掠めとる愛 4
「イエーッ!ハッピーバースデー、大志っ」
歓声をあげて走って来た海斗が手に持ったクリームパイを思いっきり大志くんの顔にぶつけて逃げた。
「あーっ、やばい、やばい」「キャアッ何?」と皆んなが叫んで「海斗、何したの?あっ、大志くん」と瑠衣も声が出た。
「待て海斗」
白いクリームだらけの大志くんに追いかけられて、海斗はゲラゲラ笑いながら走って逃げ回る。
ひらけた川べりの草地でしばらく鬼ごっこになった。
「ひっでー、やられた。参ったなあ」と大志くん。
「海斗は絶対何かしてくる気はしたけど、ひどいねー」
彼を捕まえるのを諦め苦笑いして戻って来た大志くんにタオルを渡し、瑠衣は彼の服のあちこちに飛び散ったクリームを拭き取ってあげた。
絵菜も拭くのを手伝ってくれる。
「ひゃっひゃっひゃ、ごめんねえ大志。いやあバッチリ決まった。こりゃめでたいね」
戻って来た海斗はまだ笑いが止まらない。
「こんなの聞いてないよ海斗、もう」と瑠衣が戒めると「そりゃ言ってないもん、当然。大志へ俺からのサプライズなんだからさ」と平然としている。
「主役がベトベトですよ海斗くん」と絵菜が言っても
「いいのいいの、これは潤い成分だから。何なら舐めてやって」だって。
海斗のおかげで大騒ぎしている間に、他の子達が別にちゃんと用意した誕生祝い用のホールケーキを出して「25」の数字のロウソクを立てた。
こっちが本当のサプライズで今度は平和にお祝いした。
「お誕生日おめでとう、大志くん」
「ありがとう瑠衣ちゃん。でもまた一つオジさんになったから微妙」
「オジさんは早いよ、大志くん」と絵菜。
「大志はオジさんになっても、ダンディでカッコいいとか言われる人なんじゃないの?」
「海斗、散々やらかしといて綺麗にまとめるなよ」
何事もなかったようにケーキを食べる海斗に大志くんが言った。
よく晴れて暑いくらいの五月半ばの日曜日。
また十数人が集まっての河原バーベキュー大会になった。
今回は大志くんの誕生祝いと海斗の悪戯で驚いたり盛り上がったり忙しかった。
でも前回参加した時とはちょっとメンバーが違っていて、日比野さんの姿はない。
同じマンションに居るはずなのに、日比野さんとはもう三ヶ月あまりも顔を合わせていなかった。
休み明け、ショップの店長から呼びだされた。
「瑠衣、あなたに七月から異動という話が来てるの」
「え、お店を異動になるんですか」
それは都内にある系列店への、しかも一番大きな旗艦店への異動という話だった。
「そうなの。そっちはお客さんがもっと多いし、雑誌にも取り上げられていて売れ筋をリードする立場の店でしょう。そこに瑠衣が欲しいって言われたの」
「私をですか」
「そうだよ瑠衣。あなたはスタイルも着こなしもいいしここの成績も随分上げてくれてる。お友達とやってるファッション動画も人気だし、コラボとか企画の面でも期待されてるのよ」
「企画を?」
「そう。瑠衣、一応は打診という形だけどこの話はほぼ決定と思ってもらいたいの。つまり出世なのよ」
出世なんて、まるでいっぱしのキャリアウーマンみたい。
いや、ちゃんと働いてるんだから私もキャリアウーマンなんだよね。
私にできるの?ドキドキする、でもやってみたい。
「わかりました。私でよければお願いします」
「じゃあオッケーで返事をしていいのね。決定が出たらまた詳しいことを話すね」
仕事で認められるなんて、信じられないけど嬉しい。
さし当りの問題は通勤だよね。
このY市内から都内の旗艦店へは電車を乗り換えて片道一時間はかかる。
今勤めてる店と比べたら通勤時間が三倍くらいになってしまう。
毎日早起きしなくちゃだし忙しくなっちゃう。
まずは通ってみて住む場所を考えようか。
これまでみたいに仕事帰りに大志くんと会えなくなりそうで、それは結構気が重い。
忙しい大志くんとは短い時間でも一緒にいようねって話して、よく仕事帰りに夕食を一緒にしてたのに。
大志くんの笑顔に、声にいつも癒される。
「瑠衣ちゃんに会えたら、顔を見たら僕は癒されるんだ」
大志くんもそう言ってくれる。
キョウとの動画に充てる時間も必要だし、この話が詳しく決まったら彼にも知らせなきゃ。
キョウはもともと都内に住んでるから、彼と会って打ち合わせしたり動画を撮影するには返って都合が良くなったかも知れない。
これを機に、いよいよ今暮らしている日比野さんのマンションを出ることになるかな。
日比野さんはジャカルタから帰国した時に部屋を訪ねてくれて「マールを見てくれてとても助かった。ありがとう」と言ってお土産を手渡してくれた。
本当はその時にジャカルタの事をちょっと聞いてみたかった。
だけど預かっていた合鍵が大志くんとの間で波紋を呼んだ後だったせいか、あまり話せなかった。
バーベキューにも来ていなかったから、日比野さんにも猫のマールにもあれから会っていない。
そして一週間後、本当に異動が決まった。
「瑠衣ちゃん通勤が大変になるね。毎日忙しくなってしまうな。動画もあるしね」
「そうなの。これまでみたいに大志くんと会えないかも」
「でも僕も打ち合わせで出歩くから、この場所じゃなくてもどこかで合流しよう。ね」
そう言って大志くんは額に軽くキスをした。
今日は一緒に、好きなアーティストのライブに行ってとても楽しかった。
二人とも感動してその気持ちを分け合いたくなって、今は大志くんの部屋に二人きり。
異動の話をしていたらまた、これからどんどん忙しくなって大志くんと会う機会が少なくなりそうと思った。
もっと一緒に居たいのに。
そう思うと、もう時間が遅いし明日は仕事だというのに帰るのが嫌になってしまう。
その気持ちを加速させるように大志くんのキスが頬に、そして唇に落とされる。
こんな風に、こんなに離れるのが辛くなるなんて。
大好きな人とのキスが、こんなに止めどないものだなんて知らなかった。
「ここに来て」
大志くんはソファで隣り合わせに座っていた私を抱え上げて膝に乗せた。
真正面から見える彼の瞳は褐色で睫毛が長くて、ちょっとだけ日灼けした頬から顎の線もとても好き。
「大志くん、好き」
「僕も瑠衣ちゃんが好きで、可愛くて離せなくなる」
大志くんの片手が頬に触れて、もう片方の手に首筋が引き寄せられて唇が重なる。
首筋の手が背中を撫でて、暖かさを感じるのと一緒に困るようなドキドキするような気持ちになる。
少し体を離しかけたら、大志くんがちょっと脚を浮かせたのでバランスが崩れ、逆に彼の胸の中にもたれかかってしまった。
そして頭の上で大志くんが言った。
「瑠衣ちゃん、今日はこのまま僕のそばに居てくれる?」
背中に回された手が髪を撫でる。いい匂いと体温、大志くんの。
このまま。
このまま大志くんのそばに?
でもドキドキする気持ちの中に焦りが混じって緊張が高まってきた。
まただ。また体が震えてきそう、待って、頼むから止まって。
両手をキュッと握りしめて言った。
「そばに居たいよ。でも、明日は……」
そこまで言いかけた時、私を抱えたまま大志くんが体を起こして座り直した。
「そうだね。仕事に行く支度が困るよね、もう遅いからちゃんと送るよ」
私を覗き込むようにして、大志くんが優しくそう言った。
私、今困った顔をしていたかな。彼に震えが伝わってしまったろうか。
どうしてなんだろう。
大志くんなのに、こんなに好きな人なのに。




