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第75話:縁を繋ぐ鳩

 目を覚ましたフィリシアは、アンドリューを見るなり怯えて声を上げることもできなかった。

 今までとは違う場所。

 今までとは違う男。

 何が起こったのか、見当さえつかない。

「俺は国王陛下からあなたの面倒を見るよう頼まれた。今日から暫く、ここで過ごしてもらう。一週間に一度、陛下が来る。次に来た時、詳しい話を聞くといい。」

 フィリシアは身体を強張らせたまま、アンドリューの頭から爪先まで視線を流した。

 鋼の塔にいた時の監視役ではなく、なぜこの男でなければならないのか?

 フィリシアは合点がいかない。

 アンドリューは、その疑いの眼差しから逃れることなく、言い放った。

「あんたが本物のプラテアード王女でないことは、俺も陛下も知っている。」

「!!」

 フィリシアは、思わずドレスの胸元を掴んだ。

 誤魔化しきれなかったのだという絶望よりも、このことでプラテアードがどうなるのかを案ずると、震えが止まらない。

「だから陛下は、あんたを密かに匿うことにしたんだ。本来なら即刻見せしめの処刑、そして戦争だ。それを陛下がしなかった理由を、あんたが一番良くわかっているんじゃないか?」

「・・・。」

「実の処、陛下の思惑は俺にはわからない。とにかく、あんたの面倒を見ることになっている。そこで、名前を教えてくれないか。」

「な・・まえ?」

「偽物なんだから、王女とは呼べない。名前は?まさかこの期に及んでまで誤魔化す気はないだろう?」

 フィリシアは、迷った。アンドリューがもし「カマ」をかけていたとしたら?

「まず、御自分からお名乗りになったらどうです?」

「俺はプラテアード第四総督府総督、プリフィカシオン公爵。あんたが捕えられて牢に入れられていた時、一度会っている。」

 フィリシアは、眉を顰めた。

 覚えは、無い。プラテアードからジェードへ来る長い道のりの記憶は、ほとんど無い。

「私の名は・・・フィリシア。」

 田舎娘にありがちな、ありふれた名だ。

 ミルク色の肌に、緑色の瞳。初心で純朴なあどけなさが頬に残る。

 この娘のどこに国の存亡を賭ける程の素質を見出したのか、アンドリューは無性に知りたかった。だが、フィリシアの警戒心はそう簡単に解けず、会話は続かなかった。本物のプラテアード王女、リディの話をしようかとも思ったが、表面上は「敵」である以上、余計な事は言うべきでないと自重した。

 祈りと読書と、縫い物。それがアンドリューの見た、フィリシアの生活のすべてだった。

 


 運命は、一体、何に味方をしたのか。


 月の満ち欠けが何度も繰り返さぬうちに、フィリシアはマリティムの子を身籠った。




 プラテアードはどうなったのか、隣国のアンテケルエラはリディの捜索を続けているのか、それより、ジェードは今、どうなっているのか。

 何もかもわからない、隔離された空間。

 アンドリューは、日に日に大きくなっていくフィリシアの腹部を見るたびに焦燥感に煽られた。

 信用のおける医師の存在。

 マリティムは、フィリシアが妊娠してから、更に疑心暗鬼に陥っていた。王宮の誰にも絶対知られない様、神経を張り詰めていることがよくわかる。そして、ここへ来てアンドリューとフィリシアの顔を見た時だけ、やつれた頬をほんの少し緩ませるのだ。そんなマリティムが、今から「信頼のおける医師」を王宮で見出して連れてくるとは思えない。

 アンドリューは、毎晩考えに考え、やはり、フィゲラス以外にはありえないと結論づけた。アンドリューの身分も、プラテアードの事情にも通じているフィゲラス。だが、フィゲラスをここへ連れてくる方法が問題だ。レオンに頼んでプラテアードから奪ってこいと言いたいところだが、レオンに会う事は適わない。第一、この場所をレオンは知らないし、知られてはならない。もちろん、プラテアードの本物の王女と繋がっていることは、マリティムに知られるなどもっての外だ。あくまで、プラテアード総督府の医師を召喚したという想定で呼ばなければならない。


(いよいよ、最後の切り札を使う時が来たか。)

 

 アンドリューは、窓越しに遠い暗雲を睨みつけながら、固唾を呑んだ。

 いつ、どういう場面でプラテアードと縁を持つかわからないと思い、あえてリディに返さなかった。ずっと人知れず面倒を見てきた。出掛ける時には必ず懐に隠して持ち歩いていた。今もアンドリューの部屋の窓辺の巣箱の中にいる。

 伝書鳩。

 リディがエストレイの手から逃れてアンドリューと会うために飛ばした伝書鳩を、アンドリューは運命を左右する鍵のように感じていた。いや、そんなに深く考えていたわけではない。リディと会った時、鳩を返すつもりでいた。だが、リディから薔薇翡翠のペンダントを返されても、なんとなく返す気にならなかったのだ。リディも何も言わなかったのをいいことに、そのまま持ち帰った。

 だが、ここからリディのいるアドルフォ城までは、相当な距離がある。一体、この鳩がどれほどの距離を飛べるのかアンドリューにはわからない。

(しかし、ここから離れられず、誰にも頼れない俺に残された通信手段はこれだけだ。)

 巣箱から手の甲にのせた鳩は、すっかりアンドリューに懐いている。

 柔らかな羽を撫でながら、一か八か、賭けるしかないと覚悟を決めた。

 銀の小さな筒は、リディからの文が入っていたもの。

 これで、今度はリディに手紙を書く。

 偽物をジェードに送り込み、未だどこかへ姿を隠しているのかわからないが、とにかく、やるしかない。プラテアード国が今どうなっていようと、迷っていても悩んでいても、これ以上の策は出てこないだろう。

 

 アンドリューは、小さな紙に油の強いインクで認めた。


――― 偽物の王女のためにフィゲラスを召還したい。葡萄月の満月、以前再開した草原にて待つ ―――



 リディは、まだ地下に籠っていた。

 外の様子は逐一報告があっても、それが本当か嘘かの判断さえできない。

 時折、不安で、孤独で、焦燥感で、発狂したくなる。

 リディはその度に育ての父、アドルフォが記した書類や、アドルフォが愛読した書物を読み返して心の平静を保つよう努めた。

 だが、ここまで来ると、自分の存在はプラテアードに必要なのか?と思い始める。

 自分がいなくても国は国として成立している。

 キールやソフィアや独立運動の仲間たちが、「きちんと」国を運営しているのだ。

 国民にとっても、外国にとっても、プラテアード首長リディはジェードに幽閉されていることになっている。それでも、

(それでも、すべては・・・歴史は、動くということだ。)

 額を手で覆って、眉を顰めて唇を噛む。

 いつからだろう?悩い迷った時、この仕草をする癖がついていた。

(私なんて、本当はプラテアードにいらない・・・?「国のために」なんて思い上がりだった?アドルフォの本当の娘でない私には、誰も期待しないということ?)

 そうなると、ここで耐えている意味が無い気もする。今、暗闇の空間でリディを支えているのは使命感だけだとういうのに、それが奪われたらどうなってしまうかわからない。

 時間の感覚がなくなっている。

 いつ、昼で、いつ、夜なのか。

 太陽が見たい。

 月が見たい。

 雨に、痛いほど打たれたい。

 稲妻の音に怯え、荒れ狂う風に身をぶつけたい。


 そんなある日のことだった。

 黒いマントに包まれたキールが、リディのもとへやってきた。

 固いベッドに身を投げ出していたリディは、キールの声で飛び起きた。

 キールがここへ来ることは、ほとんどない。来る時は、絶対に誰にも伝言が出来ない用件の時だ。

 ランプ一つの灯りに顔を寄せ合い、キールは言った。

「伝書鳩が昨夜、リディ様のお部屋の巣箱に戻りました。」

「・・・!それは、まさか・・・。」

「お心当たりがありますね?銀の筒の中に文が入っているか、急いでリディ様に確認していただきたいと。私が見るわけにはまいりませんので。」

 小さな銀の筒を、震える手で受け取った。

 鳩の事を忘れていたわけではない。だがアンドリューと再会した夜、鳩の事をあえて口にしなかった。心の底ではアンドリューが持っていることで二人の縁を切らずにいられるのでは、と期待したからだ。それが今、思惑通りこうして次の縁を生み出した。

 リディは、キールを見つめた。

「鳩・・・・、どれくらい疲れていた?」

「相当ですよ。かなりの距離、飛んできたみたいです。今、ソフィアが世話をしています。」

「そうか。」

 銀の筒を、両手で胸に抱き締めた。

 きっと、何か入っている。

 それが、何なのか。

 久々の緊張に胸を高鳴らせ、リディは筒の蓋を取った。

 

 リディは丸まった紙片をおそるおそる開き、しかし文面には素早く眼を走らせた。

(どういうこと・・・?)

 偽物の王女の為とは?

 病気にでもなっているのか?

 それに、なぜフィゲラスなのだ?

 ジェードには医者がくさるほどいるではないか。

 リディは唇を引き締め、キールに尋ねた。

「葡萄月の満月って、何日後?」

「・・・50日後ですね。」

「私、その日までにここを出たい。いいえ、出なければ。」

「危険です。許可しかねます。」

「キール!」

 リディは、思わず立ち上がった。

「私は、一体いつまでここに居ればいい!?もう、うんざりだ!もうアンテケルエラだって、私はジェードに連れ去られたことを疑ってはいまい!?」

「その文に何が書かれているか存じませんが、リディ様の容姿がアンテケルエラに知られている事をもっと深刻にお考えください。」

「私は革命家だ!これ以上逃げたくない!容姿がどうというのなら、また男装する!」

「そんなもの、すぐに見破られます!」

「では、教えてくれ!私はいつまで、ここにいればいいのだ!?」

 キールはリディを正視できず、視線を落とした。

 答えられないキールに、リディは思わず日頃の不安を口にしていた。

「私の存在など、もう、用無しということなのか。」

「・・・リディ様―――?」

「私などいなくても、国は動く!所詮アドルフォの娘でなかった私など、プラテアードにとってはいなくてもいいということなのか!」

 キールは、慌てた。

 リディが、こんなネガティブな思いを持っているとは考えていなかった。

「違います!誰もそのようなことは考えていません!大切だからこそ、ここに匿っているのです。国民は、ジェードの人質となった王女を思って毎日祈りを捧げています。それを否定なさるのですか?」

「私がいなくても、キールがいれば国は安泰だ。民は、そう思っているのではないか?」

「リディ様の存在は、唯一無二のものです。国が安泰でも、独立はできない。その原動力になり得るのは、人質になっている王女の存在なのです。そのカリスマ性は、リディ様にしかないものなのです。」

「そんなもの、この私にあると思えない・・・。」

「いいえ、疑いようのないことです。どうか、自信を持ってください。そして今一度、ご自身の立場を自覚なさってください。」

 リディは一度唇を震わせ、しかし、言った。

「葡萄月の満月の前日までは、ここにいよう。だが、その日が来れば、外に出る。」

「・・・その文は、アンドリュー殿からのものですか。」

「・・・。」

「あの方以外、リディ様の伝書鳩を預かることなどありえませんからね。」

「キール、私は・・・。」

「お一人では、いかせられませんよ。」

「フィゲラスを、連れて行く。」

「フィゲラス?」

「近いうちに、ここへ呼びたい。直接、話がしたいのだ。」

「・・・承知しました。」

 静かに立ち去ろうとしたキールだったが、ふと立ち止まって振り向いた。

 何か言いたげに口を開いたが、やがて閉じた。

 リディは、アンドリューとの関係に何を思い、どうするつもりなのだろう。

 アンドリューをどれほど深く愛しているか、わかっている。二人の間に、確かな運命が存在していることもわかっている。

 でも、敵だ。

 プラテアードの王女がジェードの王子と会っていることを、互いの国民が知ったらどうなるだろう。

 すべてを承知でリディがアンドリューに会うというのなら、止められない。

 しかし、すべての使命より恋心が勝っているのだとすれば、止めねばならない。

 キールはそれを問いただしたかったのだ。

 だが、訊けなかった。

 リディが本心を言うわけがない。

 いや。

 本当は、その本心を聞くのが怖いのかもしれない。




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