますますピッタリと体を合わせた。

「瑠衣ちゃん、だったよね。いいな、大志はきっとすごく優しく扱ってお姫様みたいな気分にさせてるんでしょう?」


 僕のポケットで携帯が震えて気が逸れると、咲香の腕が僕の首に回され唇が触れた。

「まだ帰らないで、ここに居て大志。好きなの、二人になりたかったの」

「駄目だよ、ね」

 言い聞かせるように咲香の両腕をとって離そうとしたら、潤んだ瞳を向けて彼女は囁いた。

「大志じゃないと私は駄目なの。お願い、大志が欲しいの」


 瑠衣ちゃんからチャットが入ってる。けど今はそれを見る勇気がない。

 前に彼女が僕の部屋で裕也から預かったキーを落とした時は、激しい嫉妬に駆られた。


 なのに今日、僕は何をした?


 悪気のない瑠衣ちゃんに嫉妬しておきながら、自分に訪れた偶然と誘惑にあっさり落ち込んでしまった。

 この写真にはやはり胸が痛む。


 でも裕也と瑠衣ちゃんの性格からして、僕が裏切られたとは思えない。

 それに、何を言う資格も僕にはない。

 むしろこの写真が本当に裏切りを捉えていたのなら良かったのに。

 免罪符を求める罪人みたいに、自分勝手な安堵を求めてしまう。


 それに絵菜ちゃん、誤爆だなんて嘘だろう。

 君は正義感のつもりだろうけど、こんな風に人を裁こうとしては駄目だ。

 皆んなが傷つくだけだから。


『絵菜ちゃん、写真見たよ。でも、これは良くない。もう二度とこんな事をしてはいけないよ』

 大志は絵菜にそうメッセージを返した。

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