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第7話:フィリグラーナ王女

 リディとアンドリューが首都ヴェルデに着いたのは、日がとっぷりと暮れた夕刻だった。

 二人はまず、レオンを探して新聞社を訪れた。

 

 レオンは警官二人と共にアルジェ湾に行き、そこで待機していた怪しい船を見つけて、人買い一味の逮捕現場に立ち会っていた。

 アルジェ湾でリディ達を乗せた舟が下ってくるのを待っていたものの、一向に現れないため、とりあえず一味を牢屋へ入れようとヴェルデへ戻ってきた。

 警察はすぐにクラブ・ローザにも踏み込んで、店主の夫婦を拘束した。

 その後リディ達の捜索のため10人くらいの警官がエルバ川からアルジェ湾にかけて派遣されたが見つけられず、ヴェルデに戻ってきたばかりだという。

 レオンは新聞社で、とにかく明日の早番に間に合わせようと、記事を書いていたのだった。

 

 レオンは二人がぼろぼろになりながらも無事戻ったのを見て、これ以上ないほどに喜んだ。 話を聞いていた新聞社の編集長もやってきて、「その体験を是非記事にしたい。私に直接話してくれるかい?」と言って、リディを隅の机に案内した。

 レオンは熱い紅茶を入れて、アンドリューを自分のデスクに座らせた。

 アンドリューは紅茶を飲む前に、レオンに言った。

「リディを囮にしたこと、黙っててくれないか。」

「アンドリュー、俺はそのことをリディに謝らなければならないと思ってる。」

「いや、それは胸のうちに仕舞っておいてほしいんだ。リディは今、人間不信になっている。これ以上傷つけるのは良くない。本当に悪いと思っているなら、二度と口にしないことで償ってくれ。」

「・・・わかった。」

「ついでに、もう一つ。」

「なんだ?」

「責任とって、リディに仕事を斡旋すること。それくらいは安いもんだよな?」

 レオンは、グッと言葉につまった。アンドリューは挑戦的な瞳でレオンを見つめ続ける。

 レオンは眉間に皺を寄せて暫らく考えていたが、

「・・・しょうがないな!俺のメッセンジャーボーイでどうだ?早い話が小間使い。俺の安月給じゃ飯代くらいしか払えないけど。」

「いいぜ。それで手を打つ。」

 軽く笑顔を見せたアンドリューに、レオンは深刻な顔で言った。

「それより、頭の怪我。そんな汚れた包帯じゃ感染症の危険がある。医者に見せた方がいい。」

 アンドリューは額に巻かれた布に、軽く触れた。

「・・・酒で消毒してもらったし、二度ほど代えてもらってる。大丈夫さ。」

 バッツとキールが、物の無い中4人のために惜しまず力を貸してくれたのは確かだ。医者に見せるのは、その恩に背くような気がした。リディは未だに信じきっていないようだが、アンドリュー自身は、とても感謝しているのだ。例えどんな企みがあったとしても、あの二人がいなければ、こんなにスムーズにヴェルデへ帰ってなど来られなかった。4人共々、今も山を彷徨っていたかもしれないのだ。

 瞳を伏せがちにして唇を固く閉ざしてしまったアンドリューを見て、レオンはそれ以上何も言わなかった。

 その後レオンと共にアンドリューとリディは警察へ行き、今度は事情聴取を受けた。

 だが、アンドリューがクラブ・ローザの地下と王宮の庭が繋がっていたことを話すと、「そんな馬鹿な!」と言って笑われた。

 アンドリューは憤慨した。

「本当のことです!クラブ・ローザの地下へ行って確かめてください!」

「残念だが、それはできないんだな。」

「え?」

「店主の夫婦を拘束したんだが、二人を連れて店から出たとたん、爆破されてしまったんだ。」

「爆破?」

「あそこは建物が密集していて、周りも被害を受けた。酒場の入ってた建物は、全滅だ。粉々、ぐちゃぐちゃ。見る影も無い。」

 証拠隠滅、ということか。

 もし本当に王宮と何か関わりがあるなら、当然の結果かもしれない。

 夜の10時を過ぎて、やっとアンドリューとリディはエンバハダハウスに帰り着いた。

 王女から借りた馬は、ハウスの裏庭にある厩舎に入れた。大使館だった頃に使われていたもので、今はボロボロで見る影もなかったが、今回は助かった。名馬とはいえ相当使い倒してしまった上、泥だらけだ。疲れている身体に鞭打って、リディとアンドリューは馬を洗ってやった。馬の毛並みをそろえてやりながら、アンドリューは言った。

「リディ。疲れてるとこ何だが、明日の朝、王宮につきあってくれないか。」

 リディの顔がパッと明るくなった。

「フィリグラーナ王女だね?」

「その通り。俺が悪人を追ってたってこと、証言してくれないか。」

「いいよ。それに馬のこと、俺もお礼言わなきゃ。」

「・・・ああ、そうだな。」

 アンドリューは、一人で王宮に行くのが不安だった。何せ、あの王女の「条件」とやらを伺わねばならない。どんな無理難題をふっかけられるか、考えただけで憂鬱になる。リディが一緒なら、少しはそれが緩和されるのでは・・と思うからだ。


 同じ夜、フィリグラーナ王女は婚約者であるマリティム王子の部屋に呼び出されていた。

 呼び出された理由はただ一つ。

 見ず知らずの兵士に馬を貸し出した一件で、だ。

 マリティム王子は絹のようなブロンドの髪を肩の上で切りそろえ、白い絹のシャツを着た、絵から抜け出たような美青年だ。鼻っ柱が強いながらも非の打ち所のない美少女のフィリグラーナとは似合いのカップルとされている。

 が・・・。

 王子に深々と頭を垂れながら、フィリグラーナはギリギリと歯軋りしていた。

(ダイナのばか!どうして王子に言いつけるのよ!?)

 マリティム王子は、広い部屋の左から右へとゆっくり往復しながら、フィリグラーナが今どういう立場なのか滔々と語りだした。

「君が何か不祥事を起こせば、プリメール国との同盟が結べなくなるだけでなく、下手をすれば戦争になるんだ。君は平民のように、一人の女性として僕と恋愛結婚をするわけではないんだよ。僕達の結婚は、国と国との契約なんだ。」

「それは、重々に承知しております。」

「君の天真爛漫な明るさは、王族の身分としては時に障害になる。慎みたまえ。」

「・・・はい。」

 思いのままに振舞うフィリグラーナにとって、マリティムは目の上のタンコブ、というか、保護者か口うるさい執事のようだった。マリティムはフィリグラーナの理想どおりの夫ではあるが、「好きになれるか」といわれると、そこは難しい気がしていた。「理想の条件イコール好き」とはならないものだ。

「馬を返却してもらうのは、明朝だと聞いている。君がその場へ行くのは禁止だ。」

「・・・わかりました。」

 しかし、フィリグラーナはお腹の中で(こっそり行ってしまえばわからないわ。)と思っていた。それを察するように、マリティムは間髪入れずに言葉を繋いだ。

「深夜から監視をつける。君の部屋の入り口、バルコニー、庭。すべてに、だ。」

 フィリグラーナは思わず頭を上げ、

「それはあんまりです!仮にも私は婚約者です。婚約者を監視だなんて。」

「仕方がないだろう?残念ながら、まだ僕は君を信じてないんだ。」


 フィリグラーナは自分の部屋へ戻るなり、侍女のダイナに向かって羽枕を投げつけた。

「ダイナの馬鹿!国のお父様に言って、あんたなんかプリメールへ送り返してやる!」

 ダイナは冷静に枕を避け、微動だにせず答えた。

「おあいにくですが、姫。国王様は私に絶対の信頼を寄せております。姫に敵うのは私しかいない、とおっしゃってくださってますし。」

「侍女のくせに生意気!私と同じ歳のくせに、私より身分が低いくせに!!」

 ヒステリックに叫んでシーツやら小瓶やら手当たり次第投げつけてくるフィリグラーナに、ダイナは一喝した。

「姫様!将来、ジェード国のお妃様になるということを、もっと自覚して下さいませ!」

「知らない!だったらダイナが私の代わりに結婚でも何でもすればいいわ!」

「そういう愚にも付かないことを口になさるから、いつまでたってもマリティム王子の信頼を得られないのです。」

「信頼を得られないのは、ダイナがあれこれ言いつけるからよ!」

「それは違います。姫はこの国で大層評判が悪いんです。姫の評判は、王子や国家の評判にも直結します。それを払拭するためには、私だけでなく、王子の力も必要です。姫の行動すべてを王子にも知っていただき、理解すべき部分と叱責していただく部分を把握していただこうと、」

 フィリグラーナは、真面目で理知的なダイナの説教に、最後まで耐えられなかった。

「はいはい、ダイナの立派な心がけには敬服してます!」

 大げさな溜息をつきながら、フィリグラーナは柔らかなソファに身体を投げ出すように座りこんだ。

「さすがの私も、監視されたら何もできないわ。ダイナ、私に紅茶を入れてちょうだい。それを飲んだら寝るから。」

「・・・もう10時を過ぎておりますよ?」

「じゃあ温かいミルクでいいわ。よく眠れるように。」

 ダイナが渋々部屋を出て行くのを注意深く確認すると、フィリグラーナはソファから飛び降りた。監視は深夜から、というならば今しかない。

 フィリグラーナは唯一動きやすい乗馬服に素早く着換えると、ドアを少し開けて廊下の様子を伺った。何の催しもなく、客人もいないこの時間は、最も静かで警戒も薄い。夜遅くなるほど、警備は厳戒になるものだ。

 常に見張りのいる城のエントランスから出るなんて間抜けはできない。

 フィリグラーナは広い廊下を走り抜け、階段を駆け下りた。

 さらに大理石の廊下を突き進み、突き当たりのドアを開け、素早く中にもぐりこむ。

 ここは、古くなった家具や調度品をしまっておく物置のような部屋。普段は、誰も入らない。だが、ここの部屋には使用人達のみが行き交う狭い廊下に出るための扉が奥に隠されているのだ。この城に来たフィリグラーナは退屈のあまり、しょっちゅう城中を探検していた。初めの頃は迷子になりそうだったが、ようやく慣れ、隠し扉や秘密の抜け道などを見つけ出して楽しんでいたのだ。

 この時間も、使用人達は忙しく働いている。

 まさかこんなところに王女がやってくるとは思ってないはずだ。

 フィリグラーナは物置の家具を覆っている黒い布をはぎとると、自分の身体に巻きつけた。 そうっと扉を開け、真っ暗で冷たい廊下に足を下ろす。

 わずかに明かりがもれている部屋から、女中たちの声がした。どうやら、洗濯物をたたんだり、アイロンをかけたりしているらしい。

 フィリグラーナは忍び足で明かりの部屋に近づき、ちょっとだけ中を伺った。みな仕事に夢中で、ほかの事は眼中になさそうだ。

(よし。)

 フィリグラーナは確信し、足早に部屋の前を通り過ぎた。

 真っ暗な中、壁を手で探りながら、外へ出るための扉を探す。

 昼間とは完全に違う景色。

 少しずつ、不安になってくる。

 だが、ほどなくフィリグラーナは真鍮の取っ手を見つけることができた。

(ここを開ければ・・!)

 丸太のつっかえを外し、重いドアを開ける。

 扉の向こうでは、金色の満月が明るく芝生の庭を照らしていた。

 フィリグラーナは身体を覆っていた黒い布を夜空へ向かって放り投げると、西の門へ向かって走り出した。

 胸元で弾む薔薇翡翠のペンダント。

 これをアンドリューに返さねばならない。

 だが、ダイナに頼めば返して「終わり」。フィリグラーナが「何をしてもらおうか。」とワクワクしながら考えた「条件」など、水に流されてしまう。どうせダイナは「今後一切王女に近づくことのないように。」とかアンドリューに言うに決まってる。

 フィリグラーナは、待ち合わせ場所の西の門の番兵にこのペンダントを託し、アンドリューの住まいを聞き出しておくよう命じるつもりだった。番兵はフィリグラーナに逆らって王子に告げ口などしないからだ。

 砂利が敷き詰められた散歩道を外れ、芝生を踏みしめ、小さな林を抜ける。

 城の周囲の見張りは大勢いるが、広大な庭に出てしまえば、門や見張り所といった決められた場所以外に番兵はいない。誰にも見られることなく西の門まで行くことは困難ではなかった。

 だが、馬屋にさしかかった所で、フィリグラーナはふと足を止めた。

 アンドリューはあの時、一体どこから現れたのだろうか。

 まさか門から堂々と入ったわけではあるまい。

 城を取り囲む塀は高く、身長の5倍はある。登ることも飛び越えることも不可能だ。

 では、どこから来たのか。

 秘密の抜け道でもあるのか。

 フィリグラーナの好奇心は、抑えることを知らなかった。

 満月の明るさが、一層好奇心の虫を駆り立てる。

 さっそく、馬小屋の周囲を注意深く歩きだす。

 小屋の裏手は雑草に覆われた高い土手になっている。所々岩肌がでていて、見たところ行き止まりだ。岩肌の苔が、月明かりで幻想的な黄緑色の光を放っている。

 ビロードのような感触の苔をなぞりながら、岩肌を辿っていく。

 と、岩が窪んで小さな洞穴のようになっているのを見つけた。

 人一人やっと通れるくらいの窪みだ。

 中を覗くと真っ暗で、奥行きも何もわからない。

(これが秘密の入り口だったりするのかしら?まさか・・ね。)

 フィリグラーナはひざをつき、おそるおそる穴の中に入ってみた。

 その時、巻き髪を束ねていた赤いリボンがはらりと解けて落ちた。

 

 やがて満月の光は黒い暗雲に覆われ、冷たい風も吹き始めた。

 フィリグラーナを呑み込んだ穴を隠すように、伸びきった雑草は怪しく揺れた。

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