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第84話:緋と藍の暗号

 壁にはめ込まれた白い板は、元の色である乳白色が薄茶に変色している。その中央に、1cmくらいの深い溝でしっかりとかたどられた裏紋章。しかも、いにしえの時代に、一体誰が、この細工を作ったのか。

 アンドリューは、模様に指を這わせながら、

「これは、俺達が知っている歴史と違う歴史があったことを示しているのかもしれない。」

 リディは、アンドリューの声に振り向いた。

「違う歴史?」

「そう。ジェードとプラテアードは、古から敵対していたわけではないらしい。いや、敵対の裏で、和平を望んだ王家の人間が存在して、こんな遺産を残したのかもしれない。」

「洞窟の奥なんて、永遠に誰も気付かないかもしれないのに?」

「当時は、ここまで奥深くなかったのかもしれない。」

 アンドリューは、改めてジェードの裏紋章をじっくりと眺めた。

 知らなかった。

 こんな形をしていたとは。

 リディも、アンドリューと背中合わせになって、プラテアードの裏紋章を見つめた。

 ジェードの形とも、アンテケルエラの形とも異なる、呪いのような螺旋の連なり。

 自分の額の模様が、白い板に彫り込まれた溝と重なり合う、そんな不思議な感覚に震えた。

 それは、アンドリューも同じだった。

 と、次の瞬間。

 額でくすぶっていた緋色と藍色の光が突然、八方へと解き放たれた。

 二人は、あまりの眩しさに、目を覆った。

 光は2人が立っている狭い空間一杯に広がり、反射し、真っ白な視界となった。

 目を開けることが出来ないでいると、今度は地面の振動が始まった。激しい地鳴りと共に、周囲の土塊や小石がパラパラと降ってくる。

「リディ!」

 アンドリューの声が聞こえても、リディはどうしていいかわからない。

 何も見ることができない。

 動きたくても、地が揺れて立つこともできない。

「アンドリュー!」

 リディは、ただ必死に腕を伸ばした。

 その腕がアンドリューに辿り着いたか否か、わからない。

 ただ、地面が一瞬突きあがったかと思うと、次は沈んでいくような感覚に襲われた。

 このまま地に埋もれて死んでしまうのか。

 何が起こっているのか把握できぬ間に、2人の意識は途絶えた。



 頬に落ちた冷たい雫が、アンドリューの意識を覚ました。

 ゆっくりと瞼を持ち上げると、土で汚れた自分の腕が見えた。

 何が起こったのか、どういう状況なのか。

 アンドリューは、次に瞬いて辺りを見渡した時――― 自分は、天国にいるのかと思った。もしくは、夢を見ているのだと思った。

 視界に広がったのは、この世のものとは思えない情景だった。

 広く、高さのある空間は鍾乳洞のような形態をしており、どこもかしこも乳白色のつややかな石で輝いている。驚くべきことに、その白い石がところどころ透き通っていて、奥に緋色が見える場所と、藍色が見える場所が点在しているのである。

 しかも、昼間のように明るい。金色の光が、天井から注いでいる様だ。

 浮世離れした景色に、アンドリューはしばらく見入っていた。

 どう考えても、現実とは思えない。

 リディのことを思い出したのは、次の段階だった。

 改めて辺りを見渡すと、少しなだらかに下ったところに、透明の泉があった。リディは、そのほとりにうつぶせで倒れていた。

 慌てて近づこうと走ると、足元が滑って転びそうになった。夢だとすれば、設定がリアルすぎる。

「リディ!」

 アンドリューが身体を起こすと、土ぼこりで汚れたリディの頬が目に入り、次に銃の傷跡が見えた。

 アンドリューは、青く見える泉の水を手ですくい、リディの頬にこぼして、親指で拭った。白い頬が表れ、それに反応するようにリディが目を開けた。

 リディも、状況を呑みこむのにそれなりの時間を要した。

 だが、2人で話をしているうちに、これが紛れもない現実なのだという事を少しずつ理解していった。

 ここは、ジェードとプラテアードの国境の谷合にある洞窟の中。鍾乳洞は大理石や、透明石膏で造形され、その裏側に薔薇翡翠とブルーアンバーが眠っているのだろう。遠目に見れば、緋色と藍色が混ざり合い、ミルクがかったラベンダー色の景色に見える。

「きっと、古代の王族がこの場所を見つけ、どちらの国のものとも決着がつけられなかったんだろう。これだけの宝は、争いの元になる。」

「だから、一度封印した・・・。」

「二つの国の和平が成立した時にのみ、解放されるという細工か。」

「あの仕掛けは、洞窟に両国の紋章付の王族が同時に存在しなければ、成立しません。」

「どれほどの昔に、こんなことができたのか・・・?古文や歴史書には、一切記録されていなかった。」

「それこそ、王家と神使のみの最たる秘密。長い時を越えて語り継ぎ切れなかった、伝説にさえならなかった秘密の暗号だったのではありませんか?」

 青い水の泉は、地下から湧き出ているようで、2人が手や顔をきれいに洗って一瞬土色に染まっても、すぐに透明度を取り戻した。その水で喉を潤すと、生命に力がみなぎるようだった。

 その後、2人は鍾乳洞の端から端まで探索し、奥まった陰の階段を発見した。階段は、ランプで照らしても見えないくらい上まで続いていた。どういう経路でここへ辿り着いたかは知る由もないが、地中深くへ潜った事は確かで、その後、出口へ向かうアフターケアまで用意されていたということだ。

 二人は少しの間身体を休めた後、階段を上った。上りきった先は土と岩の洞窟で、道なりに進んでいくと10分ほどで、外へ出られた。

 どれだけの時間、洞窟の中にいたのかわからないが、大きな岩と岩の隙間から出た時、東から太陽が昇るところだった。

 洞窟に入るときに馬をつないでおいた大木が近くにあったため、入った時と同じ場所から出てきたことを確信した。

「この財産を、両国が公平にわかちあえる日が来たら、鉱物の発掘が許されると思いませんか?」

 アンドリューは、馬の状態を確かめながら、「それは、リディの代で実現できることなのか?」と尋ねた。

「・・・できないと思います。」

「弱気だな。じゃあ、ここは再び長い眠りにつくわけだ。」

「だって私は、もう、何者でもないから。」

「え?」

 リディは唇を噛み、そして言った。

「私は、首長の座を降ろされ、国を追い出されたのです。」

 アンドリューは、驚いて首を振った。

「冗談のつもりか?ありえないだろう。」

「私が冗談を言うわけないでしょう?もう、帰るところがないんです。フィゲラスをアンドリューに引き渡したら、その後国を放浪するつもりでした。」

 俯いたリディを見て、アンドリューは推測した。こんな危険な状況で、キールがリディを外へ出すはずがないと思っていた。だから、フィゲラスは独りで来るか、もしくは来ないという覚悟もしていた。

(いや、俺はリディがフィゲラスと一緒に来る可能性を・・・一番に考えていた。)

 リディがアンドリューの要求に応えるために、何を犠牲にしなくてはならなかったか。

 聞かなくても、察しておくべきだった。

 馬を2頭手配できたら、リディをアドルフォ城へ帰すつもりでいた。国境に辿り着けば、それが可能で、そこでリディと別れるつもりでいた。

 しかし。

 アンドリューは、リディを馬に乗せた。

「仕方がない。フィゲラスのところへ連れて行ってやる。」

「フィゲラスは、今、どこに?」

「・・・ジェードの、薔薇城と呼ばれる城にいる。」

「病人が、いるのですか?」

「いや・・・。だが、俺も城に一刻も早く辿り着かねばならない。道中、折を見て話す。」

「話しづらいことなら、無理に話さなくても構いません。」

「リディには、知る権利があることだ。しかし、城に入ったら最後、フィゲラスも、リディも、生きて出られる保証はない。」

 リディは、アンドリューの腕にすがった。

「フィゲラスは、私の命と引き換えにしてでも、生きて帰してください。」

「それを決めるのは、俺ではない。それに、これだけの危険を冒してフィゲラスを呼ぶからには、王家にかかわる相当の事情であることは、察しがつくだろう。」

「それは・・・、そうかもしれませんが、」

「間もなく、歴史の歯車が動く。その瞬間に、奇しくも俺達は立ち会うことになる。それだけは覚悟しておいてくれ。」

 リディは、国を追われても、地位を失っても、負わなくてはならない、歴史から与えられた使命があるのだと、静かに悟った。

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