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掠めとる愛 6

 六月になり、ムッとする湿気がまとい付く曇天の日曜日。

 瑠衣がキョウと銀座での動画撮影を終えたのは午後三時過ぎのことだった。


「瑠衣、カフェでちょっと休もっか?」

「キョウが時間大丈夫ならいいよ」

「これから用があるけどまだ大丈夫。和風パフェがあるお店が近いから行ってみない?そしてここで解散ね」

「いいよ。和風のパフェなんだ、そのお店どこなの」

 並んで歩いていると向こうから歩いてきた人を見たキョウが急に立ち止まった。


「えっ、嘘。瑠衣、あれ裕也さんじゃん」

 日比野も瑠衣たちに気づいた。

「やだ、いきなり……」と、うつむきがちにキョウが呟く。


 あ、キョウが照れてる。前に日比野さんの事タイプって言ってたよね。


「瑠衣、友達と買い物?」と聞かれた。

「はい、それと動画の撮影だったんです。日比野さんはお買い物ですか」

「俺は修理に出した時計の受け取りと、まあ色々」

 彼はまだキョウが誰だか気付かないようだ。


 髪を垂らしてスカート姿のキョウは女子大生か休日のOLさんに見えるかも。

 いたずら心が起きて瑠衣は言った。

「日比野さん、私たちこれからお茶しようと思ってるんですけど、一緒に行きませんか?」

「えっ、ねえちょっと瑠衣」

 小声で言ったキョウが横からつついてきたけど無視した。

「いいの、俺が一緒して」

「もちろん。パフェ食べようかって言ってて。どうですか」

「パフェ?ああ、俺はそういうのは……」と言いかけた彼に、

「あっ、あのコーヒーとか日本茶とかもあって普通に美味しいみたいなので、裕也さんも行きませんか」

 キョウが食い気味に言った。



 日比野がキョウの正体を知ったのは、カフェでオーダーを済ませた後だった。

「お前キョウか!海斗の家で、前に会ってるな。けど全くわからない、女としか思わなかった」

「本当ですか裕也さん、女子に見えました?それ、すっごく嬉しいけど」

 タイプの相手に女子認定されたキョウは、気を良くして二割り増しの笑顔を振りまく。


 いたずら心が満たされてクスクス笑う瑠衣に日比野が言った。

「お前、知らん顔でお茶しようとか言って。だいぶ海斗に染まってきたよな」

「そんな、嫌です。海斗とは一緒にしないでください」

 屈託ない笑顔を見せた日比野が着ているシャツの袖を折りあげると、軽く灼けた左手首に銀色の腕時計が見えた。


 黒い文字盤の時計が時を刻むあの音は、今は聴こえない。



 目当てのパフェを眺めて食べてお喋りするうち、サーっと音がして外は雨が降り出した。

「ねえ瑠衣、()そろそろ行かなきゃ。一緒に出る?裕也さんはもう帰るんですか」スマホを手にしたキョウが言う。

「帰るよ、パーキングに車を置いてる。瑠衣はもう用は済んだのか?」

「はい。じゃあ私も一緒に出るよ、キョウ」

「裕也さん、もし良かったら瑠衣を送って貰えませんか?()、これから別の場所で待ち合わせなんです」

「いいよ。ああ傘を置いて来ちまった。じゃあ瑠衣、出たら急ぐぞ」

「大丈夫。私、傘持ってます」


 店を出ると思いのほか雨脚は強かった。

「瑠衣、裕也さん気をつけて帰って、じゃあね」

 傘を開いたキョウは手を振りながら小走りで去り、瑠衣もラベンダー色の折り畳み傘を開いた。

「日比野さん入ってください。濡れますよ」

「気にするなよ。俺は先に行って車を出してくるから、お前は道を向かい側に渡って待っていて」

「そんな、私も走れます」

 瑠衣は歩き出した日比野に傘を差しかけ、並んで舗道を渡った。

「お前、ヒールじゃないか。なら傘を貸して」

 日比野は瑠衣の手からラベンダー色の傘を取り上げると、こちらに差し掛けてくれた。

 折りあげたシャツから覗く彼の腕には雨の雫がこぼれ流れて、瑠衣は何かの香りに気づいた。


 これ何の香り?日比野さん、いい匂い。


 パーキングに着くと、重く低い梅雨空の下に鮮やかなブルーの車があり、

「こっちに乗って」と傘を手にした日比野が右側の助手席の扉を開けてくれた。




 その同じ時、同じ場所で。


 瑠衣と日比野が歩く向かい側の舗道から二人の姿を目に留めたのは。


「ねえ絵菜、あれって瑠衣じゃない?」

「え、どこに?」

 雨の中、傘を寄せ合い並んで歩く友人の有紗の言葉に、南絵菜は素早く視線を走らせた。


 あ、あれだ。

 灰色の景色に浮かび上がるラベンダー色の傘の下にいる二人。

 一人は薄いミントグリーンのワンピースにロングヘアの女の子で、有紗の言葉通り江島瑠衣だった。

 そして瑠衣と相合傘で隣を歩くのは、彼女が付き合っている柳井大志ではない。


「嘘。あの人、日比野さん?」絵菜は呟いた。


 あの人、大志くんの友達で日比野裕也さんて人だ。

 ニュースや経済誌でも取り上げられる複合企業体、日比野グループの御曹司だっていう。

 あの人が乗ってる青いスポーツカーは、マセラティというイタリア車らしい。あのカラー自体がオプションなんだって誰かに聞いたな。

 去年の瑠衣の誕生日に彼女を送って行った人だ。

 どうして二人で歩いてるの。偶然?それとも。


「ねえ絵菜、やっぱり瑠衣だった?瑠衣って目立つよね。綺麗だし背高いし、え?なに撮ってるの絵菜、なんで?」

 スマホを向けて二人の姿を撮影した絵菜に有紗が尋ねた。

「だって瑠衣、大志くんと付き合ってるじゃん。『これってどういうつもり?』って一応言ってみようかなーって」

「絵菜それ怖っ、芸能人のスクープじゃないんだから。『見たよー』って後でチャットしとけばいいじゃない」

「うんまあ、結局はそうするけど」

 有紗にはそう答えた。


 でも、画像は保存したから後で写真を見てどうするか考えよう。

 だって瑠衣は私の好きな大志くんと付き合っていながら。

 そうよ、大志くんがいるくせに、あんな超お金持ちのセレブな人にまで手を伸ばすつもり?

 そんなの許せない。

 ちょっと人より綺麗なら何をしてもいいってわけ?

 そうは行かないんだから。


 最近は下火になっていたはずの瑠衣への反感が頭をもたげ、絵菜は唇を噛んだ。





 同じ日の午後六時過ぎ。


 ここY市でも、朝から曇天だったが今は雨が降っていた。


 咲香の(うなじ)に顔を埋めると髪と肌の香りがする。

 僕が十八の時に知って、覚えがある香り。

 けれど今日、僕の記憶はその頃と違うものに上書きされた。

 そうされては、してはいけなかったのに。

 正月に再会した咲香に近づいちゃいけないと本能的に感じていた。

 今の僕には瑠衣ちゃんが居て、僕は瑠衣ちゃんが好きだから。

 それなのにどうしてこうなった?


 咲香を警戒したのは、この香りと感触が柔らかく僕を絡め取り、甘く厳しく縛ると分かっていたせいかも知れない。


「大志の手が好き、唇の形もすごく好き。ねえ今度は大志の番だよ」

 咲香が僕の手をとると指先に口付けた。

 顔を上げると、横たわった咲香が下から僕を見上げている。

 その二つの瞳の中に捕らわれた僕が見えた。

「僕の番?」

「私、大志には欲張りになるの。こんなのひどいって、悪い事って知ってて。でも、誰にでもこんなだって思わないで。大志だけ、どこまでも大志が欲しいの」

「懺悔するの?じゃあ僕は、超恥知らずで咲香に貪欲で、最低なゲスだな」


 そう、僕は最低。


 ここはY市内にある咲香の部屋で、今は日曜日の、もう午後六時を過ぎている。

 瑠衣ちゃんはキョウと動画の撮影があって朝から都心に向かい、僕はこっちでの仕事が入ってて、別々の一日。

 そろそろ彼女に一度電話してる頃だったはず。

 そして時間が折り合えば、この後短いデートをしていただろう。


 ベッドから窓に目をやると、いつからか外は雨が降っている。


 雨はいつから?

 そんなことにも気づかないくらい僕たちは……。


「大志、懺悔なんかしないで。心と体の言葉が食い違ったままだと、いつか後悔するの。恋愛するのに良い子でいる意味なんか一つもないって私は思うの」

「咲香」

「でもね、そうやって苦しんでる大志の声もすごく好き。私、もっと苦しめて意地悪したくなる」

「酷いよ。そんなに怖い子だった、咲香は」

「そうだよ。ねえ大志言って、咲香が欲しいって」

 瞳に僕を捕らえた彼女が素足を絡めてくる。

「……」


 言えない。

 言ったらもうおしまいな気がする。

 いや、言わなくても僕はもう瑠衣ちゃんの隣には居られないだろう。

 愛らしくて清らかな謎。

 透明でどこか掴みとれない気持ちを秘めている気がする瑠衣ちゃん。


 逃げ出す余地を探る気持ちを僕の瞳に見つけたのか、咲香は目を伏せると小さく言った。

「お願い大志、言って。今度はもっと、うんと意地悪していいから」

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