冬の陽射し 9
風呂上がりにドライヤーを当てた髪を束ねて頭の上でお団子にまとめた。
明日は初売り、頑張ろう。
それに私も社割で新しい服を買わなくちゃ、着るものがないよ。
そう思いながら脱いだ洋服をハンガーにかけて、せっせと消臭スプレーをかける。
すっかり焼肉臭がついちゃったけど、海斗と日比野さんと一緒に食べたお肉は美味しかったなあ。
大志くんは夕食には合流できなかった。でももうじき着く頃かな。
あ、しまった。
服にスプレーしすぎちゃった。
これから大志くんが来るし日比野さんにドライヤーも返しに行かなきゃいけないのに、服のスプレー臭がすごい。
そうだ、ドライヤーの風を当てれば乾くし臭いも飛ぶかな。
そうして瑠衣が慌てているとインターホンが鳴り、恐る恐る応答するとモニターに訪問者の姿が映った。
「大志くん」
「瑠衣ちゃんごめん、さっき着いて裕也の部屋から電話したけど出ないから来ちゃった。もしかして寝てた?」
「ううん大丈夫。今出ます」
ああどうしよう。
メイクも直してなかったし、このまま大志くんに会うなんて恥ずかしいけど。でももう仕方がない。
ためらいがちに扉を開けた。
「大志くん、ごめんねこんな格好で。お風呂に入ったとこなの。どうぞ上がってください」
「僕こそいきなり来てごめん。ここでいいよ、裕也の部屋に海斗も居るし……」
でもそう言いかけた大志の腕が、瑠衣の体を引き寄せた。
「心配したよ、すごく会いたかった」
瑠衣の華奢な体は彼の腕の中にすっぽりと包まれた。
「瑠衣ちゃん、とてもいい匂い」
頭の上から声がして、しばらくそのまま抱きしめられていると体温が伝わる。
セーター越しに彼の鼓動が聴こえた。
大志くん、すごく温かい。
「せっかく帰省してたのにごめんね。でも、やっぱり会えて嬉しい。大志くん、大好き」
「早く呼べばよかったのに、この子は」
そう言った彼を見上げると一瞬目が合って瞬きの間にキスされた。
唇は長く触れ合っていて、離れた隙に大志くんの瞳の褐色が視界をよぎったと思うとまた、何度も。
「あっ」
廊下が急に暗くなり玄関灯が消えた。
「ごめんね。背中痛くなかった?」大志くんが灯りをつけた。
夢中でキスしてるうち、壁にもたれた私の背中がスイッチに触れてしまったみたい。
大志くんの温もりに触れているとすごくドキドキして、いつしか周りが見えなくなってしまう。
「大丈夫」
と答えたら急にお団子にまとめていた髪がぱらりと解けて肩に流れ、見つめあった彼の手が静かに髪を撫でた。
「ん、瑠衣ちゃんのスウェット随分大きいなあ。これ、もしかして裕也の」
ちょっと後ろに体を引いて眺めた彼に瑠衣はうなづいた。
その通りで、昨晩日比野に貰ったのを身につけていた。
「パジャマにって言ってくれて。寒いからすごく助かったの」
「そうだよね。あー、でもこれは見過ごせない」
「メンズだし私にはやっぱり似合わないでしょう、明日お店で色々揃えようと思ってる」
「いや、オーバーサイズも可愛いよ。だけどこれは許さない」
「え?」
ユルサナイ。
見上げると珍しく眉を寄せた大志くんの顔があった。
「うん、君がまた大人の僕に何もさせてくれないつもりならそんなの許さないよ、ってことさ。一緒に買い物して瑠衣ちゃんのクローゼットを取り戻そうね」
着替えてから日比野さんに返しに行くつもりだったドライヤーは「僕が返すよ」と、大志くんが持って行った。
翌朝、ショップの初売りに出勤すると顔を合わせたメンバーには店長経由で事情が伝わっていて、皆んなが気遣ってくれた。
「使えそうなもの持ってきたよ。要らなかったら捨てちゃっていいしね」と消耗品や生活雑貨を色々くれる子。
「うちにご飯食べにおいでよ、一食ぶん浮くじゃん」と誘ってくれる子。
「実家で使っていない湯沸かしポットとか、ポータブルストーブとか、使うなら車で運んであげるってお父さんが言ってたから、よかったら避難場所教えてよ」と言ってくれる子も居た。
避難場所、と言うにはリッチで凄すぎる所だけれど。
でもこんなに皆んなが力になってくれるなんて。
こんなに人に甘えていいものなの、と瑠衣は思った。
誰かに心配かけたり迷惑かけてはいけないっていつも思ってた。
母が仕事で忙しかった時は母を困らせないように。
母がアルコール依存症になってからは、アパートの人とか近所の人たちに対して迷惑を掛けないように。
辛い時も寂しい時も自分は大丈夫、ちゃんとしていなきゃって。
成長するにつれて泣きたい気持ちを押し込めて、涙は胸の奥に隠すようになった。
一番辛かった中一の時でさえも。
けど、アパートの火事の時に何かが動いた気がする。
近所の人とも会えなくなって、まだ慣れない場所に一人だし、思い出になるような物も含めて殆どのものを失ってしまったのに不思議とあまり悲しくない。
逆に毎日誰かしらに助けられては、そのことに感謝してる。
私にとっては、変わった形で訪れた幸せな時間なんだ。




