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第69話:暴動

 ソフィアがリディに会うのは、3週間ぶりになる。

 地下深くへ続く狭い階段を、ソフィアは注意深く、しかしできるだけ早足で下った。

 腰をこごめないと通れない天井の低さ。だが、これこそが敵を中へ入りづらくする重要な仕組みなのだ。

 一見、扉とはわからない壁の向こうに、リディの部屋がある。

 当初の予定より滞在が長期化することになったため、始めより更に奥深い、しかし部屋としてきちんと作り込まれた場所へ移動していた。

 見張りを遠ざけ、ソフィアはランプの灯を頼りに中へ入った。

 部屋の中だというのに、まだ通路が続いて少し広い場所があり、そしてまた通路、そして―――

 小さな石の机に突っ伏している人影が見えた。

 その人影は、入ってきたのが誰か見なくてもわかるかのように、落ち着いて動かなかった。

「リディ様。取り急ぎお知らせしたいことがございます。」

 土埃で汚れた頭をゆっくりと擡げて、リディは虚ろな目を向けた。

「どうした?」

 かすれた声が、力ない。

「第二総督府の領地で暴動が起きた様です。」

 リディは、覚醒したように一気に表情を引き締めた。

「なぜ!?」

「実は、ジェードから3日分の食糧が与えられることになったのです。早馬の報告によれば、その量が余りにも少なく、全員に行き渡るはずがないと民衆がジェード兵に楯突き、それが発端で争いに。」

「他の領地は?」

「今の所報告はありませんが、幹部達が手分けして様子を見に行っています。」

「この辺りにも食糧が来たのか?」

「ええ。第四総督府から。・・・それは、十分に。」

 リディは、第四総督であるアンドリューを想い出し胸が疼いた。だが、それを打ち消すように、厳しい口調を繋いだ。

「なぜジェードは突然食糧を配給することにしたのだ?」

「兄が聞いた話では、ヴェルデの王宮に捕らわれている王女の嘆願を、ジェード国王が聞き入れたとか。」

 リディは、驚いて一瞬言葉を失った。

「私の身代わりの・・・嘆願?」

「ええ。今の所は、誤魔化し続けられている様です。」

「しかし、嘆願を受け入れるとは尋常の沙汰ではない。よほど気に入られたか、何かの陰謀か・・・。」

「兄も疑っております。今回の暴動こそ、国王の狙いだったのではないかと。」

「その可能性は否定できないな。飢饉で国力が低下している今、ジェードに攻められるのは命取りになる。」

「こちらからジェードに喧嘩を売らせる様に細工をするのは、容易い事ですからね。」

「・・・キールはどうしている?」

「暴動の起きた領地へ、兵を連れて向かいました。」

「そういえば、パリスの姿も見えぬが。」

「非常事態ですから、パリスにも見回りへ行ってもらいました。」

 リディは、立ち上がった。

「ソフィア。私はアドルフォ城へ戻る。」

「駄目です!」

 ソフィアは、自分より背の低いリディの両肩を押さえつけた。

「兄から言われました。このことを報告すれば、リディ様は必ず動こうとすると。でも、それだけは絶対に許してはならないと!」

「しかし、これがきっかけでジェードと一戦交えなければならないかもしれない。その準備が必要だ。」

「時が来れば、どちらにせよ表に出ることになるのです。ですから、今は御辛抱ください。」

「この国の大事に、私に何もするなと言うのか!?」

「アンテケルエラのエストレマドゥラ王子がスパイを送り込んでいる可能性があります。見つかれば、終わりですよ!?」

「そんな・・・!」

「よろしいですね?パリスの監視がないからと言って、勝手なことはなさらないでください。」

 リディが、悔しそうに下唇を噛むのを見て、ソフィアは頷いた。

「状況は逐一報告します。リディ様のお許しなしで大きな決断を下すことは致しません。それをお伝えしたくて、私が参上したのです。」

 リディは俯き、再び顔をあげた。

「わかった。ソフィアがアドルフォ城に控えるのだな?」

「はい。」

 ソフィアはリディに背を向けたが、肩越しに振り返った。

「本当は、兄はリディ様への報告を最後まで反対していたのです。でも、私が責任を持ってリディ様を地下室に留め置くからと説得しました。・・・だって、私達に万一のことがあった時、何も事情を知らないのでは話になりませんものね。」

「ソフィア・・・。」

「他の者に何かあろうとも、リディ様がいらっしゃる限りプラテアードは不滅です。それを、お忘れにならないでください。」


 そんな不吉な事を言わないで・・・


 リディのその言葉は風になって、ソフィアの翻したマントに包まれて消えた。



 第二総督府領地での暴動の知らせは、第四総督府にも届いていた。

 この事態を、アンドリューは予測していなかったわけではない。

 捕らわれの王女が偽物だと知っているアンドリューは、マリティムから「プラテアード王女の嘆願により食糧支給を許可する」という電報を不信に思うよりも、他の総督の反応の方が不安だった。マリティムの定めより多くの税を取り立てて私腹を肥やしている第一総督と第二総督が大人しく3日分与えるわけがない。しかし、何もしないと「国王の命令を無視した」ことになる。だから少量で「3日分」と言い放つだろう。その時、プラテアード国民はどう出るか。


 暴動の一報を受けると、アンドリューはすぐにアランとネイチェルを呼び寄せた。

「俺は小隊を率いて様子を見に行く。アランは、ここで報告を受けて記録しておいてくれ。ネイチェルは、必要があれば『第四総督』として行動をしてくれ。」

 アランは、激しく首を振った。

「危険ですよ!そんなの、アンドリュー様自ら行かれる必要はありません。」

 ネイチェルも同意した。

「そうです。私が行きましょう。暴動の件はほどなく国王陛下のお耳にも入るはず。その時、新たな命令が下るかもしれません。」

「行かせてくれ。無茶な事はしない。」

 すると、アランが身を乗り出した。

「では、僕も連れて行って下さい。僕はレオンほど役に立ちません。でも、身体を張ってアンドリュー様をお守りすることぐらいはできます。」

 切羽詰まったアランの声に、アンドリューは静かに答えた。

「アラン。先ほど俺がお前にどれほど重要な任務を与えたか聞こえていなかったのか?」

「それは・・!でも、他の人でも、」

「アラン。レオンの代わりはお前にはできない。それに、そろそろ覚悟をしておけ。・・・お前が王宮へ召喚される日も、そう遠くはないぞ。」

「・・・!!」

 アランを部屋に残す形で、アンドリューとネイチェルは廊下へ出た。

 二人とも足早に目的地へ向かう中、ネイチェルは言った。

「先程のアランへのおっしゃり方は・・・少し、可哀想でした。」

「・・・。」

 口端を引き締めたまま、アンドリューは前だけを向いて歩みを進める。

「アランは、レオンを失ったアンドリュー様を大変心配されているのです。できる限り力になりたいと、」

「それは、わかっている。」

 ネイチェルはハッとし、俯いた。

「申し訳ありません。出過ぎた事を・・申し上げました。」

 アンドリューは、前を見据えたまま立ち止まった。

「俺が覚悟をしなければならないのだ」

「え?」

 ネイチェルは、アンドリューの整った横顔を見つめた。

「俺はレオンを突然奪われ、半身を失ったかと思うほどだった。もう、あんな思いはしたくない。だからアランのことは、今の内から心の準備をしておこうとしている・・・。」

 ネイチェルは、再び歩き出したアンドリューの背を見つめてしみじみと思った。

(あれはアランへ向けたのではなく、御自身へ言い聞かせるセリフだったのだ。)

 アランを失う日を、それほどまでにアンドリューが怖れていることを、ネイチェルは初めて知った。

 


 空は灰色の雲で低く覆われ、昼間だというのに大気は薄黒かった。

 久々の雨が降って以来、ずっと曇りか雨が続いている。

 雨を忘れていた空が、今度は太陽を忘れてしまったかのように、毎日が暗い。

 キールは事態の深刻さを覚悟し、50名の兵を率いていた。

 馬の数に限界があるプラテアードにとって、今はこれが精いっぱいだった。

 一つに結んだ長い金髪を空に靡かせ、キール達は枯野を駆け抜けた。


 「キール様、あれを!」

 

 第二総督の領地に入る手前に、深い雑木林がある。

 その彼方に立ち昇る黒い煙が、キール達を震撼させた。

 火事!

 それも、一件や二件の規模ではない。

 風の強い日だ。林に飛び火する可能性も高い。

 いや、もう、既に手遅れかもしれない。

 

 その時、雑木林の中から十数の騎馬が飛び出してきた。

 息せき切って狂ったように馬達が嘶いている。

 燃える林の中を、無理に飛ばしてきたのだろう。

 キールは、遠くから目を凝らした。

「あの馬飾りは・・・ジェード軍のものだ。」

「どうなさいますか。」

「奴らが火をつけた張本人かもしれない。・・・武器の用意をしろ。」

 

 と、その刹那。

 

 キール達の方へ、一頭の赤兎馬が向かってきた。

(一頭だけ・・?)

 銃を構えた仲間に、キールは片手を挙げてそれを制した。

(あれは・・・。)

 馬上の主は、緋色の布を持った片手を高く掲げながら向かってくる。

 それは、この大陸のルール上、戦う意思がないことを示していた。

 距離が縮まるにつれ、キールはその不可解な行動に合点がいった。

 馬に乗っているのは他でもない、アンドリューだ。

 相変わらずかつらを被っていてトレードマークのプラチナブロンドは影を潜めているが、見間違いなどしない。

 アンドリューの方は、金色の長髪をキールと確信し、近づいてきたのだろう。

 キールは、手綱を引いた。

「皆は、ここで待っていろ。」

 そう言い、キールが前進しようとすると、仲間が止めた。

「相手が何を考えているかわかりません。迂闊に近づくのは危険です!」

 ここにいる兵の中に、エンバハダハウスの同胞はいない。アンドリューとキールの関係など知る由もなかった。

「向こうは不戦の意志を示している。」

「そんなもの、信じるに値しないことです!」

 キールだって、アンドリューを100パーセント信じているわけではない。敵は敵だ。

 キールは、マント越しに銃を確認した。

「もし、相手が私に手をかけるようなことがあれば、撃て。しかし、そうでない限り下手に手を出すな。 ジェードは、攻め入る口実を作るよう嗾けようとしているのかもしれないからな。」

 キールは、手綱を握り直して鐙を蹴った。

 枯れた草は、時折降る雨雫を含んで土に埋もれている。踏んでも蹴っても、音を立てない。

 互いの顔を表情まで確認できる距離になったところで、キールは馬を止めた。

 それ以上近寄ろうとしない警戒心を見たアンドリューは、自分から声をあげた。

「キール殿。兵を連れて、即刻城へ帰られよ!」

 キールは、首を一度だけ横に振った。

「林の向こうで何が起きているのか確認せず、帰れるはずがない!我々は、すぐにでも第二総督府の領地へ向かう!」

 すると、アンドリューは馬から降りた。

 そして、キールを見上げて(近くで話をしたい)という思いを目で訴えてきた。

 キールは躊躇いながらも、自分も馬を降りた。

 手綱を握ったまま二人は歩み寄った。

 アンドリューは蒼い瞳でまっすぐにキールの緑の瞳を捉えた。

「暴動を見てきました。事態は収束していますが、第二総督府の軍はまだ滞在しています。」

「あの黒い煙の正体は?」

 アンドリューは眉を寄せ、重い口を開いた。

「一つの集落が全滅しました。」

「・・・!!」

 キールは、衝撃に目を大きく見開いた。

「そんな・・・!」

「150名ほどの集落だと聞いています。・・・焼き討ち状態で、我々が行った時には既に手の施しようもないほどでした。まだ燃えきっていないので、煙があがっているのです。」

 キールは、憤りを押さえられず、大きな息を吐いた。

 怒りを帯びて盛り上がった肩を、アンドリューが止めた。

「このまま、アドルフォ城へ戻って下さい。」

「冗談ではない!このまま第二総督を見逃せというのか!?」

「あなた方が敵う相手ではない。数に大差なくとも、プラテアードとは装備が違う。無駄死にをするだけです!」

「それでも、何もしない負け犬にはなれない!プラテアード独立の精神は、国民の誰一人の命も見捨てないことにある。」

「ここであなたが出ていけば、第二総督領だけの問題でなくなります。」

 キールは、アンドリューを睨みつけた。

「ジェードの人間に、何がわかる!?」

 それは、いつもの穏やかで冷静なキールからは想像もつかないほどの表情だった。

 アンドリューは、キールの両肩を掴んだ。

「今、ここであなたが死んだらどうなるか、考えなければわかりませんか?」

「第二総督軍は、他の集落にまで手を出すかもしれない!私は命を賭けて、それを食い止めねばならない!」

「それで、あなたが死んだあとは!?」

「私がいなくなっても、プラテアードは大丈夫です。」

「リディさえいれば、ということですか?」

「!!」

 キールの息遣いが、一端途切れた。

 アンドリューは、キールに顔を近づけて声を抑えた。

「あなたが今ここで死んだら、リディは絶対表に出る。そうなれば王宮に偽物を送り込んだことがばれて、全面戦争ですよ。その時こそ、プラテアードは終わりです!」

「・・・っ!」

 キールは、悔しさを奥歯に滲ませて呻いた。

「リディが今どこに潜んでいるかは知りませんが、あなたの死を隠しておくことは不可能でしょう。どちらにせよ、次の満月までのことです。せめてそれまで、あなたは死んではいけない。」

 キールの吊り上がった細い目が、悲しく歪んだ。

「我々の国のことを・・・あなたが考えてはいけない。」

「キール殿は、先日アランに同じことをおっしゃった。ジェードの人間が心配してはならない、関わってはならない、と。」

「わかっているなら、止めないでください。」

「わかっていて、それでも、俺はあなたを止めずにいられない!」

「なぜ!?」

「なぜ?それは、あなたが、俺やアランを殺さなかったのと同じ理由ですよ!」

 キールの動悸が、少しだけ緩んだのを確認したアンドリューは、掴んでいた手を静かに放した。

 キールは小さく呟いた。

「ジェードを憎む私の心は、アンドリュー殿の優しい言葉でさえ、何かの罠ではないかと疑わずにいられない。」

「・・・俺は、王宮にいる王女が偽物であること事実を、マリティムに告げることは絶対にしない。それでも、信じてもらえませんか。」

 アンドリューの蒼い瞳を、キールは正視できなかった。

 ここで言う通りにすることが、ジェードに傅く様な気がしたからだ。

 そんなキールを見て、アンドリューは言った。

「これ以上の暴動を起こさぬよう、第二総督領を多くの部下に見張らせています。俺はこれから部下の下へ戻り、第二総督が完全に撤退するよう働きかけます。」

「そんなことをしては、アンドリュー殿の立場が悪くなる。」

「これは、ジェードのためでもあるのでお気遣いなく。それぐらいの後始末はします。俺は王家の遠縁ということになっていますから、第二総督も止めを刺すほどのことはしない。」

 アンドリューは、軽やかに馬上に戻った。

「どんな理由をつけてでもいい。すぐに引き返してください。」

 キールは、アンドリューを見上げて言った。

「まさかアンドリュー殿は、我々を止めるためだけに、ここへ駆けつけたのですか。」

 しかし、アンドリューがそれに応えることは無かった。

 見る見るうちに小さくなる騎馬の影。

 キールの視線の先の黒い煙は、さっきよりも細く小さく見えた。

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