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第74話:薔薇の古城

 鬱蒼とした茂みの中に佇む古城は、もう何十年も使われていない。

 枯れた蔦が石の壁にへばりつき、黒い鳥が周囲を舞えば、さながら幽霊屋敷のようだ。

 この古城の名は「薔薇城」。

 今は見る影もないが、昔は美しい薔薇の庭に囲まれていたから。

 南側の塔の壁に掘られた王家の表紋章は、薔薇の花弁をモチーフにしている。

 錆び崩れた門扉を通り過ぎ、膝上ほど伸びた雑草を踏みしめ、エントランスまでの長い道のりを進む。 辺りを警戒しながら先頭を切るのはアンドリューで、その後ろにフィリシアを背負ったマリティムが続く。

 蝶番が取れかかった重い木製扉を開けた途端、アンドリューは驚いて息を呑んだ。

 空気が澄んでいる。

 埃が無い。

 蜘蛛の巣も無い。

 外観からは想像もつかない、「人が住める空間」。

「右奥の部屋の扉を開けてくれ。」

 マリティムの言葉に従うと、扉の向こうには小ざっぱりとした清潔な「女性用」の部屋が設えてあった。

 白いベッドの上にフィリシアを寝かせると、マリティムは息を吐きながら窓辺の椅子に腰かけた。

 アンドリューは、声を押し殺して尋ねた。

「彼女を、どうする気だ?」

「・・・ここで、匿う。」

「何を企んでいる?この女は偽物だ。それを承知で何をしようというのだ?」

 マリティムは一度口を噤み、それから意を決してアンドリューを見つめた。

「私は、賭けをする。」

「賭け?」

「彼女との間に子を設け、その子が紋章付きであったならば、フィリグラーナと離縁し、彼女と復縁する。」

「!!」

 アンドリューは驚いて首を振った。

「この女は、王族でないばかりか、どこの馬の骨ともつかぬ輩だ。例え子供が紋章付きであったとしても、そんな結婚は誰も認めないぞ。」

「国王は私だ。誰にも文句は言わせぬ。」

「第一、あのフィリグラーナ王妃が離縁に応じるとは思えない。プライドの人一倍高い彼女のことだ、大人しく引き下がるわけがなかろう?」

「故郷のプリメール国の安泰を引き合いに出せば、嫌でも頷くしかあるまい?」

 アンドリューは、眉を顰めた。

「子供が出来なかったらどうする?子供が出来ても、紋章が無かったらどうする?その確率の方が遥かに高いと思うが?」

「だから、賭けなのだ。」

「この女に、その賭けをするだけの価値があるというのか?」

「・・・そうだ。」

「子供が生まれるまで順調に行っても約一年、下手すれば何年かかるかわからない。その間、どう匿う?大体、そのうちプラテアードの本物の王女が動き出す。そうなれば、」

「アンドリュー。だから、他でもないお前を召還したのだ。」

「・・・。」

「彼女の面倒を見て欲しい。子供が生まれたら、紋章があるか確認して知らせて欲しい。それは、神使か王家の者にしか頼めぬことだ。こと今回においては、絶対に他人に知られては困る。そうなれば、肉親のお前しかいないではないか。」

「この城を住めるように掃除したのは誰だ?そいつが何か勘付く可能性は?」

「案ずることはない。すべて、私が一人でやった。」

「国王が・・・掃除を?自ら?」

 アンドリューの問いに、マリティムは「当然」という落ち着いた表情で答えた。

「身の回りの事は自分でできるように、爺やから仕込まれている。どうということはない。」

 アンドリューは、信じられない気持ちで尋ねた。

「ここまでする理由は何だ?紋章付の跡継ぎのためか?」

「・・・それも、ある。」

「レオンが言っていたが、まさか本当にこの女のことを・・・。」

 マリティムは視線を反らし、その問いには答えなかった。無言は、肯定の証だ。

 しかし、まだ理解できない。

 アンドリューは顎に指を押し当て、考えながら言った。

「絶対に医者が必要だ。確かに俺は昔、軍の衛生班にいたが、妊娠だの出産だのには全くの素人だ。人命に関わる。責任を負えない。」

「駄目だ。信用できる医者がいない。」

「ハロルド伯爵―――爺やは、医師の資格があると聞いているが?」

「爺やが何週間も王宮を離れていたら目立ちすぎる。私と貴族連中との伝令役でもあるし、家族も王宮に住んでいるし、身が重いのだよ。一週間に一度通うくらいならまだしも、いつ出産を迎えるか不安定な時期に長期滞在させるのは不可能だ。」

「では、せめて臨月を迎えるまでは伯爵をよこしてくれ。レオンの話では、伯爵も彼女を買っている様だし、喜んで協力するだろう。」

「そうだな。そうしよう。」

 だが、出産の時はどうする?

「俺には責任が持てない。せっかく紋章付の子供が産まれたとしても、何かあっては元の木阿弥だ。」

「残念ながら、やはり思い当らぬ。この大事を委ねられ、しばらく身を隠しても、万一の時には始末しても怪しまれない身軽さがある医者、いるか?アンドリューには心当たりがあるか?」

 その時、アンドリューの脳裏にフィゲラスの顔が浮かんだ。

 紋章の秘密を知ってしまったフィゲラス。誠実で正義感の強い、忠誠心の高いフィゲラス。だが、彼は今、プラテアードのリディの「もの」だ。

 アンドリューは、固唾を呑みながら考えた。

 フィゲラスを一時期でも呼べるか?リディが一時でも手放すか?いや、それ以前にフィゲラスがジェードの土を再び踏むことを承諾するのか?

 答えは出ない。

 だが・・・

「心当たりがあれば、勝手に召還してもいいか。」

 マリティムは、薄い唇を引き締めた。

「アンドリューが信頼できるというのなら、私も信頼しよう。だが、その医者、万一の時は命を捨てる覚悟が必要だぞ。」

「その覚悟を持っている男だ。俺は、それを証明できる。」

「・・・そうか。アンドリューの周囲には、レオンといいアランといい、忠誠心の高い者が集まるのだな。うらやましいことだ。」

「身分が違う。俺は影の身。同情も買いやすい。」

 マリティムは切ない微笑みを浮かべ、立ち上がった。

「私は城へ戻る。必要な物は私が週に一度運んでくる。そなた達はここから一歩も外へ出てはならない。アンドリューの部屋は2階だ。不自由がない様に、色々そろえた。」

「単独で行動するのは危険だ。万一の事があったらどうする?」

「十分に気を付ける。」

「そういう問題ではないだろう?それに―――、」

 アンドリューはそこまで言って、一旦躊躇した。が、

「俺をそこまで信用していいのか?俺達は一緒に育ったこともない、血の繋がりはあっても赤の他人と変わりない関係だ。それに、俺だって男だ。あの女と過ちを犯さないとも限らない。」

 するとマリティムは一度無表情になったが、次の瞬間には低い声をたてて笑った。

「笑いごとか?」

 怒った口調のアンドリューに、マリティムは柔らかな笑顔を返した。

「確かに、そうだな。だが、そのようなこと考えてもみなかった。」

「俺を買い被るのは良くない。俺は、王座を狙っていつ裏切るかわからぬ存在なんだぞ。」

「・・・アンドリューは、王座が欲しいか?」

「・・・。」

「欲しがっているとは思えない。なぜなら私自身が、欲していないからだ。国家への責任や己の使命を全うすべく最善を尽くすし、敵国への容赦もしない。だが王位への執着はない。私と最も近い血を持つアンドリューも、同じ気持ちだと思っている。」

 アンドリューは、なぜか切ない気持ちになった。

 会った事の無い間は、兄を嫌悪していた。理由もわからず、憎んでいた。

 しかし、今は違う。

「俺を・・・信じてはいけない。俺が国王を欺かないとは限らない。」

「そうかもしれぬ。だが、疑えない。理屈ではないのだ。」


 

 グレーの蒼空に溶け込むように小さくなる馬車を見送りながら、アンドリューは役割の重大さが徐々に身体に染み渡っていくのを感じていた。

 奇しくもリディの身代わりの女を、兄が愛してしまうとは。

 その禁断の恋を、こんなに近くで見守ることになるとは。

 そして、フィゲラス。

 いつか本当にフィゲラスを頼ることになるのだろうか?大きなリスクだ。不可能に近い事だ。だが。


(リディ。俺達はやはり、抗えない縁で繋がっているのだろうか・・・。)



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