第82話:古城の中の秘密
ジェード国の首都ヴェルデ。王宮。
アンドリューを信じてはいるが、簡単な手紙とペンダント一つだけで国王に会えと言う無茶振りに、フィゲラスは身の細る思いでここまで来た。
国境から王宮へ案内した―――というより、見張りでついて来た兵士から、王宮の門番に引き継がれ、次に入口の兵士に引き継がれ・・・と、たらいまわしのような状態で、少しずつ少しずつフィゲラスは国王の下へと歩みを進めて行った。
長い廊下が十字に交差する広間で侍従と共に待っていると、そこへ今までとは明らかに違う立場と思われる男が現れた。ウィングカラーの白シャツに漆黒のタイを巻いた、鋭い目つきの男は、突然フィゲラスの胸元を乱暴に掴んだ。
フィゲラスは男を見上げ、息を呑んだ。「殺されかねない」、そんな形相だったからだ。
「この手紙とペンダント、一体どういうことか説明してもらおうか。」
「・・・私は、陛下にお会いすることだけを命令されております。それ以外の事は何も存じません。」
「この手紙の主と、一体どういう関係だ?医師ということだが、今までどこの病院で働いていた?伝令ではプラテアードから入国したということだが、まさかプラテアード人ではあるまいな?」
「私は、れっきとしたジェード人です。プラテアードにあるジェード総督府で医師として働いておりました。」
「して、用件は?」
「申し訳ありませんが、私は、私のお仕えする方の命令以外の事はできませんし、お話しすることもできません。」
「何だと?」
レオンは、腰から剣を抜いた。
その切っ先をフィゲラスの目の前に突きだす。
「得体の知れない男を、陛下に会わせることができると思うか?」
フィゲラスにとって、もはやこんな場面は慣れたものだ。平然として言葉を続ける。
「その手紙とペンダントを、陛下にお渡し頂ければ、必ず、お目通り適うはずです。」
レオンは、1年近くアンドリューに会っていない。どこにいるか、見当もつかない状態だ。そのアンドリューと関わっている男に、レオンはあれこれ聞かずにいられない。マリティムが秘密裏に色々動いているのは勘付いている。それが何か、マリティムは決してレオンに話さない。レオンは、フィゲラスの口を割らせれば、アンドリューの居所がわかると睨んだのだ。
しかし、フィゲラスは頑なだった。
その真っ直ぐな瞳に、レオンは少し冷静さを取り戻した。剣先を向けられたからと言って色々話してしまうような男を、アンドリューが国王に会わせるなどあり得ない。絶対の信頼を得ている男、ということだ。
「――― ついて来い。」
レオンはフィゲラス一人と共に、マリティムの部屋へと歩みを進めた。
どうにかして、アンドリューの情報を引き出したい。だが、マリティムにフィゲラスを引き渡したら、それっきりだ。
レオンは、廊下の突き当たりの部屋にフィゲラスを入れ、自分も入るとすぐに鍵を閉めた。その金属音に、フィゲラスは身体を震わせた。振り向いた目の前に、レオンの鋭い瞳があった。
「言え。ここなら誰かに聞かれる心配は無い。この手紙とペンダントの主は、今、どこにいる!?」
フィゲラスは、首を振った。
「私にとっては、あなたこそが『得体の知れない男』です。それなのに、何をお話しできますか?お願いですから、早く陛下へ御取次ぎください。火急の用です。詳細は陛下にお会いせねば、私にもわかりませんが。」
レオンは、奥歯を噛んで顔をゆがませた。おとなしく、取り次ぐほか無いのか。
「・・・ここで、待たれよ。ただし、陛下がお会いになるという保障はできない。」
「結構です。」
マリティムは、頻繁に王宮からいなくなる。
あの偽物の王女をどこかで匿っていて会いにいっているのだろう、と、レオンは察している。その度に、ベールの奥の玉座にアランが座って、マリティムのシルエットを演じている。王妃のフィリグラーナにさえ秘密の影武者なのだから、大変だ。レオンが常にアランに付き添い、フィリグラーナの目を誤魔化す。
フィリグラーナは子供の世話をすべて乳母に任せている。それは王族として問題ないが、マリティムの動向に異常なくらい敏感になっていた。当たり前だ。他の女の影を、女は本能で嗅ぎ分ける。アランもレオンも、必要以上の緊張を常に強いられていた。
今日は幸い、マリティムは王宮にいる。
マリティムは執務室で仕事をしていた。レオンが手紙とペンダントを渡すや否や、マリティムは血相を変えて立ち上がった。
「これを持ってきた男は、どこに?」
「鷹の間に控えさせております。」
「アンドリューのこと、何か言っていたか?」
「いえ。何も。」
「どうせ、レオンは問い詰めたのだろう?それでも言わなかったのか。」
「・・・はい。」
「そうか。では、会おう。案内せよ。」
「かしこまりました。」
前触れもなく扉が開き、レオンの後ろから現れたのが本物の国王であることが、フィゲラスにとっては夢のできごとのようだった。国を離れていても、母国の王の顔を忘れるはずはない。
フィゲラスは思わず膝を付き、頭を垂れた。
マリティムは、フィゲラスの傍まで歩み寄った。
「名は?」
「フィゲラス・ディアルバート・コン・リオデーロと申します。」
「お前が医師であるという証拠はあるか。」
「私の唯一の荷をご覧ください。必要とあらば、鞄の中すべての器具と薬品の名を申し上げます。」
「手紙とペンダントを預かった経緯を説明せよ。」
「手紙を書かれた方に、陛下にお会いするよう言われました。後の説明は、陛下から窺うように、と。」
「それで、手紙の主は今どこにいる?」
「・・・存じ上げません。手紙を託された後、私達は別れてしまいましたので。」
例え国王だろうと、いや、ジェード国王だからこそ、リディの名を出すことは厳禁だ。
「城に縁の無い者を独りで王宮へ来させることなど、アンドリューはしない。余程の理由があるはず。」
「・・・。」
フィゲラスは、アンドリューの身を案じている。リディを見つけられたのだろうか?だとして、リディをさらった男達と格闘になって、果たして無事でいられるだろうか?国王に言って、捜索を願い出るべきだろうか?
答えが出せぬまま、フィゲラスは何を言う事もできなかった。
――― 「レオン。」
マリティムは少し考えた後、静かに息を吐いた。
「私は、この医師と共にすぐ出発する。後の事を、頼む。」
「この男と二人きりで御発ちになるのですか?」
「そうだ。」
「危険すぎます!この男の何を信じられるというのです?」
「アンドリューを待ちたいが、時間がないのだ。」
「では、私がお供を致します。」
「駄目だ。レオンは、アランと共に私の留守を預かってくれ。」
フィゲラスは、黒革のドクターズバッグを抱え、小走りで国王の後を追った。
マリティムは覆面に近いようなマントをかぶって馬車の御者台に自ら乗り込み、フィゲラスを隣へ誘った。
城壁を出て、ゆるやかな丘を下り、街とは逆の寂しい道を馬車は進む。
そこで初めて、マリティムはフィゲラスに語りかけるように話を始めた。
「アンドリューが、何をどこまで話しているのかはわからぬが、一国の大事を委ねる以上、命を賭けてもらわねばならない。私にはどうしても口の堅い医師が必要だった。しかし、今回の仕事は信頼の問題だけでなく、いざという時は存在自体を抹消しなければならない。どういうことか、わかるな?」
アンドリューやリディと出会う前のフィゲラスであれば、いささかの躊躇はあったろう。しかし二人とのかかわり合いで、既に何度も死にかけているフィゲラスには、ある種の達観があった。
「アンドリュー様は、だからこそ私を選ばれたのだと思います。私は身軽で、いつ死んでも不信に思う者はいません。」
「そうか。・・・しかし、アンドリューは今、どこにいるのだ?私はお前と同じくらい、アンドリューも傍にいてもらわねば困るというのに。」
「・・・。」
「一体、何があったというのだ?私が今、どれ程アンドリューを必要としているか、わかっているはずなのに。」
この答えだけは、決して口にできない。
本物のプラテアード王女を救いに、行ったなどと。
やがて、馬車は暗い林をいくつも越えて、廃墟のような城の前で止まった。
外観からは想像もできないほど快適な部屋に通され、暖炉の前で微睡む女性を見て、フィゲラスは何もかも――― いや、そうはいっても真実の半分にも満たないかもしれないが、ある程度の事は悟った。
年老いた品のいい男性が安楽椅子の女性を起こそうとしたが、マリティムがそれを制した。
三人の男は、隣の部屋へ場所を移した。
「爺や。アンドリューが紹介してくれた医師を連れてきた。留守を預かってくれてありがとう。」
「助かります。次の満月が予定日ですが、もう、いつ産気づいたとしても不思議はありません。初産ですし、一日も早い医師の力が必要でした。」
「一先ず、私と一緒に城へ戻ろう。」
「アンドリュー様は、どうされました?」
「・・・行方がわからぬのだ。」
「何ですって?」
「このフィゲラスに手紙を託して、それきりだ。」
爺やは、厳しく首を振った。
「どういうことです!?この医師、信頼できるのですか?まさかこの医師が、アンドリュー様を・・!」
「とんでもない!」
フィゲラスは、下手な疑いをかけられるのは避けたかった。命懸けで自分をここまで来させたアンドリューとリディのために、嘘をついてでも、ここに留まらねば。もはや、黙ったままではいられない。
「私は、ジェード第四総督府内の病院の医師でしたが、元総督のアンドリュー様から信頼され、専属医となりました。ジェード国にお戻りになったアンドリュー様から召還の文をいただきましたが、私はプラテアードの地理に全く無知で、待ち合わせの場所まで一人で行くことができません。それで、やむなく信頼のおける人に案内をお願いしたのです。ところが、アンドリュー様と再会する少し前にその人は山賊に襲われ、連れ去られてしまいました。私一人待ち合わせ場所にたどり着くと、アンドリュー様はその人を救出するとおっしゃって、私と別れたのです。」
八割は、真実だ。
マリティムの顔色が一瞬険しくなり、唇が強張った。
「なぜ、それを早く言わなかった?山賊とは追剥ぎか?捕まったのは、女か?」
「・・・私の、婚約者です。私のためにアンドリュー様が危険な目に遭っているなどと畏れ多くて、言い出すことができませんでした。」
緊張で、喉が貼りつきそうだ。だが、捕まったのがただの女だというだけでは、アンドリューが危険を冒して救いに行く理由にならない。しかし、情けないことに、それ以外の言い訳が思いつかない。
マリティムは大きく溜息をつくと、爺やと共に部屋から出て行った。
外で何が話し合われているのか。
フィゲラスは、握った拳が震えていることに気付いた。
一つ間違えれば、打ち首になる。
暖炉の前の若い女性が国王の子を身籠っているのだ。外の世界から完全に遮断されたこの城の中に匿われている。その意味は、考えるまでもない。
どれくらい時間が経ったか、わからない。
気付くと、マリティムが目の前に立っていた。
マリティムは、湖色の瞳に、不安を滲ませながらも言った。
「そなたは、私とアンドリューの関係を知っているか?」
「・・・遠い親戚だと、噂で聞いた程度です。」
「そうか。それでいい。私は、アンドリューを信じている。だから、そなたを信じよう。私の子を身籠っているのは、プラテアード国が差し出した偽物の王女だ。フィゲラス、と言ったな。我がジェード王国の命運をかけた出産を、すべてそなたに委ねる。失敗は許されぬ。何があっても、だ。」
フィゲラスは、数年前には想像もしていなかった運命に、深く頭を垂れた。
プラテアードの王女のために命を捧げる覚悟だった。
リディのため、は、アンドリューのため。
そして、アンドリューのため、はジェード国王のため。
二律背反は、避けられぬこの世の常なのか。
マリティムは爺やと共に、城を去った。
去り際に、マリティムは言った。
「婚約者の事、心配だろう。同じくらい、私もアンドリューを案じている。軍に捜索を命じておく。必ず、2人とも救出させる。約束しよう。」