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第73話:兄の横顔

 マリティムが塔の中から出てきたのは、青白い霧が景色を覆う早朝のことだった。

 まんじりともせずマリティムを待ち続けたレオンには、塔の中で何があったのか想像もつかない。

 マントで固く身を包んだマリティムは、声を押し殺し、命令を下した。

「レオン。すぐにアランとアンドリューに電報を打ってくれ。至急、王宮へ来るようにと。」

「え?」

「アンドリューが王宮を嫌っているのは承知している。私も、できることならアンドリューをここへ近づけたくはない。だが、どうしても力を借りねばならないのだ。レオンは一休みしたら、国境へ二人を出迎えに行ってくれ。」

「塔の中の王女は――― 」

 レオンは躊躇いつつも、やはり確かめずにはいられなかった。

「王女は、どうなったのです?」

 マリティムは伏せ目がちに、小さく答えた。

「別に―――、どうもなってはいない。」

「偽物かどうか、確認できたのですか。」

「フィリグラーナの証言を信じれば、確かに偽物だ。だが、あの王女が自ら白状すると思うか。死んでも口を割らぬ、そういう女だ。」

「では・・・。」

「とりあえず、アンドリューに真偽を確かめてからだ。レオンは知らなくとも、アンドリューは知っているかもしれない。・・・いや、アランの方が色々わかっているかもしれぬな。」

「・・・!」

 確かに、アランならマリティムの詰問に抗えず、すべてを話してしまうかもしれない。

 そのために、アランまで召還しようというのか。

 二の句が次げぬまま、レオンは、速やかに立ち去ろうと踵を返した。

「レオン。」

 マリティムは、そんなレオンを諌めるように言い放った。

「私はお前を二度とアンドリューに会わすつもりはなかった。が、今回ばかりは止むをえまい。しかし、お前は私のものだ。アンドリューには返さない。それは忘れるな。」

 レオンは頷く代わりに

「すぐに電報を打ちます。」

と答えた。



 第四総督府。

 召還命令を受けたアンドリューは、電報の刻まれた紙を握り潰し、宙を睨みつけた。

(何があった?王女が偽物とばれたか、それとも――― )

 しかも、アランまで呼び出されるとは。

(アランとも、別れる日が来たのか・・・?)

 当然ではあるが、レオンの電報ではマリティムの意図など全くわからない。

 アンドリューは意を決し、アランに荷造りを命じた。

「二度と戻ってこられないかもしれない。そのつもりで、準備をしろ。」

 アランの表情は見る見るうちに曇り、何か言いたげだったが、結局口を噤んだままトランクを手にとった。

 アンドリューは留守をネイチェルに委ね、日付の変わらぬうちに総督府を出た。

 

 日が昇る頃、二人は一度、澄んだ泉の脇で休憩をとった。

 馬に水を飲ませながら、アランは強張る口を無理に開いた。

「僕はなぜ、今回、陛下からお呼びがかかったのでしょう?」

 アンドリューは、自分の顔を泉で洗い流していた。滴る露を手の甲で払いながら、

「さあな。」

 と、ぶっきら棒に答えた。

 アランは唇を噛みしめ、顔を背けた。

「そうですよね。アンドリュー様にとって、そんなこと、どうでもいいことですよね。」

 アンドリューは、何と答えていいか迷っていた。

 マリティムがアランを召還する時は、別れの時以外ありえないと確信している。

 今生の別れを前に、アランを思い切り突き放した方がいいのか。優しく別れを惜しんだ方がいいのか。

 アランの涙目を見てしまったアンドリューは、胸の潰れる思いに苛まれた。

「電報だけでは、詳しい事が何もわからない。俺自身、なぜ呼ばれたのか見当がつかないくらいだ。どちらにせよ、俺達は国王の命令に従うのみ。そうだろう?」

「・・・はい。」

 本当のところ、マリティムの思惑など、アンドリューの想像の域に達しない。

 長年離れて生きてきた兄のことなど、ほとんど知らない。

(そうだ。俺は―――、孤高の星の下に産まれた。それを思い出す時が来ただけだ。)

 


 国境は、ジェード軍が堅い守りを築いていた。

 規則正しく並列している軍服の緋色の肩章が、国境線を赤く縁取っている様に見える。

 見上げる高さの有刺鉄線の柵の向こうに、深緑のマントを翻して馬に跨るレオンの姿があった。

 レオンが兵士に合図をすると、鋼鉄の門がギギ・・・と音を立てて開いた。

 アンドリューとアランが門を潜るのを見届けるや否や、レオンは鐙を強く蹴って走り出した。そのため二人は、何を言う間もなく懸命に追うしかなかった。


 厚い木々の葉が空の色さえ覆う、森の奥深く。

 その人気の無い空間で、レオンはようやく馬の歩みを緩めた。

 馬から降りた3人は、手綱を握ったまま誰からともなく中央へ集まった。

 久々に互いの顔を見ることが許された瞬間。だが、灌漑にふける時間はなかった。

 レオンはアランを一瞥してから、辺りを見回し、最後にアンドリューを見つめた。

「王女が偽物であることが、陛下にばれた。」

「!!」

 アンドリューは、思わず身を乗り出した。

「一体どこから?なぜ!?」

「昔、エンバハダハウスにアドルフォの娘が潜入していたことを、フィリグラーナ王妃が陛下に話した。王妃はアドルフォの娘の髪の色も瞳の色も覚えていた。それで・・・。」

 アンドリューは軽く下唇を噛んだ。フィリグラーナが、王宮の外へ出歩いていた事をマリティムに暴露するはずがないとたかをくくっていた。が、その読みは甘かったのか。

「陛下から、何か訊かれたか?」

「ああ。だが、徹底してしらを切った。エンバハダハウスにアドルフォの娘が潜入していたこと自体初耳だと言っておいた。・・・信じてもらえたとは思っていない。おそらく、その真意をアンドリューにもアランにも、陛下は尋ねるだろう。」

 アランは、二人の会話から、初めてジェードに連れ去られたのがリディでなかったことを知った。それは良かったが、それをアンドリュー達が今まで自分に教えてくれなかったことを不満に感じた。そんなにも、自分は信頼されていないのだろうか。

「それで、偽物はどうなった?」

「まだ生きている。しかし、陛下がこの先どうするつもりか、俺にはわからない。」

 アンドリューは、少し考えてから言った。

「偽物とばれたら、即刻処刑し、プラテアードを潰しにかかると思っていたのだが。」

「俺も、その覚悟をしていた。が・・そう簡単に済まされないかもしれない。」

「どういうことだ?」

「偽物の王女だが、偽物と思えないほど聡明で誇り高い素晴らしい女性なんだ。本物のリディさえ、これほどの資質を持っているかと疑問に思うほどに。本当はリディが偽物ではないかと・・・疑うほどに。」

 アンドリューは、強く首を振った。

「リディは本物だ。同じ王家の血をひく者として、俺が保障する。」

「それはわかっている。わかっているが・・・。」

 レオンは、塔の中の王女とマリティムの関わりを、知る限りを語った。そして最後に、こう、付け加えた。

「陛下は偽物の王女を憎からず・・・思っている。そして多分王女も、陛下を・・・。」

 アンドリューは、息が詰まる思いがした。

(もし、連れ去られたのがリディだったら・・・。)

 リディだったら、どうなっていたか。

 マリティムとの関わりで、どうなっていたか。

(いや、それよりも万が一・・・・。)

 アンドリューが想像し得る様々な展開に眉を顰めている間に、レオンはアランの方を向いた。

「アラン、これから俺達は今まで以上に全力でアンドリューを守らねばならない。だが、それは近くでではない。おそらく・・・遠く離れた所で。」

「・・・!」

 アランの瞳は一瞬、不安の色を隠せなかった。

「とりあえずは、陛下からエンバハダハウスにリディが潜入していた事について、色々聞かれるだろう。だが、実際、俺達がリディの正体に気付いたのはヴェルデを離れてからだ。だから、『知らなかった』で押し通せばいい。俺達の口から、アンドリューを反逆者にしてはならない。男装の少女がいたこと、その少女の動向を見張るために俺が使い走りに雇っていたことは、話してもいい。だが、それ以上は絶対に口にするな。それ以上どうするかは、・・・アンドリューが決めることだ。」

 アランは、しっかりと頷いた。

「わかりました。僕は決して、アンドリュー様の非に繋がる様な事は喋りません。」

 アンドリューは、アランとレオンの肩を軽く叩き、

「行こう。」

と促した。

 向かい風が飛ばした木の葉が、アンドリューの引き締まった頬をかすめていった。


 

 王宮のある首都ヴェルデには、独特の臭いがある。

 歴史の香りと、そして、多くの人々を踏みつけにしてきた血の臭い。

 ここで実際に戦いが行われたことはないのに、錆びた鉄のような臭いを感じる。

 長いことジェードを離れ、プラテアードや国境付近に住み続けて来た者にしかわからない感覚なのかもしれない――― そんな事を考えながら、アンドリューは夜の静けさに包まれた街を進んでいた。

 たった一つ執着する場所があるとすれば、エンバハダハウスだけ。物心ついた頃から暮らした思い出深いあの建物は、焼け落ち、今はもうない。

(つまり過去に捕らわれるなということか。あの日々は幻だったと、・・・忘れろというのか。)

 思い出に耽る間もなく王宮に辿り着いた。

 二人の到着を、余程待ちかねていたのだろう。

 ほとんど時間をかけず、マリティムに会うことになった。


 天井に蜘蛛の巣が張り巡らされた、黴臭い物置き部屋。

 使用人でさえ近寄らない、開かずの間になっている地下室は密会に適している。

 だが、埃が厚みを増す木箱には誰一人座る気になれず、4人は立って話さざるを得ない。

 アランは、こんなにも近くでマリティムを見つめたのは初めてに等しかった。確かに言葉を交わしたことは何度かある。だが、相手は国王。伏せ目がちに見るのが常だった。それに、幼い頃引き合わされた直後に足を故意に痛めつけられた辛さも、忘れられない。

「・・・まるで10年前の自分を見ているようだ。歳を経て尚、似ている度合いが変わらぬ男がいるのは有難い。」

 アランは、思わず瞳に力を入れてマリティムを睨みつけた。

 アンドリューの実兄であることは承知していても、この男のために自分の人生を捧げる覚悟はできていない。自分の役割がマリティムの影武者となることであっても、命を捧げて仕えたいのはアンドリューだけだ。自分の主人はアンドリューだけ・・!それを証明するかのように、アランは硬い表情を向けた。

 そんなアランの心を感じ取ってか、マリティムは苦笑した。

「足を不自由にさせたのは、父がやり過ぎたと思っている。私に免じて許してくれ。」

「・・・そのことは、気にしておりません。」

「そうか。では、敵を見るような瞳を見せてくれるな。まるで自分自身に責められている様で堪らない。」

 マリティムはそう言うと、レオンの方に目を向けた。

「アランを私の部屋へ連れて行き、私と同じ支度をさせてくれ。髪型もすべてだ。人払いはしてあるが、道々くれぐれも気を付けてな。」

「はっ。」

 レオンはアランにマントのフードを深く被らせ、腕を取った。

「急ぐぞ、アラン。」

「あ・・・。」

 アランは思わずアンドリューをすがる様に見た。

 まさか、これが最後ではないだろう。

 そう思い込みたい気持ちが、焦燥感を煽る。

 アンドリューは口端を引き締め、だまって見送るしかなかった。いつだって覚悟してきたはず。それが「今」だとしても、何も変わらない。

「――― さて、本題に入ろうか。」

 間髪入れずに、マリティムはアンドリューの視線の先に立ちはだかった。

「夜が明けるまでに、成し遂げたい事がある。」

 アンドリューは、固唾を呑んだ。リディ――― 本物の王女の正体を知っていたかと聞かれた時、何と答えるべきか未だ決めていない。

 マリティムは、そんなアンドリューを凝視した。

「レオンから、すべて聞いているな?」

「・・・プラテアードの首長が王女である事を以前から知っていたのは俺だけだ。レオンもアランも、エンバハダハウスにいる間は何も気付かなかった。潜入していた少女がアドルフォの娘だという事も知らなかったし、ましてや王女だったことなど、先日の公表まで知らなかった。裏切り行為と言うなら、該当するのは俺だけだ。国王を欺くなど、あの二人には決してできない。」

 マリティムは、ゆっくりと冠りを振った。

「いいや、あの二人はアンドリューのためなら、国王だろうと神だろうと欺くだろう。」

「そんなことはない!ともかく、王女の一件については――――、」

「ああ、その続きはいい。私が聞きたいのは、アンドリューがどうやって本物の王女と知ったかだ。確たる証拠が、あるのか?」

「滅亡した王家の血を証明できるのは、額の紋章しかない。彼女の額を俺は見た。藍色の紋章だ。」

 マリティムは小さくため息をつくと、どこを見るでもなく言った。

「アンテケルエラ国のエストレイ王子が、プラテアード王女を欲しがっているな。奴は、王女の紋章の事を知っているのだろうか。」

 アンドリューは、リディに直接会って聞いた事は、極力胸に秘めておこうと思った。

「・・・二人の間に何があったかは知らない。だが、あの狡猾な王子の事だ。卑怯な手段で真相を確かめているかもしれない。」

「まさか、既に手がついているなどということはあるまいな?」

 アンドリューは、無意識のうちに眉を顰めてしまった。

 切ないリディの涙をまざまざと思い出したからだ。

「それは・・・ない。」

「ほう。なぜ、断言できる?まさか、エンバハダハウスが縁で今でも関わりが続いているのではあるまいな?」

「まさか。断言したのは、もし、手がついたなどということになれば、王女の側近達が黙っていないと思うからだ。自滅覚悟でアンテケルエラへ乗り込み、エストレイ抹殺を成し遂げるはずだ。」

「それは、根拠と言うには弱いな。」

 マリティムは呟く様に言った後、アンドリューを鋼の塔へ連れて行った。

 その日、鋼の塔に見張りはいなかった。

 二人は塔の中に入った。

「アンドリューは、下で待っていてくれ。」

 そう言い残し、マリティムは足早に螺旋階段を昇り詰めると、偽の王女――― フィリシアの眠る部屋の扉を開けた。

 フィリシアは、よく眠っている。予め、睡眠効果のある薬草を煎じて飲ませておいたからだ。その細い身体を抱き上げ、マリティムは慎重に階段を下った。

 階段下には、人ひとり入れるだけの大きさの木箱を準備しておいた。マリティムはその中に、座らせる様な恰好でフィリシアを納めた。

「アンドリュー、よく見ろ。これは、お前が知っているプラテアード王女か?それとも、偽物か?」

 もはや誤魔化す術はない。

 本物の王女に紋章があることを告げてしまったのだ。ここに眠る女性が偽物であることは、次の満月で明白になるだろう。

「偽物だ。」

 マリティムはその答えに何の反応も示さず、木箱の蓋を閉めた。

「どうする気だ?」

「これを城の外へ運び出す。手伝ってくれ。」

「レオンを呼んだ方がいいのではないか?国王自らこれを運ぶなんて、」

「私がお前だけをここへ連れてきた理由がわからぬか?時間がないのだ。説明は後でする。」

 国王と王子だけの秘密。

 偽物の王女を、人知れず始末しようというのか。


 重い木箱を二人で抱え、石畳の道を進み、細い使用人用の下り坂を降り切るまでどれ程の時間を要しただろう。

 星の瞬く方角が、だいぶ変わってしまった。

 マリティムは城の外に、荷運び用の馬車を用意していた。

 これだけの段取りも、一人でやったのか。そう思うと、アンドリューはマリティムが何をしたいのか増々わからなくなってきた。


 マリティムが手綱を取り、2頭の馬はすべるように走り出した。

 白い額に汗を浮かべて奔走する兄の横顔に、アンドリューは「国王」ではなく「男」を見た気がした。

それはまるで、大切なものを守るかのような強さ。

――― 陛下は偽物の王女を憎からず・・・思っている。そして多分王女も、陛下を・・・―――

 レオンの言葉が、アンドリューの脳裏をよぎった。

(まさか・・・本当に・・・・。)


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