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第70話:それぞれの憂い

 鋼の塔。夜。

 「暴動!?」

 レオンの報告に、フィリシアは思わず扉へと駆け寄った。

 鉄格子を握りしめ、フィリシアは尋ねた。

「一体、なぜです?」

「プラテアードの民衆が、食糧が足りないとジェードに喧嘩を売った様です。」

「3日分という約束は、守られたのでしょうね?」

「陛下は決して嘘をつかない方です。しかし、プラテアード総督の中には・・。」

「総督!そう、あの総督達こそがジェード不信の根源なのよ!」

 思わず出た言葉に、フィリシアは慌ててレオンに背を向けた。もう少しで「私がいた村の総督も税の取り立てから何から酷い態度だった。」と言ってしまうところだった。本物の「王女」はアドルフォ城に住んでいるのだから矛盾が生じてしまう。

 レオンは、そんなフィリシアの背に向かって言い放った。

「こんな結果が出ることを、まったく予測できなかったのですか。だとすれば、国を率いる器ではありません。」

 フィリシアは、下唇を噛みしめて小刻みに震えた。

 食糧をもらうことだけにしか、頭が回らなかったのは事実だ。だが、こんな塔に閉じ込められている自分に何ができたというのだろう?考えてもわからない。

(これが・・・本物の王女との差・・・。)

 レオンは、フィリシアが何と反論するか聞いてみたいと思ったが、それは適わなかった。フィリシアは暗く重い影を背負いきれないかの様に膝を崩した。

 レオンは次にかける言葉が見つからず、部屋の中から視線を外した。



 その頃、マリティムは自室で一人、窓の外を眺めていた。

 灰色の蒼空。黒く厚い雲。唸る風。

 雨粒は、狂うように宙を舞い、木々の葉が千切れて、斜めに飛んでいく。

 その様子を黙って見守っていたマリティムは、ゆっくりと息を吐いた。

 この日の朝早く、フィリグラーナの陣痛が始まり、マリティムの周囲からは潮をひいたように人がいなくなった。

 こんなに静かな時間を一人で過ごすなど、ここ何か月は無かった気がする。

 今日は、奇しくも満月の日。

 しかし、例え雨が止んだとしても、黒い厚い雲は月の光一筋さえ地上に落とさないだろう。

(今宵もまた・・・紋章は拝めそうにないな。)

 マリティムはそう考えながら、心のどこかでそれを安堵している自分がいることに気付いた。

 今、確認すべき紋章は二つある。一つはプラテアード王女、そしてもう一つは、まもなく産まれる子供の額。

 二人とも、紋章が無い事が判明すれば、用無しだ。

 マリティムは、思わず瞼を伏せた。

 今は、それを確認することが躊躇われる。

 子供の紋章については、殆ど諦めがついている。既に2回も落胆を経験した。3回目があっても、驚きはしない。運命は受け入れるしかないと覚悟している。

 しかし、鋼の塔の王女の方は、少し事情が違う。

 紋章がなくても、王女でないという証拠にはならない。また、革命組織フレキシ派の首長かどうかの確認手段にもならない。プラテアードで「本物」が表に出てこない限り、偽物と断定することはできないのだ。

(しかし、ジェードという国家にとって利用価値があるのは紋章を持つ王女であった場合のみ。紋章の無い王女など、王家断絶のプラテアードにあっては血筋の証明さえできないゆえ、所詮は革命家として処刑せねばならない。偽物なら尚の事、ジェードを欺いた見せしめに惨殺せねばならないだろう。それが・・国王の務めだ。)

  再び目を見開くと、遠くに細い稲光が見えた。

  きつく眉根を寄せ、マリティムは、窓のガラスに手のひらを押し付け祈った。

(雨よ、このまま激しく降るがいい。そして満月の光一滴さえもこの地上に落としてくれるな。せめて・・・せめて今宵一晩だけでも・・・!)

 

 どれほど時間が経ったのか、突然扉がノックされた。

「陛下。たった今、王子様がご誕生されました。」

 フィリグラーナの侍女からの報告に、マリティムはゆっくりと頷いた。

「そうか。・・・フィリグラーナの様子はどうだ。」

「今回は大変な難産でございました。20時間以上もお苦しみになって。」

 そう言われて、マリティムは初めて、もう深夜0時を回っていたことに気付いた。

(空の色が変わらぬゆえ、まだ宵の口と思っていたが・・・。)

 相も変わらず、外は嵐の只中だ。時折強い風が雨粒を窓に打ち付ける。

 これが後、数時間でやむことはないだろう。

 マリティムは安堵し、言った。

「報告、ご苦労。下がってよい。」

「フィリグラーナ様にご伝言は?」

「今宵は雨ゆえ、・・・まずはゆっくり休むように。」

「かしこまりました。」

 マリティムの伝言は、文章の意味としては不明である。だが、それはフィリグラーナには「今夜は紋章の有無を確認できないから、とりあえず安心して休め。」という意味になる。

 マリティム自身もソファに身体を横たえ、瞼を閉じた。

 深く考えれば、考えてはいけない事にまで考えが及びそうで、それを食い止めるのに必死だった。

 その必死さが眠りを一層妨げ、マリティムを苦しめた。



 フィリグラーナは、産まれたばかりの王子を抱くこともなく、すべてを乳母に委ねていた。今回の乳母は、プリメール国から連れてきたダイナである。マリティムとフィリグラーナの結婚を機に久しく遠ざかっていたが、侍従の青年と結婚し出産を終えて1年。ちょうど乳母に適任と、再びフィリグラーナの傍に仕えることになったのであった。

 紋章の有無の件など露ほども知らないダイナは、なぜフィリグラーナが王子を遠ざけるのかが不思議でならなかった。3人目だから愛情が薄いのかとも考えたが、よくわからない。そのうち、フィリグラーナはわけのわからない言葉を叫んだり、奇声を上げて周りの物を何でもかまわず投げつけだした。これには、フィリグラーナの身の回りの世話をする侍女たちが悲鳴を上げた。主席侍女の公爵夫人に直訴し、とうとうマリティムの所に話が届いた。

「フィリグラーナは気紛れでわがままで、今までもそんなことは何度もあっただろう。」

 マリティムが溜息交じりに言うと、公爵夫人は首を横に振った。

「陛下のお気を煩わせるのは、私どもも本位ではございません。しかし、出産後のことでございますし、お産まれになった王子様にも愛情を注がないままなのです。異常でございましょう?」

「ダイナを傍に置いても駄目なのか?プリメール人同士、一番心安らぐ間柄であろう。それも加味してジェード人でないにもかかわらず、乳母につけたのだ。」

「ダイナはよくやっています。しかし、王妃様の御様子は変わりません。」

 マリティムは、人払いをしてフィリグラーナの部屋を訪れた。

 柔らかな羽根布団に包まれて、フィリグラーナは横になって虚ろな目をしていた。

 マリティムが傍らに立つと、フィリグラーナは顔を背けた。

「王子の顔を一度も見ていないというのは、本当か。」

「・・・陛下は、ご覧になったのですか。」

「無論だ。私の子なのだからな。」

「でも、また紋章のない子です。この国を継げない子です。継げば、この国を滅ぼす子ですわ!」

 フィリグラーナは、目尻に涙を浮かべてマリティムを見上げた。

「次の満月が来なければ、紋章の事はわからぬ。」

「満月の夜が怖いのです。・・あの落胆を、二度と味わいたくはないのです。いっそ、この国に夜が来なければいいと思うほどに、怖くてたまらないのです。」

「それは私も・・・同じだ。」

 フィリグラーナは、立ち去ろうとしたマリティムの手を思わず掴んだ。

「今度こそ私を―――お身限りになるのですか。」

「フィリグラーナ・・・。」

 いつから、こんなに弱気なセリフを吐き、すがるような瞳で人を見るようになったのか。

 プリメールから来たばかりの強気で、放埓で、宝石のように輝いていたあの頃の、誇り高き異国の王女は、遠い昔にかき消されてしまったのだろうか。

 それとも、鋼の塔の王女のことで、つまらぬ噂を耳に入れて不安を隠せないでいるのか。

「・・・紋章があろうとなかろうと、私達の子にかわりはない。大切にしろ。・・・侍女達も心配していた。」

 フィリグラーナのか細い手を振りほどき、マリティムは部屋から去った。

 長い廊下を一人歩きながら、マリティムは自分の手のひらを見つめた。

(女の指とは、あんなに・・・細いのか。)

 自分が手当した、鋼の塔にいる王女の指は、もっと皮が厚く固かった。根っからの王女育ちでないことはわかっているが、育ちの違いでこうも異なるものなのか。

(まさか・・・!いや、そんなはずは・・・。)



 人目を忍んでマリティムの下にレオンが訪れたのは、夜が明ける少し前。

 嵐の後の、木端や葉、桶、板などが散らかった石畳を足早に駆け抜け、周囲を気にしながら、レオンはマリティムの部屋のバルコニーに立った。

 小さな音でも鋭敏に反応する帝王教育を受けたマリティムは、すぐに起きてレオンを招き入れた。

 レオンは、すぐにマリティムの足元に跪いた。

「陛下。プラテアード王女の事でどうしてもお話したい事があり、参上いたしました。」

「王女が、どうしたというのだ。」

「・・・実は、プラテアードで反乱があったことを伝えた日から4日間、何も口にしないのです。」

 マリティムの顔色が変わった。

「何も、飲まず食わずということか。」

「はい。」

「なぜだ?餓死でもする気か?」

「理由を尋ねたところ、『プラテアードの反乱で死者が出たのは自分のせいだ、そのことを思うと何も喉を通らない』と。」

「それは、別に王女の責任ではないだろう。確かに発端かもしれぬが・・・。」

「とにかく、今日で5日目に入ります。もう限界です。3日間は耐えても4日目には根をあげるだろうと見守っていたのですが、王女の意志は固く私の言葉など耳に入れようとしません。陛下。部屋の中に入れない私では、もう何もできないのです。」

 マリティムはすぐに上着を羽織ると、レオンと共に鋼の塔へ向かった。

 鉄格子の向こう、王女―――フィリシアは、床に倒れているように見えた。

 レオンは、マリティムに言った。

「眠る時も同じです。ベッドを使う事も許されないと・・・。」

「私の与えたドレスではなく、粗末な下着同然の服しか着ていないのも同じ理由か。」

「そうです。」

「・・・白湯に砂糖と少しの塩を溶かしてもってきてくれ。」

「はっ。」

 マリティムは鍵を開けると、床に倒れて眠っているフィリシアの肩に手を回し、上半身だけ起こした。

「・・・王女。・・・聞こえるか?」

 軽く揺すると、フィリシアの重い瞼が少しだけ動いた。

 だが、身体に力が入らないためか、再び首を落してしまう。

「このままでは、死んでしまうぞ。そなたは、それをわかっているのか?」

 フィリシアは、少しだけ口を開けた。だが、水分が足りないため口の中は渇ききっている。それでも、フィリシアは必死に声を出そうとした。だが、息が擦れて漏れるだけで、言葉にならない。

 マリティムは、落ち窪んだフィリシアの頬を掴んだ。

「自らを責めることはない。そなたは、国の事を考えて命懸けで私に挑んだ。それを、誰が咎められよう?」

 フィリシアは睫毛を震わせ、一度だけ首を振った。

「このままでは死んでよいのか?プラテアードを独立させるのではなかったのか?アドルフォの遺志を継ぐというのは、こんなことで屈服する程度のものなのか?」

 意識が朦朧としているフィリシアだったが、自分に呼びかけている声の主には、何としても答えなければならないと感じていた。

「私を殺したい・・・くせに。」

 小さい声だが、確かにマリティムには届いた。

 マリティムは眉を顰めて答えた。

「偽物と確信するまでは、そなたはジェードの大切な人質だ。人質に自分の命を左右する権限などない。それだけのことだ。」

 そこへ、レオンがカップを持って現れた。

「陛下。」

 言いつけどおり部屋の外で待つレオンを、マリティムは呼んだ。

「今は入って構わぬ。持ってきてくれ。」

 レオンにとって初めて足を踏み入れた場所は、なぜか王家の聖域のような気がした。

 フィリシアが王女でないことを知っているのに、だ。

 レオンからカップを受け取ったマリティムは、振り向きもせずに次の命令を下した。

「爺やを呼んでくれないか。あれは医師でもあるからな。王女の状況を話して必要な薬も準備してもらえ。」

「はっ。」

 レオンが立ち去ると、マリティムはカップをフィリシアの口元に差し出した。

「白湯だ。これくらいなら、口にすることを許してもよいであろう?」

 フィリシアは、首を小さく振った。

「それでも本当に王女か?革命組織の首長か?自らを罰しても、死者は蘇らぬ。それよりも生きて使命を全うすべきではないのか?それこそが、真の王女の務めではないのか?」

 マリティムの言う事は正論だとわかっている。フィリシアも、自分の使命を全うするまでは立派に王女の身代わりを勤めなければと自分に言い聞かせ、無理にでも食べようとした時もあった。しかし、喉がすべてを拒否するのだ。口に含んでも、喉が動かなかったのだ。

 マリティムの湖色の瞳を見つめながら、フィリシアは唇を微かに動かした。

 駄目だったのだ、と。

 自分の身体が生きることを拒否しているのだと、伝えたかった。

(私にはもう、どうすることもできない・・・。ここで、終わりになるのね。そうよ、どのみち処刑されるのだから怖い思いをしない分、ずっと楽な死に方だわ。)

 だが、これでいいと思っているわけではない。

 死にたいわけでもない。

 プラテアード国の命運を背負って使わされた身でありながら、中途半端で終わるのは忍びない。

 悔しさと切なさで、フィリシアの目尻に泪が浮かんだ。

 フィリシアの頬を支えるマリティムの指が、その涙で濡れた。

 小さな露玉をまとった睫毛の奥に見える潤んだ瞳が、マリティムの琴線に触れた。

 ここで死なせてはならない、と強く思った。

 人質だからとか、支配国の王女だからとか、他国への価値だとか、様々な理由が脳裏を駆け巡るが、そんなものは全て自分や周囲を誤魔化すための言い訳にすぎない。

 フィリシアの唇は渇いて、白くなりかけている。

「少し、口を開けられるか。」

 そう言うなり、マリティムは甘く、少し塩味のする白湯を口に含んだ。

 息を吐くようにしてフィリシアの唇が少し動くや否や、マリティムはその乾ききった口に自らの唇を押し付け、白湯を少しずつ注いでいった。

「・・・っ!」

 一度目は咳込み苦しげに喘いだフィリシアだったが、二度目は喉を打って液体を受け入れた。

 マリティムが何度も口移しで白湯を飲ませ、その最後の一滴の時。


 「・・・!」


 高齢の爺やがゆっくりと階段を昇っているのを尻目に、先に点滴の道具を準備すべく戻ってきたレオンは、二人の様子を目にして思わず足を止めた。

 絶句し、何も言えず、何も考えられなかった。

 マリティムの意図がわからないレオンには、二人が口付けを交わしているようにしか見えない。

 それは、衝撃の光景だった。

 レオンは思わず隠れるように、自分の部屋に戻った。

 高鳴る鼓動を抑え、震える唇を引き締め、レオンは必死に呼吸を整えた。

 何も見ていない、何も知らない様に、何食わぬ顔で振る舞わねばならない。

 国王が王妃以外の女性と戯れることは、よくあることだ。

 他国の国王の噂を耳にする中、マリティムはめずらしいくらいに身持ちが堅かった。

 フィリグラーナが「つまらない男」と揶揄するほどに、見た目の華やかさとは裏腹に真面目だった。

 厳しく情の薄い父王の血を継ぎ、規律や倫理を重んずる思いやり深い爺やに育てられたアンバランスが、マリティムの中で葛藤しているのを、レオンは時折感じていた。おそらくアンドリューも、似たような思いに締め付けられる日があるのだろう。

 レオンは、苦い思いを呑みこむように唇を噛みしめた。

(陛下・・・。彼女は本物の王女でも、革命の首長でもない。素性の知れない、ただの平民なのです。近いうちに陛下が処刑を命ずることになる相手なのです・・・!)

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