第79話:蒼い光に導かれて
果てしなく続く草原の南側は、なだらかな丘陵である。
時折吹く強い風が、草の上に通り道を描く。
灰色の厚い雲の間から、満月が顔を出したり隠したりを繰り返す。
アンドリューは、いつになく無防備にプラチナブロンドを曝していた。周囲に知る人もなく、こんなに身軽で穏やかな瞬間は、しばらく無かった気がする。
アンドリューは馬から降りると、草叢に足を投げ出して、腕を頭の後ろに回して仰向けになった。
小さな星の瞬きが、大きくなったり小さくなったりを繰り返す。その光を閉じ込めるように、アンドリューは瞼を閉じた。
伝書鳩がリディの下に着いたかどうかもわからない。ましてや身を隠すことに必死になっているリディが来るとは思えない。しかし、異国の土地勘のないフィゲラスが一人でここへ来られるとも思わない。
(俺は・・・どうしてこんなに・・・。)
どういうわけか、「来ない」なんてあり得ないと思っているのだ。
星の瞬きに見飽きた頃、アンドリューは身体を起こし、アドルフォ城のある南方を眺めた。
丘陵の黒い輪郭と蒼空の境界線に、人影が現れるのをひたすら待つだけだ。
と、その時。
一際強い風が吹き、天の雲の位置が大きく動いた。
すると、今までほとんど姿を見せなかった満月が、初めてはっきりとその輪郭を現したのである。
アンドリューの長い前髪の奥が、緋色に輝いた。
しかしその時、アンドリューの瞳が捕えたのは、地平線から天を貫く藍色の光だった。
満月を目指すかのように真っ直ぐ伸びた、藍の強い光。
(まさか―――)
あれは、プラテアードの国の宝石、ブルーアンバーの色!
その光を満月に放つのは、疑いようも無く、リディの額の紋章だ。
アンドリューは、考えるよりも早く馬に飛び乗った。
間違いない。
あの光の下に、リディはいるのだ。
光が動かないということに、不吉さを感じる。
アンドリューは光を目指して馬を走らせ続けていたが、再び強い風が吹き、満月が成りを潜めた。
同時に、蒼い光の柱も消えた。
しかし、目指す方向はわかっている。
アンドリューは、手綱を緩めることなく、走り続けた。
緩やかな丘陵を越えると、林があった。
迷いなく、林の中へ突き進んだが、速度は落とした。
道から外れた所に、リディがいるかもしれない。
だが、馬の蹄の音を聞けば、気配を見せるだろう。
ランプの灯りを片手に、木々の間を照らしながら進むことにした。
林の中腹まで来ただろうか。
アンドリューは、道端に黒い塊があるのを見つけた。
それが人間であることは、すぐにわかった。馬を降り、慎重に近づく。
灯りを照らして見ると、それは若い男で、意識を失っていた。
「・・・フィゲラス!?」
アンドリューは、男の身体を抱き起こし、激しく揺らした。
「フィゲラス!・・・フィゲラス!!」
どこかを怪我しているだろうか?わからない。
ほどなく、フィゲラスの瞼が小刻みに動いた。
アンドリューは、小瓶に入ったブランデーを口元に与えた。
金色の液体が少しずつフィゲラスの喉を通り、失った意識を覚醒させていく。
フィゲラスは、目の前に突然現れたのがアンドリューであることを、奇跡だと感じた。
「アンドリュー様・・・!本当に、アンドリュー様なのですか?」
「そうだ。一体、どうしたというのだ?一人でここまで来たのか?」
「いいえ、リディ様が―――」
「リディ?」
「そうです。・・・そうです、アンドリュー様!リディ様を助けて下さい!」
「・・・何?」
フィゲラスは、早口に経緯を説明した―――
――― フィゲラスは、落馬で意識を失ったリディを連れて馬を飛ばしていた。
しかし、落馬のせいか、男達との乱闘のせいか、リディは背中に傷を負っていた。出血は少ないが、打撲で腫れているようだ。フィゲラスが「絶対にもう、男達は追ってこない」と確信できるまで走り、この林まで来た頃には、すっかり夜の帳が降りていた。小川を見つけ、リディの傷口を洗い、濡れた布で背中を冷やした。アンドリューの所へ急いで行きたがるリディだったが、落馬で全身を強く打っているので少し休んだ方がいい、とフィゲラスは説得した。時間にして、1時間くらいだったろうか。フィゲラスの処方した薬でリディは眠っていた。突如、夜空が明るくなり、丸い月が現れた。無造作に曝されたリディの額が発光し、蒼い光が宙へ放たれた。その光が秘密裏にすべきものと知っているフィゲラスは、額を隠そうとしたが、蒼い光線は宙を射抜く柱のようで、容易に近づけなかった ―――
「その時でした。突然馬の嘶きが聞こえたかと思うと、数人の男がリディ様を連れ去ってしまったのです。」
「全員馬に乗っていたのか?どんな奴だったかわかるか?」
「いいえ、暗くて、ランプの灯りに照らされてまぶしくて・・・。ただ、リーダー格の男がリディ様の顔を見て『間違いない。プラテアード王女だ』と。」
「リディはその時、目を覚まさなかったのか?」
「申し訳ありません。わからないのです。私はリディ様を取り返そうとここまで走ってきたのですが、殴られ、気を失ってしまって。」
アンドリューは辺りを見回し、訊いた。
「フィゲラス、お前たちの馬はどうした?盗られたか?」
「リディ様の馬は、落馬の時に置いてきてしまいました。私の馬は、小川のほとりの木に繋いだまま盗られてないと思いますが。」
アンドリューは、すぐ確認に走り、きちんと馬を連れて戻ってきた。
「良かった。相手も余計な馬を連れていくのは難だからな。金銭狙いの賊ではないようだ。」
「・・・本当ですね。荷物も毛布も全部あります。」
「殴られたところは痛むか?」
「少しは。でも、大丈夫です。動けます。」
アンドリューは胸元から紙とペンを取り出し、何やら文字を走らせた。そして、首から革紐のペンダントを外した。
「これを持って、北へ真っ直ぐ進め。第5の国境がある。警備隊に、この薔薇翡翠のペンダントと手紙を渡すんだ。プリフィカシオン公爵の署名をしてある。その後は、国境の近衛兵が国王の所へ連れて行ってくれる。」
「何ですって!?」
驚くフィゲラスの手に、アンドリューは無理やりペンダントを握らせた。
「理由を説明している暇はない。マリティム国王に会ったら、再び手紙とペンダントを見せ、自分が医師であることを告げろ。後の事は、国王が説明してくれる。」
「どういうことです?第一、私は国外追放の身です!」
「そんなことは、どうでもいい。俺はリディを連れ戻しに行く。だが、俺にもしものことがあっても、フィゲラスは国王の下へ辿り着かねばならない。」
「私は、一介の医師です。そんな私に、一体何をお求めなのですか?」
「そなたは、額の紋章を見ている。俺やリディと関わり、絶対の信頼を得ているのだ。王家の秘密を託せる医師は、そなたしかいない。」
「アンドリュー様・・・!」
「さあ、早く行け。俺も急ぐ。」
二人には、迷う時間も、考える時間も許されていない。
二頭の馬は、真逆へ向かって走り出した。
フィゲラスは、北へ。ジェードへ向かって。
アンドリューは、南へ。リディを救うために。