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第78話:壁の街で

 アドルフォ城を発つ時、フィゲラスはソフィアから小銃を渡されていた。

――― リディ様をお願い。今回は、あなたに頼ることしかできない。 ―――

 ソフィアの態度が今まで見たことが無いほど殊勝だったため、フィゲラスは動揺を隠せなかった。

――― スパイかもしれない私に、頼んでいいのですか? ―――

――― 仕方ないでしょう?あなたしか付いて行かないのだから。 ―――

――― 言われるまでもなく私の命はリディ様のものですから。何があっても、お守りします。 ―――

――― 信じるわ。・・・いえ、信じるしかない。 ―――

 真剣なソフィアの瞳は、それ以上何も語ることなく、伏せられた―――

 

 ひたすら馬を疾走させるリディに、フィゲラスは必死についていく。

 頬で風を切りながら、ちらりとリディの横顔を見た。

 カーキ色のマントの襟から覗く目は、遥か遠くを見ている。

 自分の置かれている状況や、母国のことではなく、アンドリューと会える瞬間を想っているのだろうか。

 

 いくつかの集落を抜けた。

 人目のない草原の一本道は、最も気が休まる。狙ってくる者がいれば、すぐに判明するからだ。

 それに反して村や町は人が多く、誰が敵で味方かわからない。

 古いマントと鞍に着けた布袋で貧相な旅人を装っているが、脇目もふらずに駆け抜けることに必死だ。

 そんな中、ある街の市場で、馬の歩みが不意に止まった。

 馬を休ませる必要があるとは思いながら、逸る気持ちがそれを先延ばしにしていた。その限界が、ここで表面化したのだ。

(こんなところで・・・!)

 リディは、息の詰まる思いがした。

 まだ市場が閉まる時間には程遠い。人出も多い。

 フィゲラスはとっさに馬を降り、手綱を引いた。

「井戸で水をもらいましょう。小川を探すには時間がかかりすぎます。」

「・・・すまない、私が・・・。」

「いいですから、急ぎましょう。できるだけ早く街から離れないと。」

 二人は大通りから外れ、小路に入った。少し行けば人の住む家があり、中央に井戸があるはずだ。

 疲れている馬は、なかなか思った様に歩いてくれない。

「リディ様、手綱を。」

 フィゲラスは左手で自分の馬を、右手でリディの手綱を持って引っ張った。

 医師で華奢な印象だったフィゲラスの腕を見たリディは、改めて「男」を意識した。捲り上げたシャツの裾から覗く筋肉の太さは、女性には決して表れない「力」を表している。

 家の立ち並ぶ集落が見えてきた頃、フィゲラスは小声で言った。

「人前で話す時は、リディ様とお呼びできません。」

「わかっている。」

「私達は夫婦ということでいきましょう。名前を呼び捨てにすることをお許しください。」

「夫婦に見えるか?私の髪も服装も、女らしさが見られない。」

「顔立ちは女性ですよ。大丈夫。」

「・・・そうか。」

 フィゲラスの方が、よほど肝が座っている。リディはフィゲラスに事の成り行きを任せることにした。


 狭い通りは、両脇を延々と灰色の高い壁に覆われている。それは各家の壁だが、通りからはどこまでが一軒なのか見当がつかない。ただ等間隔に設けられた茶色い木製の両開き扉が一軒の「入口」を表している。

「リディ様は、私の後ろにいてください。」

 そう言って、フィゲラスは一つの扉を叩いた。

 ここを開けてもらわなければ、何もできない。

 ほどなくして、扉が少しだけ開けられた。

 フィゲラスは、中庭に井戸があるか尋ね、馬に飲ませてもらえないか交渉を始めた。

 相手は白い髭を蓄えた年配の男性だったが、なかなか承諾してくれない。

 プラテアードは飢饉や干ばつから完全に立ち直ったわけではない。井戸の水だって、そう豊かに湧き上がっている状態ではないのだろう。

「桶一杯でいいのです。お願いします。」

 なかなか頷かない男に、フィゲラスは胸元から何かを取り出し、それを見せた。

 リディには、それが何か見えなかったし、フィゲラスが何を説明しているのかも聞こえなかった。だが、それが功を奏したのは明らかで、ほどなく扉が大きく開けられた。

 大きな扉は暗い通路につながっており、それを抜けると中庭に出た。見上げる四方が家屋であり、複数の家族が一つの中庭と井戸を共有している。街中の家は、プラテアードの多くで同じ造りになっている。

 桶2杯分の水をもらって、2頭の馬に一杯ずつ飲ませた。

「飲み終えたら、すぐ出て行ってくれ。」

 旅人の正体がわからない以上、警戒されるのは仕方がないことだ。ジェードの支配下にあり虐げられているのだから、知らない人を家の中に入れないのは当然だし、寄せ付けたくないのも理解できる。

 しかし、水を飲んだからと言って、馬がすぐに走り出せるわけではない。

 リディとフィゲラスは、馬の手綱を引いたまま街を出た。

 雑草の生い茂る一本道に出ると、リディはフィゲラスの背に向かって話しかけた。

「さっき、あの男に何を渡したのだ?」

 フィゲラスは、振り向かずに明るく答えた。

「リディ様が気になさる物ではありません。」

「何か、私物を犠牲にしたのではないか?」

「犠牲だなんて。」

 フィゲラスは小さく笑った。が、リディは納得しなかった。あれだけ拒絶していた男が簡単に堕ちたのだ。それなりの品に違いない。

「さあ、そろそろ馬に乗りましょう。もう日が高い。」

「そうだな。」

 と、その時だった。

 二人の後ろに、複数の蹄の音が地を震わせて近づいてきた。

「リディ様!」

 フィゲラスが異常を察知した時には、リディは既に馬に飛び乗っていた。

 しかし、馬の状態は未だ万全ではない。

 追いかけてくる5頭の馬に乗った男達の形相が、攻撃的な事は明らかだ。

 二人は逃げるために、必死に馬に鞭をくれた。

 だが、気付くのが遅かった。

 あっという間に、二人は草原の中央で囲まれてしまった。

「何の用だ!?」

 フィゲラスが強気な声を張り上げた。そう言いながら、さりげなくリディを自分の陰にする。馬上の男達の中に、さっきの家の男はいない。見覚えのない、若い顔ばかりだ。

 黒い馬に乗った豪胆な顔つきの男が、口の片端を上げて答えた。

「あんたら、どこの国の旅人が知らんが、それなりの物を持っているんだろう?」

 リディは固唾を呑んでフィゲラスの答えを待った。

 しかし、フィゲラスは何も言わない。

「さっき、あんたがバシラー爺さんに渡した代物以上の物を全部置いてってもらおうじゃないか。」

 やはり、それなりの物を渡したのだ。プラテアードに来てから、フィゲラスが何か手に入れられたとは思わない。

 リディは、フィゲラスに囁いた。

「言って。何を渡した?」

「純金の指輪です。家紋入りの私物でしたから、いいと思って。」

「プラテアードはジェードに比べて段違いに貧しい。純金なんて、一生の賃金に相当するのだ。目の色も変わる。」

「・・・軽率でした。」

「ここで身ぐるみ剥されるわけにはいかない。」

「わかっております。いざという時のため、ソフィアさんから銃を託されています。」

「いや、フィゲラスは医師だ。人を傷つけてはならない。私が相手をする。」

 リディは顔を上げ、射抜くような瞳で男達を凝視した。

「私達はプラテアード人です。同朋から追剥ぎするつもりですか?」

「そんなことは関係ない。どこの国の奴だろうと、どうでもいいのさ。」

「プラテアードは、今こそ団結して独立を勝ち取らなければならないというのに!」

 すると、男達は鼻先で笑った。

「独立・・・ね。」

「独立なんて、何になるってんだ!?」

 リディの息遣いが変わるのを、フィゲラスははっきりと聞いた。

 男達は、顔を斜にして悪態をついてきた。

「この飢饉!国は何をしてくれた?ジェードが好き放題略奪するのを、傍観していただけじゃねえか!」

「どうせ独立したって、変わりゃあしない。ジェードの侵略を止める力が無いのは明らかなんだからな。」

「そうさ!これで独立してみろ、今度はアンテケルエラの配下に置かれるだけだ。」

「みーんな、わかっていることさ。」

「独立独立って言ってる奴らは、まだアドルフォに幻想を抱いているだけなんだよ。」

「くだらない、一体、奴が死んで何年経つと思ってるんだ?」

 リディの唇が震えて、それでも大声を上げずにはいられなかった。

「プラテアードの首長が・・・!首長が今、ジェードに人質にとられているのですよ?国のために命を賭けているのに!すべては独立のためなのに!」

「そんなもの、俺らには関係ないね。」

「そうそう、首長なんて、所詮何の役にも立ちゃしない。」

「聞きゃあ、プラテアード王家の忘れ形見だって?革命家アドルフォの娘を騙っていたなんて、ふてぇ野郎だ。」

「国民を騙した首長なんて、こっちから願い下げだね!」

 ショックだった。

 キールは、民衆はみんなリディが王女であっても首長として変わらない目で見てくれていると言っていた。それが、どうだ?話と違うではないか!

「あの噂、こいつら知らねえんじゃないか?」

「ああ、ずいぶんと山奥の田舎から出てきたようだからな。」

(噂?)

 リディは眉を顰めた。

「首長はジェードに亡命したって噂だぜ。」

「亡命?」

 リディは思わず訊き返していた。

「どういうこと?」

「プラテアードを捨てて逃げたってことさ。人質なんて言ったって、どうせ悠々と贅沢三昧させてもらってるのさ。所詮は王家同士。連れ去られた振りして、実際は・・・。」

 リディは首を大きく振った。

「何を根拠に、そんなことを言う!?」

「フレキシ派の幹部は、誰も動きゃしないじゃないか!いい証拠さ!」

「!!」

「首長奪還の素振りも見せやしねぇ!本当に必要な首長なら、国の存亡を賭けて戦いを挑むのが筋だろうが!」

 リディが次の言葉を発するのを、フィゲラスが押し殺した声で止めた。

「これ以上は、駄目ですよ。素性がばれたらどうします?」

 リディは唇を噛み、男達を睨みつけた。

 このまま、話合いで解決なんて望みは捨てた。

「――― フィゲラス。つかまりそうになったら、何が何でも逃げてくれ。」

「それは私のセリフです。」

「駄目だ。今回、アンドリューが求めているのはフィゲラスだ。出発前に渡した地図に記号をつけてある。ここからなら、北へ真っ直ぐ進めばいい。」

「そんなことは、できません。」

「万が一の時だ。私だって、やられるつもりはない。」

 リディは、腰から剣を抜いた。

 首長が国民に刃を向けるなど、あってはならないことだ。だが、今は仕方がない。

 リディは、強い向かい風にも目を細めることなく叫んだ。

「私にさからったこと、後悔するがいい!」

 その言葉を合図に、全員が動き出した。

 

 リディは正面の屈強そうな男に真っ直ぐ向かった。

「やぁっ!」 

 銀の刃が空を切り、正面の男の持つくわに当たった。

 反動で押し戻された剣を、リディは横から突っ込んできた馬頭に突きたてた。

 馬の悲鳴が、空を劈く。

 馬に罪はないが、男の腕を切りつけたくらいでは勝負がつかない。

 リディは、次の相手に向かった。


 フィゲラスは剣を持っているが、馬に乗りながら使いこなす腕はない。相手の男達だって所詮は騎士ではないのだから、技術は知れている。だが、奴等は大きな鍬やらすきをなりふり構わず振り回すのだから、適わない。

 リディの様子を気にする余裕などなく、錆びついた農具から必死に逃げる。それだけだ。

「フィゲラス、はやくこちらへ!」

 気付くと、男達の輪から離れたリディが、大声で叫んでいる。

 フィゲラスが身体を乗り出し、馬に鞭をくれたその時だった。

 リディに向かって、一人の男が大きな鍬を投げつけたのである。

 鍬はリディの乗った馬の腹に当たった。

「!!」

 痛みで鋭い嘶きをあげ、馬は前足を大きくあげて暴れた。

「駄目!」

 リディは馬を宥めようと必死に手綱をとったが、無理だった。

「あぁっ!」

「リディ様!」

 鈍い音をたてて、リディは地面にたたき落とされた。

 倒れたリディの身体に、すかさず男達が手を伸ばす。

 フィゲラスは躊躇いなく、銃を撃った。 ―――――――  !


 蒼天に響く銃声が、遠くの木立に群れた鳥を羽ばたかせた。

 

 撃たれた男は、のけぞって草原に埋もれた。

 残った男達が次の動きをする前に、フィゲラスは再び銃口を向けた。

 できれば、無駄な発砲はしたくない。

 これから先も、何があるかわからない。

 予備の銃弾などリディだって持っていないだろう。それが、この国の現実だ。

「動くな!!見ての通り、私達は農民でもなければ、田舎の猟師でもない。これ以上さからっても、勝ち目はないぞ!」

 フィゲラスは叫び、男達に銃口を向けたまま、リディの傍に寄った。

 落馬したリディは、気を失って動かない。

 男達と睨み合ったまま、フィゲラスは固唾を何度も呑みながら、リディの柔らかい身体を馬の背に乗せた。そして次の瞬間には自分も飛び乗り、素早く鐙を蹴った。

「やあぁぁっっ!!」 

 これ以上追いかけまわされるのも、何かを投げつけられるのもごめんだ。

 だが、男達がどういう動きをしていたか、振り向いて確認する精神的余裕がなかった。

 仕方なく、フィゲラスはもう一発だけ、男達に向かって銃を撃った。


 それが何かに当たったのか、当たらなかったのか。


 それを気にする間もなく、フィゲラスはただ只管に北へ馬を走らせた。

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