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第80話:道のない逃げ道

 自分を襲った町の男達の言葉が、リディの意識の底で重く渦巻いていた。

 ――― どうせ独立したって、変わりゃあしない! ―――

 ――― 独立独立って言ってる奴らは、まだアドルフォに幻想を抱いているだけ―――

 ――― 王女!そんなもの、俺らには関係ないね。 ―――

 ――― 本当に必要な首長なら、国の存亡を賭けて戦いを挑むのが筋だろうが!―――

 何も見えない、上下左右の感覚も掴めない闇の中で、リディは活路を見出そうと必死にもがいていた。

 鈍痛にうなされながら、ハッと目を覚ましたリディが目にしたのは、濃いブルーの天に浮かぶ灰色の雲と、小さな星の光だった。しかし、違和感があるのは両手首と両足首を縛られているから。縛っている縄は、リディの背にある大木に繋がれている。

(・・・どういうこと?)

 少し離れた所に、焚火が見える。

 数人の男がそれを囲んで、飲み食いしているようだった。

「気付いたか。」

 リディはビクッと震撼した。

 隣に、人がいたのだ。気づかなかった。

 若い男はリディの目の前に跪き、顔を覗き込んだ。

「再会できて、嬉しいよ。プラテアードのリディ王女。」

「!!」

 星明かりの中でも、はっきりとわかった。

 深い緑の混ざったような黒髪、淡い小麦色の肌、グレーの瞳。

 二度と会いたくなかった男。

 アンテケルエラ王国の、エストレマドゥラ王子!

 リディは、思い切り侮蔑の眼でエストレイを睨みつけた。

「運命の再開に、そんな顔を見せないでくれ。」

 どうして、この男に捕らわれてしまったのだ?フィゲラスはどうした?だが、猿轡のせいで何も言えない。

「ジェードに捕らわれ、死んだという噂に亡命説、色々あったが私は信じていた。君は、絶対にプラテアード国から出るはずがないと。長かったが、ずっと見張っていた甲斐があった。まさか、あんな弱腰の青年一人だけ連れて遠出とはね。」

 キールやソフィアの心配した通りになってしまった。

(もはや、これまでなのか・・・!)

 エストレイは整った指先で、リディの白い額にかかった前髪をそっと払いのけた。

「っ!」

 思わず、顔を横へ背ける。

 だが、エストレイはそれを許さなかった。無理にリディの顎をつかみ、天を仰がせた。


 エストレイの目的は、リディの瞳に映った満月が気付かせてくれた。

 蒼い光と紋章に、エストレイの顔は輝いた。

「これが、プラテアードの裏紋章・・・!」

 そう喜ぶエストレイの額も、白い光を帯びている。エストレイの国、アンテケルエラ王国の宝石はオパール。柔らかなシルクの色合いに、獅子が牙を剥いたような模様が浮かび上がる。その下には、エストレイの自信に満ちたグレーの瞳。もう、何もかも手に入れた落ち着きの色に、リディは嫌悪を隠しきれなかった。

 エストレイはフッと口端に笑みを浮かべ、

「今夜は、満月だ。互いに、額を髪でしっかり隠しておこう。」

 そう言ってリディの前髪を撫でた、次の瞬間。

「うっ!」

 リディの額が、ひときわ強い光を放った。

 それはエストレイの眼を眩まし、弾き飛ばすほどの勢いに満ちていた。

「・・・つっ!」

 離れた場所でエストレイは痛みを感じ、指先を見ると、火傷で赤く爛れていた。

(何てことだ・・・!!)

 リディの額は、まだもエストレイを拒絶するように蒼いオーラを纏っている。

 エストレイは、それでも尚、口端に小さく笑みを浮かべて余裕を見せた。

「頑なな態度も王女として大いに結構。だが、遅かれ早かれ、そなたは私のものだ。どこかの男を諦めていなくとも、もはや関係ない。・・・無理だとは思うが、一応言っておこう。逃げようなどと考えぬことだな。」

(・・・!!)

 リディは、胸の奥から突き上げる嗚咽をどうにか堪えた。

 本当に、これで終わりなのか?エストレイのものになってしまうのか?

(いいえ・・・!何があろうと、叶わなくても、私が求めるのは一生かけてただ一人。さらわれたのが私だけで、フィゲラスがアンドリューと会えていたら、きっと・・・!)

 その場から立ち去るエストレイから目を反らし、リディは瞳を上へ向けて、薄雲に隠れた満月を睨みつけた。

 どうしたら逃げ出せるか。

 手首を縛る縄は固いが、足首の方は左程でもない。激しく動かせば、緩むのではないか。

 こんなところで、摑まるわけにはいかない。

 エストレイと結婚など絶対にしない。

 逃げてみせる。

 絶対に、諦めない。


 夜が深まり、敵は見張り一人だけ焚火番を兼ねて残し、後は横になって眠りについた。

 リディは限られた距離の中を少しずつお尻で這い、手探りで尖った石を見つけると、手首の縄を断ち切ろうと、上下にこすり付けはじめた。小さな音だ。茂みの向こうには絶対聞こえまい。

 本当は助けが来るのを期待したいが、それをただ待っているなど、リディの性分が許さなかった。できることは、やる。人の助けを借りる前に、自分が動かなければならない。

(そう、それが父の教え―――。)

 時折、縄がすべって手が石の尖りで傷つく。しかし、手が傷つくのは石に縄を傷つける力がある証拠だ。喜ばしい事と、リディは気持ちを高めた。

 やがて、手首が少し動くようになった。

(よし。これなら・・・!)

 リディは石に擦りつける速度を上げ、額から汗が流れ出た頃に、とうとう縄を断ち切った。

 手さえ自由になれば、後は何とかなる。

 上着の裏に隠した小さなナイフを取り出し、足の縄を切る。

 タイミングを見計らう―――など、悠長なことは言ってられない。

 一刻も早く、立ち去るのだ。

 相手は馬を持っていて、自分は足しかないのに、逃げ切れるか?

(チャンスは一度きり。次に捕まればもう、容赦はない。)

 見張りは焚火の前に座り込み、呑気にあくびをしている。

 リディが縄を断ち切って逃げるなど、露程も心配していないようだ。

 リディは息を殺して、四つん這いになった。

 土の臭いを感じながら、ゆっくりと慎重にその場から離れはじめる。

 少しずつ。

 しかし、段々と速度を上げて。

 敵の姿も焚火の灯りも見えなくなった。

 そこで。

   ――― ザッ・・・!

 リディは一気に走り出した。

 奥深い林の中。

 一体、どこまで行けば逃げ切ったことになるのかも、わからない。

 ここがどこなのか、見当もつかない。


 アンドリューと待ち合わせたヒースの丘に行けばいいか?

 目印は決して揺るがぬ北極星の光だけ。

 木々の間からわずかに見える宇宙は、あまりにも頼りない。


 足がもつれる。

 傷つき、打撲した背中が再び痛み出した。

 フィゲラスがくれた薬の効果が切れたのかもしれない。

 息が切れる。

 倒れてしまえたら、どんなに楽か。


 ――― 王女が逃げた! ―――


 リディがいなくなった事に気付いた見張りは、叫んで仲間を起こした。

 目覚めたエストレイの足元に、見張りの男が身を屈めて土下座した。

「申し訳ありません!気付いた時には、もう・・・!」

 エストレイは、マントの肩留めに指をかけながら、言った。

「謝罪する暇があったら馬の準備をしろ!どうせ女の足だ。遠くへは逃げ切れまい。」

 エストレイは馬に飛び乗った。

「二人はここへ残れ!後の者は幾手かに分かれて王女を探せ!」

 

 遠くで、馬の嘶きが聞こえる。

(もう、ばれてしまったのだ。)

 リディは道から外れることにした。どこへ辿り着くかわからないが、木立の間を縫うように走る。茂みをかきわけ、とにかく逃げるしかない。もはや、馬では入り込めない場所へ行くしかない。

 

 道の無い道を行くというのは、何と心細いのだろう。

 出口の見えない彷徨は、何と不安を誘うのだろう。

 弱気になってなど、いられない。

 今、自分が人生最大の帰路に立たされていて、諦めない気持ちがどんなに大切かわかっている。

(わかっているけど、でも、でも・・・!)

 そんなリディの行く先が、不意に開けた。

 木々の向こうにあったのは、突然の大空。


(・・・!)


 そこに待っていたのは、行方を遮る、奥深く横たわる渓谷だった。


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