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第85話:帰還

 太陽が西へ傾き始めた頃、アンドリューはようやくエリア5の国境門を見つけることができた。

 深い渓谷に吊り橋が降りているのは、プラテアード内を軍が見回っている証拠だ。

 アンドリューは木立の隙間から、遠目に国境門を観察した。

――― 人が、多すぎる ―――

 アンドリューは、フィゲラスがマリティムに会えたかどうか確証を持てないでいた。また、フィゲラスがマリティムに会えたとして、アンドリューが一緒でないことを、どう説明したか。

 マリティムが行方不明のアンドリューを捜索している可能性は高い。

 今更ながら「フィゲラスと打ち合わせておけば良かった」と思う。

 リディに「フィゲラスに会わせる」などと言ってしまったが、会わせた後はどうする?フィリシアとマリティムを、どう欺くか。

 どうあっても、自分のせいで国を追われたリディを、放ることはできない。

(キールが本気でリディを追放したかどうかはわからないが・・・今回の事は俺に責任がある。今は何としてもリディを連れて入国しなければ。)

 不安を拭いきれないアンドリューの額に汗が滲んだ。

 リディは、アンドリューの切羽詰まった横顔を黙って見つめた。

 ここまで辿り着く間に、アンドリューは今回の経緯を手短に話してくれた。

 フィリシアの妊娠には衝撃を隠しきれなかったが、リディは冷静に事態を受け止めているし、出産後の事も色々と想像を巡らしている。

 リディは国境門を凝視しながら、低い声で言った。

「他の入国ルートを回る体力は、もはや私達にも馬にもありません。」

「強行突破するには、リスクが高すぎる。」

「私は、アンドリューの陰に隠れて何度も危機を脱してきました。今回も、きっと大丈夫ですよ。」

「万が一の時は、どうする?」

「私を・・・、本物のプラテアード王女を捉えたと言ってください。そうすれば簡単です。」

「その後は!?国境を越えても、その後に待つのは死刑だぞ!」

「わかっています!敵国に入る以上、その覚悟はできています。」

「それでいいのか?」

 アンドリューが見下ろしたリディは、穏やかに微笑んでいた ―――アンドリューが銃で傷つけた頬の傷跡を、沈む夕日に反射させて。

 アンドリューは仕舞って置いた茶髪のかつらを取り出し、手早く装着した。

「――― 行こう。」

 アンドリューは大きくマントをはためかせ、リディの細い身体を覆い隠した。

 こんなところで、手こずってはいられない。

 アンドリューは手綱を引くや否や、鐙で馬の横腹を思い切り蹴り上げた。


 吊り橋を渡る手前、プラテアード側の門番が、鉄の槍を交差して二人の行く手を遮った。

 アンドリューは、大声で叫んだ。

「我が名は、プリフィカシオン公爵!ジェード国王の命により、プラテアード国内を偵察していた。任務を終え、これより帰国する。門を開けられよ!!」

 2人の門番は、兵帽のつばの下で、視線を交し合っていた。

 1人の門番が「身分を証明する物をお持ちですか?」と尋ねてきた。

 アンドリューの薔薇翡翠のペンダントは、フィゲラスに渡してしまった。

 アンドリューは眉間を寄せ、不機嫌な表情を作った。

「公爵に向かって疑いの目を向けるのか?」

「現在、プラテアード人の侵入は一切封じております。ジェード人という証明がなければ、何人たりとも通してはならないという国王陛下の御命令です。」

「私がここを通過した記録があるはずだ。予定よりも遅くなったが、数日以内には再入国することを申請してある。それに、今、吊り橋を降ろしている理由は何だ?私が予定通り帰国しないために、陛下が私を捜索するよう命令を下したからではないのか?」

 そこへ、ジェード側の国境門から一騎の黒馬が吊り橋を駆けて来た。

「恐れ入ります、前第四総督のプリフィカシオン公爵でいらっしゃいますね?」

 数か月前にマリティムは、アンドリューの代わりの新しい総督を任命していた。

「そうだ。今、この門番達にそれを疑われていたが?」

「とんだ無礼を致しました。私は公爵が第四総督をされていた時、第10騎馬隊の隊長をしていた者です。その御姿、見紛うはずがございません。」

 アンドリューは、胸をなでおろした。

 馬から降りろなどと言われたら、強行突破しかないと思っていた。

「陛下から、公爵が国境門を通り次第、王宮へ連絡するよう命ぜられております。」

「そうか。私は怪我一つなく無事であると言い添えてくれ。」

「かしこまりました。・・・ところで、公爵、ここへはお一人で?」

 アンドリューの心臓が激しく波打ったのを、リディはアンドリューの背中から感じた。

「見てのとおり、一人だが?」

「さようでございますか。陛下から、連れがいるかもしれないと伺っておりましたので。」

 リディは、アンドリューの胸元に回した指先にギュッと力を入れた。リディは、「大丈夫。何があっても大丈夫。」そう言いたい気持ちを、指先から伝えるしかなかった。

 アンドリューは軽く呼吸を整え、

「一人だ。」

 そう、言い切った。

 マリティムの意向はともかく、今は独りであることにしておいた方がいい。

 それが、アンドリューとリディの選択だった。

 アンドリューの身体が再び馬上で弾み始め、リディは呼吸を再開した。

 リディは、アドルフォ城にいる間は思ってもいなかった。

 こんな形で、再び、この大いなる敵の国へ足を踏み入れることになるとは。

 


 枯れた蔦に覆われた古い城を訪ねてくる人間は、限られている。

 しかも、尋ねてくる人間は誰しも例外なく錠前の鍵を持っている。だから、誰か来たことを察知して扉を開けにいくことは、ない。

 用心のため、色褪せたカーテンはいつも、閉め切っている。フィゲラスは医師として妊婦に太陽を浴びさせたいのだが、マリティムから固く禁じられている。

 薔薇の古城へ来て一週間。

 フィリシアの出産予定日は、もう2日前に過ぎた。もはや時間の問題だ。

 その夜、窓の外に微かな振動を感じた。

 フィゲラスが息を凝らして、しかし足早に玄関ホールへ降りていくと、すぐにマリティムが入ってきた。肩を上下させている様子から、火急の用と察した。

「陛下。いかがなさいました?」

「アンドリューが入国した。」

 フィゲラスは、安堵と興奮で間髪入れずに「アンドリュー様は御無事でしたか?」と尋ねた。

「無事だ。ただし、番兵からの電報ではアンドリューは独りで、そなたの言う『山賊に追われた婚約者』とやらは連れていなかったようだ。」

「!!」

「アンドリューが戻ったら事情を聞いてくれ。かような事態だ。そなたの婚約者まで秘密に巻き込むことを避けてプラテアードに置いて来たのかもしれぬ。」

「・・・はい。」

 マリティムは、フィゲラスを安心させるかのように肩を力強く叩いた。

「アンドリューは、夜明けまでにはここへ到着すると思う。」

「陛下は?それまでお待ちになりますか?」

「いや、すぐに王宮へ戻る。色々準備があるのでな。」

「出産予定日を過ぎていますが、」

「すべての手はずはアンドリューに委ねてある。そなたはとにかく、医師としての務めを滞りなくすすめてくれ。」

「はっ。」

 フィゲラスは深く頭を垂れ、マリティムを見送った。

 アンドリューが無事だったのはいいが、リディの行方が気になる。

 フィリシアが眠る寝室で、フィゲラスは灯りのない暗闇で息を凝らしていた。

 アンドリューが到着したら、すぐに出迎えて話を聞きたい。

 心が逸る。フィリシアの様子を見守る必要がなければ、何時間でも玄関扉の脇で待ち構えたいくらいだ。

 分厚いカーテンの向こうに馬の嘶きを聞いたのは、東の空が夜明けを告げるブルーを湛えはじめた頃だった。

 アンドリューが錠前を開ける時間ももどかしい。

 扉が開くと共に、馬の手綱を引いたアンドリューが入ってきた。

 アンドリューはフィゲラスの姿を捉えると

「よく辿り着いてくれた。」と言い、その手を握った。

「今、ここに陛下はいるか?」

「いいえ、王宮へ戻られました。」

「そうか。では、フィゲラスとフィリシアの二人きりだな?」

「はい。」

「よかった。」

 アンドリューは重い扉を閉じ、鍵をかけた。

「フィゲラス、ランプに灯りを。」

 アンドリューはそう言うと、馬上の鞍を覆っていたマントを剥した。

 灯りの向こうに、フィゲラスはリディの姿を見た。

「・・・リディ様・・・?」

 フィゲラスは、幻ではないかと目を疑った。

 しかし、夢と現を確認している時間はなかった。

 アンドリューは眠っているリディを抱きあげると、

「道中、相当無理をさせた。ひどい打撲や切り傷がある。すぐに手当をしてくれ。とりあえず俺の部屋に運ぶ。」

「・・・はい。」

 階段を上りながら二人は会話を続ける。

「リディの存在は、フィリシアにもマリティムにも秘密にしてくれ。」

「わかりました。」

「フィリシアの様子はどうだ?森や洞窟を彷徨っていて、日付の感覚がない。」

「既に予定日を過ぎています。初産ですので、とにかく注視しています。」

「リディを手当する間は、俺がフィリシアの様子を見ていよう。」

「お疲れでしょう?リディ様の手当の後、私が朝食の準備をしますので少々お待ちください。」

「ありがとう。フィゲラスこそ、徹夜が続いているのではないか?・・・苦労かけるな。」

「いえ・・・、勿体ないお言葉です。」

 リディをベッドに横たえ、アンドリューが部屋を出て行くと、フィゲラスは改めてリディを見つめた。ぼろぼろの服、擦り傷だらけの腕、埃にまみれた髪。

 しかし。

 フィゲラスはベッドの脇に膝をつき、リディの手をとり、その甲に瞼を埋めた。

(よく、御無事で・・・!)

 アンドリューを信じてはいたが、今の今まで、気が気ではなかった。

 フィゲラスは安堵とも喜びとも切なさともつかない複雑な息を漏らし、咽び泣いた。

(どのような御姿でも、あなたが本物の王女です。フィリシア様とは違う・・!!)

 だから、フィゲラスは再度心に誓った。

 この先何があろうとも、リディがどのような身分や立場になろうとも、この忠誠心は未来永劫変わらぬことを。

 そのフィゲラスの決意を後押しするかのように、厚いカーテン越しに朝の光が差し込んだ。

 

 フィリシアは、朝の目覚めで久々にアンドリューを捉え、軽く驚いていた。

「あなたは・・・!突然いなくなって、また突然現れるのですね。」

 アンドリューは、腕組みをしたまま横を向いた。

「俺の事情を、いちいち説明しなければならないのか?」

 そっけない物言いに、フィリシアは眉をひそめた。

「フィゲラス先生は・・・どちらに?」

「朝食の準備をしている。」

 フィリシアは、それ以上何も言わなかった。

 ほどなくしてフィゲラスが朝食を持ってくると、アンドリューは入れ替わるように外へ出た。

 アンドリューは自室に戻ると、リディがまだ眠り続けているのを確認し、窓辺の長椅子に身体を投げ出した。

 とても疲れた。

 30分でもいい。眠りたかった。

 アンドリューが瞼を閉じたところへ、フィゲラスが入ってきた。

「アンドリュー様、朝食は?」

「・・準備してもらって申し訳ないが、ひと眠りさせてくれ。」

「わかりました。ですがその前に、診察をさせてください。リディ様の御様子だと、アンドリュー様も相当無理をされているはずです。」

「俺は、大丈夫だ。」

「ええ、それを確認したいのです。」

「フィリシアは放っておいていいのか?」

「今は食事中ですし、何かあったらベルを鳴らすことになっています。」

 フィゲラスは、アンドリューの頭の天辺から爪先まで、異常の有無を確認するよう触診したり、聴診器で心臓の音を聞いたりした。

 擦り傷や痣、打ち身は数カ所あった。アンドリューはそれを怪我とは捉えていなかったが、フィゲラスは治療すると言って聞かなかった。

 湿布の準備をするために背中を向けたフィゲラスに、アンドリューは抑えた声で尋ねた。

「リディが首長の座を降ろされたというのは、本当か?」

 フィゲラスは、振り向くことなく

「そのような話があったとは聞いています。しかし、リディ様が出発する時、ソフィアさんが私に『リディ様を守ってくれ。』と頼みました。」

「じゃあ、リディが帰る余地はあるのだな。」

 アンドリューは、出来上がった湿布を持って戻ってきたフィゲラスに顔を寄せ、囁いた。

「出産後、フィゲラスとリディをここから逃がす算段はついている。」

 フィゲラスは、間近に迫ったアンドリューの瞳を見返した。

「陛下の意向はわからないが、ジェード王室の混乱に二人を巻き込むことはできない。陛下がフィゲラスを始末する前に、時を見て合図をする。」

「アンドリュー様は?私達を逃がしたりして、大丈夫なはずがない。」

「俺の事は案ずるな。いいか、次の満月にすべては動き出す――― 覚悟しておいてくれ。」

 フィゲラスは、唇の端を引き締めた。

 次の満月は20日後。その時は、さすがに出産を終えている。

「フィリシア様は、どうされますか?」

「わからない。ただ、フィリシアをプラテアードに連れ戻そうなどとは考えない方がいい。」

「なぜです?」

「フィリシアのことは陛下の意向に委ねろ。産まれた子の運命にもよるが、フィリシアに固執して逃亡のチャンスを逃すようなことは、絶対にするな。フィゲラスはあくまでリディの命を最優先にした行動をとれ。リディが何と言おうとも、だ。」

 フィゲラスは、深く頷いた。

 その時だった。

 

 チリリ・・・ン!


 フィリシアのベルの音だ。

 フィゲラスとアンドリューは、弾かれたように立ち上がった。

 フィリシアの部屋へ飛び込むや否や、二人はその緊迫した空気に身を引き締めた。

「俺も、手伝うか?」

「お疲れのところ、申し訳ありませんが湯を―――湯を沸かしてください!」

 アンドリューは、暖炉に水を張った大なべをくべると、すぐに自分の部屋へ戻った。

 リディはまだよく眠っている。

 アンドリューは素早くメモをベッド脇に残し、再びフィリシアのもとへ戻った。

 リディがそのメモに気付くのは、何時間も後のこと。

――― この部屋から絶対に外へ出るな。何があってもだ。  アンドリュー ―――



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