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第87話:アンドリューの意志

 フィリシアは、安楽椅子をゆっくりと揺らしながら、胸の中の王子をあやしていた。

 ノックもしないで入ってくるアンドリューに驚くことなく、フィリシアは微笑を浮かべた。

「ここ一週間くらい前から、お二人とも表情が明るくなりましたわね。」

 アンドリューは、怪訝な顔で眉を顰めた。

「お気に障りましたのね?それを覚悟で申し上げました。もう少し、注意なさった方がよろしいかと。」

「何が言いたい?」

「はっきりと申し上げるのは控えます。ただ、私は常に神経をとがらせていますから、少しの空気の流れでも違いを感じ取ることができます。私などが気付くくらいですから、陛下にも気付かれかねません。」

「俺を脅しているつもりか?思い上がりもいい加減にしてくれ。俺達に、何もやましい事はない。」

「わかりました。杞憂だったと、申し上げておきましょう。」

 アンドリューはフィリシアに一旦背を向けた。が、ゆっくりと肩越しに振り返った。

「その余裕は、国王に愛されているという自信から来るのか?」

 フィリシアは、白い頬の力を落した。

「私には、覚悟ができています。ですから、落ち着いていられるのです。」

「覚悟?」

「ええ。いつ、殺されても仕方がないという。」

「それは、誰に?」

「例えば、あなたに。例えば・・ジェード王妃に。―――例えば、本物のプラテアード王女に。」

 フィリシアは、力強い意志を瞳に宿し、アンドリューを凝視した。

「私がこの子を産んだことで、歴史の歯車が動くかもしれない。ならば、この子ともども命を狙われて当然。でも、残念ながら私には身を守る術がありません。殺される時は、それまでです。」

「・・・それは、見上げた根性だな。」

 フィリシアは、赤ん坊の頬に自分の瞼を押し当て、言った。

「でも、殺されるのは私だけでいい。この子には生きて欲しい。―――そう思うことさえ、祖国への反逆です。私は、ジェードもプラテアードも敵に回してしまった。もはや、生き果せるとは思いません。」

「いい心掛けた。だが、本物の王女なら、そんな弱音は吐かない。」

「―――本物の王女を、知っているかのような口ぶりですわね。」

「本物のプラテアード王女を知らなくても、本物のジェード国王を知っている。それで十分だ。」

 アンドリューは、部屋から出た。

 フィリシアと話をしていると、いつも気分が悪くなって終わる。

 マリティムは、この女の何が気に入ったというのだろう。アンドリューには、未だに理解できない。兄と血が繋がっているのだから、惹かれる理由は何となくわかると思っていたが、そういうものではないらしい。

 フィゲラスも、フィリシアを嫌っている。本物の王女であるリディを崇拝しているフィゲラスが偽物を嫌うのは、わかる。だが、アンドリューがフィリシアを疎ましく思う理由は違う。


 アンドリューは、リディがベッドから出られるようになったのを機に、もう一つ部屋を用意した。暗くて狭い屋根裏部屋だが、満月までの一週間を過ごすには問題がないだろう。フィリシアには強気な事を言ったが、やはり、用心するに越したことはない。

 ベッドと机、椅子。それだけしかない屋根裏には、天窓がついていた。

 天窓にはカーテンがないため、いつでも空を眺めることができる。

 ある晩、リディが椅子に座って空を見上げていると、アンドリューが食事を持って中に入ってきた。

 リディは、まだ僅かに尖りを見せる月の形を凝視したまま言った。

「もうすぐ、満月ですね。」

「ああ。あと、4日だ。」

「赤ん坊の額に紋章が浮かべば、正統な跡継ぎに?」

「そうだ。フィリグラーナは、一人として紋章つきの子を産んでいないからな。」

「ですが、あの気位の高い王妃が受け入れるとは思えません。」

「俺も、そう思う。とにかく、紋章があったらの話だ。紋章がなければ、ただの隠し子にすぎない。」

 リディは、月明かりに照らされたアンドリューのプラチナブロンドの前髪を見つめた。

「紋章付きの跡継ぎが成人したら、アンドリューは抹殺されると言っていましたよね?」

「・・・よく覚えているな。」

「当り前です。私は、アンドリューが放ったすべての言葉を覚えています。」

 リディはゆっくりと瞬き、遠い目をして語った。

「アンドリューが私の素性を教えてくれた時のことは、昨日のことのように思い出せます。・・・私は、いつも母親はどんな人だろうと考えていました。あの堅物な父がどんな女性を選んだのか、誰も教えてくれなかったから。でも父の死後、父が最も大切にしていた本の間から、白い紙で包まれたプラテアード王妃の写真を見つけた時、それが私の母親ではないかと思って・・・ジロルドに、何気なく父と王妃の関係を尋ねると、烈火の如く怒られました。」

 リディは一度、下唇を強く噛んだ。

「今となっては想像に過ぎないけれど、きっと父は、プラテアード王妃を密かに想っていたのだと思います。でも決して許されない想いだから、写真のように心を幾重にも包んで押し隠したのではないか、と。だから、アンドリューが、父が瀕死の王妃の腹を裂いて赤ん坊をとりだしたという話をした時、私の中で今まで抱いていた疑問がすべて解けたようでした。あまりにも思い当ることが多すぎて、何もかも辻褄があっていて、抗えなくて・・・だから逆に、認めたくなかった。」

「きっと王妃にとって、アドルフォは最も信頼に足る側近だったのだろう。」

「ええ。きっとそれは、プラテアード国王にとっても。」

「誠実で実直。浮いた噂ひとつない、革命のために産まれてきたような男だと聞いた。」

「実際、そのとおりです。だから、私は父と王妃の子かもしれないと疑ったことはあっても、父の性格ではありえないと否定してきました。・・・皮肉なものです。この額の紋章こそが、父の潔白の証だったのですから。」

「異国からプラテアードに嫁いできた王妃と、王族と一切つながりのないアドルフォから、リディは生まれない。リディは正真正銘、プラテアード国王の娘だ。」

 リディは、眉頭を震わせた。

「でも・・・父は、実の父以上に私を愛してくれました。今なら、どうして私をあれほど大切に育ててくれたのか、よくわかる。想い人に託されたから・・・!自分の子でなくても、想い人の忘れ形見だったから、あれほどに私のことを・・・!」

 リディは、膝を抱えて額を埋めた。

 アンドリューは、リディの丸まった背中に話かけた。

「国に、戻る気はあるか。」

「・・・私は追放された身です。戻れません。」

「プラテアード国民は、例え血が繋がっていなくても『アドルフォの娘』として育てられたリディを、革命の拠り所にしているのではないか?」

 リディの脳裏に、ここへ来る途中でプラテアードの村人達が放った言葉がよぎった。国民の、革命に対する覇気がなくなりかけていること、そして『アドルフォの娘』の求心力がなくなりつつあることが露になった出来事だった。

 リディは、膝から額をもたげ、宙を見つめた。

「国民は、その拠り所が幻であると気付いています。父は偉大過ぎました。私はその余韻に身を置いていただけ。もはや存在価値がないのです。」

「首長としてでなくても、革命家として働くことはできる。」

「・・・そうですね。てっとり早くジェード国王を暗殺するとか、紋章付の王子を始末するとか。」

 アンドリューが見下ろした先に、リディの瞳があった。

 月の光の下で、二人は互いの真意を探る様に見つめ合った。

 その緊張に耐えられなくなったのは、アンドリューが先だった。

 リディの瞳の中に、どうしても応えられない想いが滲んでいることに、気付かずにはいられなかったからだ。

 アンドリューはリディの視線から逃れるように傍を離れ、半分背を向けた。

 そこへ、リディの次のセリフが飛んだ。

「私自身が今ここで偽物と成り代わる、という手もあります。」

 アンドリューは思わず振り返りたくなるのを、堪えた。

 リディがどんな表情で言っているのか、それを確認することが躊躇われた。

「成り代わってどうする?マリティムは、あの偽物を手放す気はないぞ。逆にリディが殺されて、偽物が本物に成り代わるだけだ。」

 振り切るように言い捨てて、アンドリューは部屋を出た。

 狭くて急な階段をゆっくりと降りながら、今の状況を振り返った。

 一寸先は闇、とはこのことだ。

 ジェードのためにフィゲラスを召還し、リディは犠牲を払った。

 例え国を追われても、リディはジェードの国民になれるわけではない。

 では、リディはどこで、何者として生きていけばいいのか。

 プラテアードがリディを首長として認めていなくても、プラテアード王女である限り、狙われ続けるのは必至だ。

 アンドリューは自室に戻り、真っ暗な部屋の窓のカーテンを、少しだけ開けた。

 漆黒の闇に滲む、金色の光。

 四日後の満月を、皆が固唾を呑んで待っている。

 この大陸は、いにしえから額の紋章に翻弄される運命にあるのだ。

 それは、長い歴史の中で王族に深く刻まれた、確かな伝承。

 プラテアードの革命家アドルフォは、それを封印しようとしていた。しかし、それは叶わなかった。そのことさえ、紋章の威力を証明しているようだ。

(すべては起こった事象に基づき、人が判断して動く。これからも起こる事象は運命かもしれないが、その先にある未来は運命ではなく、人の意志だ。これから何が起ころうとも、俺は、俺の使命を果たすために動く。)

 だが、その信念がリディの地位を奪った。

 リディは、「自分の意志でやったことだ。」と言って、アンドリューに責任を押し付けることは絶対にしないだろう。それをわかっていて動いたから、後ろめたくて、リディを庇わずにはいられないのかもしれない。

 マリティムの存在は別にしても、この城へ、いつジェリオが来るかわからない。いや、フィリグラーナが直々に来るかもしれない。

 背徳行為と言われても、今は、リディを守らねばならない。

 それが、アンドリューの意志だ。

(ここでリディを庇ったことで未来は変わる。それでジェードが損失を被ることがあれば、その時は俺が責任をとる。その方法が一つしかないというなら、その時は躊躇しない。)

 アンドリューは両手でカーテンを握り、再び隙間なく閉じた。

 

 運命はいつも、秒針と共に動き続けている。

 アンドリューとリディが再び離れ離れになる瞬間も、間もなく訪れようとしていた。


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