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第8話:予感

 朝、6時前。

 朝靄のたちこめるブルーの大気の中、リディとアンドリューは王宮の西門にやってきた。

 だが、そこに待っていたのはフィリグラーナではなく、侍女のダイナだった。

 ダイナは相当長い間アンドリューを待っていたらしく、アンドリューとリディが馬から降りる間もなく、駆け寄ってきた。

「火急の用向きがございます。私についていらしてください。」

 二人が戸惑うのをよそにダイナは馬に飛び乗り、開かれた門をくぐりぬけて走り出した。

 ただの侍女とは思えない馬捌き。

 先日、王女を乗せたアンドリューを必死で追いかけてきたのは芝居だったのか。

 あっという間に3人は、馬小屋にたどり着いた。

 ダイナは馬を降り、アンドリューとリディもそれに続いた。

 ダイナはその時はじめて、リディの存在に気付いた。さっきはアンドリューの背にすっぽり隠れていたため、気付いていなかったのだ。

「そちらは?」

「リディ・バーンズ。俺が追っていた賊に売り飛ばされそうになっていたんです。それで・・。」

「信頼できますの?」

「・・・何があったんですか。」

「私の質問が先です。」

「・・・信頼できます。」

「結構。」

 偉そうな口の聞き方は、フィリグラーナと寸分違わない気がする。

 ダイナは大股に歩き出し、馬小屋の裏手の岩陰に二人を連れて行った。

 アンドリューは、ハッとした。

 ここは、クラブ・ローザに通ずる出入り口がある場所だ。

 ダイナは辺りを注意深く見回し、小さく、しかしはっきりと言った。

「王女が、夕べから行方不明なのです。」

「え?」

「夜、城を抜け出したきり戻ってきません。ですが、こんなことがジェード国王室の耳に触れたら、一大事です。城の者の目を欺き、私一人で捜索しております。そしたら、ここに王女のリボンが落ちているのを見つけたのです。」

 ダイナは、拾ったリボンを二人に見せた。

「私は王女から、あなたがこの辺りから急に現れたと聞いていました。そこで、この辺りに外界へ通ずる地下道があるのではないかと思い、お待ちしていたのです。」

「お察しの通りです。しかし、ここと通じている酒場は店主の逮捕と同時に爆破されています。おそらくこの地下道も、どこかで崩れて行き止まりになっているはずです。」

「姫はじゃじゃ馬ですが、マリティム王子との結婚を嫌がっていませんし、ましてや逃げ出そうなどと無責任なことはお考えになりません。帰れない理由があるはずなのです。あなたの言う『地下道』に入って、出てこられないのではないでしょうか。」

 アンドリューは、唇を噛んだ。

「地下道は、迷路になっています。足元も悪いし、照らすものがなければ右も左もわからないでしょう。」

「姫にもしものことがあれば、私一人の命では足りません。でも、この城の人間に助けを求めるわけにはいかないのです。お願いです、どうか私達を助けてください。姫は、人を見る目だけは本当に確かです。その姫が信じたあなたですから、私も信じます。どうか、お願いです。」

 必死に懇願するダイナに、アンドリューは頷いた。

「この岩陰の奥に地下道への入り口があるんです。その中を探してみます。今から私が言うものをすぐに準備してください。まず、ランプ、それから・・・。」

 

 やがて準備を整えたアンドリューは、リディと共に穴の前に立った。

「もし一時間たっても私達が戻らない場合は、止むを得ません。城の人に事情を話してください。王女の命にはかえられませんから。」

「・・わかりました。」

 アンドリューとリディは、今再び、地下道に降り立った。

 二人は改めて目にした地下道が、ただ彫っただけでなく、木の枠できちんと整備された道であることに驚いた。

「こんなすごいの、いつ作ったんだろう?」

「・・さあ。でもこれは、絶対王族が絡んでると俺は踏んでる。」

「逃亡用ってこと?」

「どうだろう?歴史は深いからな。」

「炭鉱とかの穴って、こんな感じだよね。」

 リディの言葉に、アンドリューはハッとした。

 そうだ。どうして気付かなかったろう?

 この道のつくりは、鉱脈へ進む道つくりそのものではないか?

 王宮から街へ繋がってることが頭の先に立ってしまって、全然考えが及ばなかった。

 街側から見るとなだらかな丘陵の上に城が建っているように見えるが、その実、周囲は敵からの攻撃を避けるため深い堀になっているところもあれば、渓谷になっている部分もある。これが薔薇翡翠などの鉱脈に繋がっているとすれば、王室の隠し財産といえるかもしれない。

 アンドリューは注意深く、目の前から足元までを隈なくランプで照らしながら進んだ。

 フィリグラーナは本当にここにいるのか?

 どんなに目が慣れても殆ど何も見えない中、ランプ無しだとすれば、どれだけ進めるというのか。

 3分ほどで、初めて分岐点にやってきた。

 行き止まったら引き返せばいい単純な迷路ではあるが、先日と違い、今回は出口が確実に潰されている。どこで本当の道がなくなっているかわからない上、爆破の振動で今は正常な道でも、数分後には崩れる可能性だってある。

 アンドリューはダイナに用意させた金属の杭を地面に埋め込んだ。杭の先端は輪になっており、そこにロープを二本結びつけた。

「これが目印だ。ロープの一本は俺、もう一本はリディが持つ。俺は左を行くから、お前は右の道へ行って王女を探してくれ。ロープを引っ張り過ぎないように気をつけて、これ以上進めないと思ったら、引き返して来い。それから天井をよく見ろ。土屑や石がパラパラと落ちてきてたら、すぐ引き返せ。」

「わかった。」

 二人はそれぞれの手にランプを持ち、王女を探しに二手に分かれた。

 初めの分岐での捜索で、王女は見つからなかった。

 次の分岐でも失敗。

 そして次の分岐に差し掛かったとき、リディが深刻な面持ちになった。

「・・・これ以上進むのは、まずいと思うよ。」

「どういうことだ?」

「ランプの火を見てよ。弱くなってるだろう?空気が薄くなってる証拠だよ。」

「空気が?」

「前に通ったときも、火が弱くなったりした?」

「・・いや、全然気がつかなかった。」

「俺、本で読んだことがある。こういう地下道には所々空気穴みたいのが設けられるんだ。外気が入るように工夫されるんだよ。でも、この地下道の出口は爆破されちまってるし、空気穴みたいのも埋まっちゃってる可能性が大きい。・・・これ以上先に進めば、間違いなく死んじゃうよ!」

 アンドリューは、ロープの片端をリディに持たせた。

「ここから先は俺一人で行く。万一俺が倒れたら、ロープを引っ張って助けてくれ。」

「そんなら、俺が行くよ。アンドリューは危険な目に遭いっ放しじゃないか!おでこの傷だって直ってないし、熱だって出してたし、無理しない方がいいよ。」

「リディには、王女を背負う力がないだろう?空気がなくて倒れてる可能性が高い。その時、お前に王女一人おぶって歩けるのか?言っとくが、王女はリディより背が高いぞ。」

「チビで悪かったな!だけど、」

「この分岐で見つからなかったら、引き返そう。それは約束する。」

「・・・わかった。」

 リディは一人、待つことになった。

 ランプを足元に置き、ロープの片方を汗ばんだ手でしっかりと握り締める。

 時折、見たこともない細長い生物や虫が近寄ってくるが、逃げるわけにはいかない。ただ片足ずつ避けて、生物自ら去っていくのを祈るのみだ。

 一体どれくらいの時間が経ったのか。

 さっきから、物音一つ聞こえてこない。

 足元のランプの火がジ・・・と燃える音が聞こえるほどだ。

 持ち込んだすべてのロープを結び合わせてアンドリューに持たせているが、ロープの弛みは、あと少ししかない。

 と、その時。

 遠くから、小さな金色の光が見えてきた。

 それは段々と着実に大きくなってくる。

 リディは叫んだ。

「アンドリュー!!」

 呼び声は、暗くて冷たい穴の中を木霊する。

 やがてその声に応えるように、アンドリューの無事な姿を目にすることができた。

 リディはランプを手にして初めて、アンドリューが人を背負っているのに気付いた。

 アンドリューはリディのところまで来ると、王女をドサリと地面に下ろした。そして、肩で苦しい息を吐きながら言った。

「意識がないんだ。王女が倒れていたところでは、ランプの火が殆ど消えかかってた。」

 リディは王女の手首を掴み、脈をとった。

 そして、耳を王女の口と鼻に近づけ、じっと息を凝らした。

「アンドリュー、王女はほとんど息をしていない。このままでは死んでしまう。」

「急いで出よう。俺が背負うから、リディはランプで足元を照らしてくれ。」

「・・・ちょっと待って。一応、応急処置をしてみる。」

「応急処置?」

「うん。父ちゃんの見よう見まねだから、成功するかわからないけど・・。」

 リディは王女の上着のボタンをはずしてブラウスの胸元を緩め、白い小さな顎を上向きにした。王女の唇が軽く開いたところへ、リディは自分の口を強く押し当て、思い切り息を吹き込んだ。

 アンドリューは、その方法を聞いたことはあったものの見たことがなかったため、相当驚いた。一体、リディの父とは何者だったのだ?こんな「応急処置」を知っていて実践するような立場にいたということは、医師だったのだろうか。プラテアードとの紛争に巻き込まれて死んだらしいが、純銀の「鳩笛」を持っていたことといい、ただの農民や町民ではないだろう。

 王女の呼吸が少し深くなったことを確認し、二人は出口へ向かって歩き出した。

 リディがランプを持って先に立ち、アンドリューに足元の凹凸やすべりやすさや水溜りの有無などを細かく教えた。

 外の光を目にしたとき、アンドリューは王女を連れて無事戻って来れたことに心から安堵した。ダイナはまだ人を呼んでおらず、3人が戻ってきたことに涙を流して喜んだ。だが、そんな中で最も冷静だったのはリディだった。

 リディはダイナに言った。

「すぐ医者を呼んできてください。王女は洞穴に落ちて酸欠で呼吸が浅いと伝えてください。王女は僕達がここで見ています。」

「・・わかりました。」

 ダイナが馬に乗って城へ向かうと、リディは馬小屋脇のポンプに目を留め、桶に水を汲んだ。リディは安い木綿の生地をポケットから取り出すと、水に浸した。その布で王女の顔や手の泥を丁寧に拭った。汚れた布をすすぐと、今度はたたんで王女の額にのせた。

 そのてきぱきとした動きに、アンドリューは感嘆の息を漏らした。

「・・・リディ。お前、こんなことどこで覚えたんだ?」

「・・・父ちゃんの猿真似だよ。」

「父親って、医者か?」

「まさか。田舎に医者なんているわけないだろ?・・・紛争で負傷したら自分達で手当てするしかないんだ。村で本が読めた人や物知りの老人に教わったんだと思うよ。」

 リディはそう言いながらも王女のブーツを脱がせ、そこに自分の着ていた上着をかけてやっていた。アンドリューも、士官学校で心得程度の治療方法は教わっていた。だが実践したことがないため、何をどう活かしたらいいかが、頭の中でまったく繋がらない。本の上の知識など、実地の前では無意味だということか。

 やがてダイナが、二人の男を伴って戻ってきた。

 一人は白髪交じりで、もう一人は助手のような若者だった。

 医師らしき年配者は横たえられた王女に近づき、頬や首筋、手首などを触診し始めた。脈を取りながら、医師はリディとアンドリューを見上げた。

「君達が、王女を助けてくれたのかい?」

 アンドリューは頷き、「彼が、手当てしました。」と言ってリディの肩を押した。

「そうか、ありがとう。適切な対処だ。立派だよ。」

「王女は、大丈夫ですか。」

 不安げにリディが訊ねると、医師は微笑んだ。

「大丈夫だとも。だから褒めたんだよ。もちろん予断は許さないが、あとは私達の力で何とかなる。安心したまえ。」

 アンドリューとリディは顔を見合わせて、喜びをわかちあった。

 王女が医師らの手で城へ運ばれるのを見届けると、ダイナはアンドリューとリディに心からの礼を述べた。

「あなた方は、王女の命の恩人です。それとアンドリュー殿には、これをお返しせねばなりません。」

 ダイナは、薔薇翡翠のペンダントをアンドリューに渡した。

「王女の首にかかっていました。王女はきっと、アンドリュー殿にこれをお返ししたかったのでしょう。しかし・・・。」

 ダイナの顔の曇りを見たアンドリューは、自分から切り出した。

「今回の件、俺もリディも他言はしませんから安心してください。」

「何かあれば私達があなた方を暗殺するくらい簡単だということはおわかりだと思いますし、その点は心配しておりません。」

「経緯はどうあれ地下道で迷ったのは確かですから、言い訳はつくでしょう。あなたなら、王室に疑われないだけの上手い説明ができるはずです。」

 ダイナはそれを聞いて、苦笑した。

「まるで私が策士であるかのような口ぶりですね。」

「ただの侍女ではないでしょう?王女の輿入れに許された家臣の数は少なく、プリメール国王の信頼が最も厚い者達が選ばれたと聞いています。」

「なるほど。ジェード王国軍通信司令部に勤めているだけのことはありますね。ならば、私があなた方にお願いしたいことがもう一つあることも察しがつくのではありませんか。」

 アンドリューは口端を引き締めて、頷いた。

「二度と王宮に来るな、ということですね。」

「そうです。今後王女と顔を合わせることが万一あったとしても、知らぬ振りをしてください。地下道のことは、他国の人間である私にはわからぬことです。しかし、これ以上の詮索はお止めください。」

「・・・わかりました。」

「後日、相応のお礼を届けさせます。」

「結構です。そんなつもりは毛頭ありません。」

「いいえ、受け取っていただかねば困ります。」

「・・・口留め料ですか。」

「そうとっていただいて構いません。」

 アンドリューの瞳に、スッと冷ややかな光が宿ったのを、リディは見逃さなかった。

 リディは、アンドリューに初めて会ったときのことを思い出した。柔らかなプラチナブロンドの長い前髪からのぞく蒼い瞳。切れ長で一重のせいもあるが、ひどく冷たく感じたのを覚えている。だが、その後は助けてもらった時間の方が長くて、そんなことはすっかり忘れていた。リディを助けるときも、二人の狩人に接するときも、王女を助けるときも、いつもアンドリューは真剣な眼差しだった。そこには頼れる熱さがあり、こんな人を見下すような、蔑むような冷たさは微塵も感じられなかったのに・・・。

 アンドリューはダイナに背を向けた。

「金が動いても動かなくても、俺の行動に変わりは生まれませんから。」

「では、昇級ならばどうです?私でも、それくらいの力はあります。」

「そんなものに興味はありません。金とか権力で人間を動かせると思っているのは、特権階級の思い上がりですよ。・・・リディ、行こう。」

 アンドリューが先立って歩き出すのをリディが追った。

 牧草茂る丘を下っていく二人の背中に向かって、ダイナは叫んだ。

「人間の心より、お金や権力の方が信じるに値します!!」

 アンドリューは歩みを緩めることなく、進んでいく。

「あなただって・・・、軍人という特権階級の端くれではありませんか!」

 ダイナの言葉にも、アンドリューは怯むことはなかった。

「・・・アンドリュー・・。」

 リディが声をかけると、アンドリューは背を向けたまま答えた。

「放っておけ。もう俺達には関係の無いことだ。王室など、二度と・・・関わりたくもない!」

 ノーブルブラックの軍服の背中が怒っている。

 足早なアンドリューを、リディは懸命に追いかけた。

 丘を下りきったところで、リディはふと後ろを振り返った。

 緑の丘の上には、既にダイナの影は無く、淡い桃色の朝が紺色の夜空を押し上げようとしていた。

 西の門を出てから街へ戻るまで、アンドリューは一言も口をきかなかった。

 ただひたすらに歩き続ける背中を見つめながら、リディはふと思った。

 

 もう一度、この場所へ来ることになる。

 

 それは予感というより、確信に近かったかもしれない。

 ただ、ここへ来るのがアンドリューなのか、リディ自身なのかは定かでなかったが・・・。

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