光の圏内 3
それから約半年後。
十八歳の瑠衣は春に高校を卒業するとアパレル会社に就職し、十代から二十代前半の女性向け衣料の販売員になった。
売り場に立つので、給料は少ないけれど服装やメイクにも気を使う。
でも綺麗な服や可愛いメイクは幼い頃からの憧れだったから苦にならない。
雑誌を見たり仕事の休憩時間にメイクの動画を見たり、ドラッグストアのコスメコーナーをあちこち回って安くて仕上がりの綺麗なコスメを探す。
去年の冬から一人で生活するようになり、仕事のためにこれまで手にした事がなかったスマートホンも初めて買った。
今暮らしている家は、もともと母親と暮らしていた古いアパートでWi-Fiもない。
その築四十年以上の古アパートも、T地区再開発の煽りでいずれ取り壊されると住人のお爺さんから聞いた。
ということは、じきに引越さなければならない。
今度住むならもうちょっとだけ新しくて湿気がこもらなくて、Wi-Fiがある部屋だといいなあ。
電車の駅に近いか自転車が置けるとなおいいんだけど。
新しい部屋を借りる費用はどのくらいかかるものなんだろう、とにかく働いてお金を稼がなきゃ。
そう思った瑠衣は本業に加えてT地区の再開発地域で新規開店したファミリーレストランでアルバイトを始めた。
バイト先のロッカー室で、ローズピンクのワンピースと胸当て付きの白いエプロンの制服に着替えて鏡を覗き、アップにした髪が崩れていないか確かめる。
よし、ストッキングも伝線していない。
「おはようございまーす、瑠衣ちゃん。今日もよろしくねえ」
パートの主婦、川原優子さんが慌ただしく出勤して来た。
「おはようございます優子さん。よろしくお願いします」
優子さんは小学生と中学生の子供がいる四十代のママさんで、子供たちが学校に行っている時間でパート勤務をしている。
体つきがふっくらしていて笑顔が優しく、声も高めで可愛い雰囲気の優子さんは、ちょっと少女趣味なこのファミレスの制服も似合っている。
優子という名前と年回りは瑠衣の母親と同じだった。
けれどそれは優子さんに話したことがない。
瑠衣の母親は今、アルコール依存症治療のため精神科病院に入院している。
内臓もかなり弱っているので、内科の治療も同時に受けていて退院の目処は立っていない。
母親の飲酒仲間が瑠衣に暴行を加え怪我を負わせたことと、酷く酩酊して寝入っていた母親がそれを止められなかったことで、少なくとも瑠衣が未成年の間は訪問看護や他の制度の介入なしに同居はさせないと病院のソーシャルワーカーから聞いた。
それからの瑠衣はいつも過去のことより今の生活と、これからのことだけを考えるようにしていた。
去年あの晩秋の夜にやっと、暗い世界を振り切って光の届く圏内に逃げ出したのだから。
暗い部屋の中で一人涙をこぼす事だけは、もう絶対にしたくない。
ランチタイムに入ったレストランのフロアに出ると、すぐドアチャイムが鳴ってお客が入って来た。
「いらっしゃいませ、何名様ですか」
瑠衣は笑顔で挨拶をして客を席に案内し、水のグラスとメニューを配る。
合間に厨房から上がって来た別のテーブルの料理を運び、違うテーブルからのコールに応えてオーダーを受ける。
食後のコーヒーを運び、あたりのテーブルに目配りしてグラスに水を補充して回る。
人の声と食器の触れ合う音と、有線のBGMにドアチャイム。
様々な料理のいい匂いと湯気と、冷えたグラスに着く水滴。
テーブルの料理を美味しく見せる暖色の店内照明。
アパレルの仕事もそうだけど、人が動いて音楽や会話が聞こえ、いつも光のある場所に居ると瑠衣は安心できた。