第6話:二人の猟師
アンドリューは、パチパチと薪が燃える音で目を覚ました。
ぼんやりとした視界に、まず真っ赤な火が見え、その奥にリディの姿が見えた。
体格のいい男二人と薪を囲んで何か話しをしているリディの横顔は、赤く照らされているせいか、別人のように見えた。少年らしい無邪気さが無く、落ち着いた表情が妙に大人びて見える。とても13歳とは思えない。アンドリューと同じか、それ以上にも見える。
と、リディがアンドリューに気付いた。
「アンドリュー!」
パッと明るく笑ったリディの顔は、さっきとは打って変わった少年の顔だった。
(さっきの表情は、俺の思い過ごしだったんだろうか・・?)
まだ覚めきらない頭をもたげると、リディが近くに寄ってきた。
「まだ休んでなよ。おでこ、けっこう傷が深かったみたいだから。」
「・・・包帯、巻いてくれたのか。」
「うん。あの人たちがね、全部やってくれたんだ。」
リディは、焚き火の奥にいる二人の男を指差した。
「二人の少年は・・?」
「あったまって、パンを食べさせてもらって、さっき寝たところ。二人とも擦り傷程度だよ、大丈夫。」
男の一人が、林の奥から一頭の馬を連れてきた。
「君が探していたのは、この馬でいいのかい?」
「・・・そうです!」
アンドリューは怪我のことも忘れて、思わず立ち上がり、馬の下へ歩み寄った。
「そうです、間違いありません!・・・ありがとうございます。何とお礼を言えばいいか・・!」
顎中無精ひげだらけの精悍な顔つきの男は笑った。
「俺達が狩をしていた途中で、この馬が林を彷徨っているのを見つけたんだ。驚いたよ、見たこともない立派なサラブレッド。しかも頭にビロードの飾りときたもんだ。どっかの王族か貴族が林に迷い込んだんじゃないかと思って色々探し回ってたら、笛の音が聞こえて、君達を見つけたってわけだ。」
「笛?」
アンドリューが尋ねると、リディが胸元から銀の笛を出して見せた。
「これだよ。父ちゃんの形見なんだ。鳩を呼ぶためのものらしいけど、とにかく吹いてみた。」
「・・・黒ずんでいるけど、本物の銀だな。」
「そうなの?でも、どうせ安物だよ。」
「ちゃんと磨いてみろよ。彫刻が施されているみたいだから。」
アンドリューは、安堵の息をつきながら思った。
(俺もリディも、親の形見に救われたってことか。)
まだ眠ったままの少年二人を置いて、4人は再び焚き火を囲んだ。空には銀色の一番星が瞬き、夜の訪れを告げている。
男達はこの森に住む猟師で、ほぼ自給自足の暮らしをしていると言った。自然に空いた岩穴を住み家としているらしい。無精ひげの男がバッツ、長い髪を後ろで一つに結わえている端正な顔立ちの男がキールという名だった。二人とも20代から30代といったところか。
キールは湯をブリキのカップに入れ、アンドリューとリディに渡した。カップの中には香りの良い緑の葉が入っている。
一通りの経緯はリディがバッツ達に話していたが、どうやってリディ達を見つけて助け出したのか、はアンドリューがそこで始めて語った。3人は興味深く、真剣にアンドリューの活躍に聞き入った。王宮で王女に会った話の時には、バッツが口笛を吹いて囃し立てた。
「噂だけは山奥まで行きわたってるぜ。プリメール国のじゃじゃ馬姫、フィリグラーナ!」
キールは苦笑いして、バッツの顎鬚を引っ張った。
「やめとけ。どこにプリメールのスパイが潜んでるかわからないだろ?」
「ってえな。本当のことならしょうがないだろ?なあ、アンドリュー?」
アンドリューはフィリグラーナとのやり取りを思い出し、やっぱり苦笑いするしかなかった。
「でも、人形のように美しいのも事実でしたよ。」
リディは、身を乗り出して手をたたいた。
「へ・・え!ぜひ一度会ってみたいな。いや、見るだけでいいや。」
「そうだな。見るだけにしておいた方が無難だ。」
「でも、アンドリューに馬を貸してくれたんだから、優しい人だよね。」
アンドリューは、いかにも「世界は私のためにある。」といった態度の王女の顔を思い出し、首を振った。
「・・・それは、微妙だな。」
キールはアンドリューを親指で指しながら、からかった。
「アンドリューは王女に気に入られたんだよ。そうでなきゃ、ただの若造に大事な馬を貸すわけがない。」
「やめてください・・・恐ろしいだけです。」
力を落としたアンドリューを笑いながら、バッツは黒くて硬いパンの塊を手でちぎり、二人に分け与えた。
「石だらけの荒地じゃ、大した作物はできないんだ。口に合うかはわからんが、腹の足しにはなるだろう。」
「・・・いただきます。」
リディは、固くてパサパサしている上、海の潮臭さが残る塩味のパンを何度も噛み締め、やっとの思いで呑み込んだ。
アンドリューも街では貧しい方だが、学校に通い軍に勤める身分を持ち、食べるものに困ったことはない。パンも、油脂やミルクをたっぷり入れたものなど食べられないが、ここまで硬くて味気ないパンは食べたことがなかった。日持ちするために焼き締められているのだろうが、穀物の種類さえわからない。
(ジェードにも、まだこんなパンを食べねばならない人がいるのか・・。)
「あの二人のことだが。」
キールが、眠っている二人の少年の方を向いた。
「さっき話し合ったんだが、麓の村の教会へ預けようと思う。」
「教会?」
アンドリューが尋ねると、リディが答えた。
「孤児を預かってくれるんだって。養子先とか、就職先とかも世話してくれるんだって。」
今度はバッツが話を継いだ。
「職も住むところもないようだし、街へ戻っても、もし酒場の奴等が逮捕されなきゃ危険だ。麓の村といっても、ここからもう一つ山を越えた所だ。さすがに賊もそこまで追ってこないだろう。」
「プラテアードとの国境の方になりますね。」
「そうだ。教会も、独立紛争で家族を亡くした孤児を預かったのが始まりなんだ。神父なんか本職を忘れて子育てしてる感じだし、村全体が協力的なんだ。安心して預けられると思うんだ。あの二人も承知したしな。」
「そうですか。ならば、俺に異論はありません。」
アンドリューがそう言うと、慌てたようにリディが口を挟んだ。
「俺は、街に戻るからね。」
「・・・教会に預かってもらったほうが、幸せなんじゃないか?」
「嫌だよ!俺がどんなに苦労してヴェルデまで行き着いたか、どんな思いでエンバハダハウスを探し出したか知らないんだ!?絶対、アンドリューと街へ戻る!仕事も探すから、もう一度チャンスをくれよ!」
それを聞いたキールはクスクスと笑った。
「要は、君と離れたくないらしいぜ。連れ帰るしかなさそうだな。」
アンドリューは、深い溜息をついた。
「人身売買の証人ですから、とりあえずは連れ帰るつもりでしたよ。」
「まあ、相当君に懐いちまってるんだ。弟だと思って、面倒見てやんな。もし危険があるようなら、その時次のことを考えればいい。」
キールはそう言って、アンドリューとリディの手から、空になったカップを受け取った。
「さあ、もう一眠りしな。明日は遠出になる。夜明け前にはここを出発しよう。俺達が交代で番をするから、変な奴が来ても大丈夫。」
バッツに促され、焚き火から少し離れた大木の下、雑草を枕にして二人は体を横たえた。
腕を頭の後ろに回して仰向けになったアンドリューは、無数の星が散らばる夜空を眺めていた。隣にいるリディも同じように空を見つめていたが、やがてアンドリューの方を向いて囁いた。
「まだ痛む?おでこの怪我。」
アンドリューは星を睨んだまま、答えた。
「こんな傷で3人の少年を救えたなら、安いもんだろ。そう思えば痛くないさ。」
「本当にごめん。知り合ったばかりの人に迷惑かけて、でも助けてくれて、本当、感謝してる。」
「俺一人が助けたのは途中まで。あとは二人の猟師のお陰だろ。」
「でも、アンドリューが追いかけてきてくれなかったら、間違いなく売られてた。」
アンドリューは何も言えなくなった。
リディがこんなことに巻き込まれたのは、レオンに言われるまま囮に出した自分の責任もある。いくら礼を言われても、自分の撒いた種だと思うと逆に負い目しか感じない。
「俺、起きてるから。安心してアンドリューは寝なよ。」
「え?」
「俺、バッツさん達のこと信じきれてないんだ。眠ってる間にまた攫われるなんて嫌だからな。」
「それはそうだが、リディ一人起きてたって無駄だと思うぜ。お前一人であの二人にかなうわけがない。」
「でも、大声でアンドリューを起こすくらいできるよ。」
リディの幼い意見に、アンドリューは溜息混じりに笑った。
「そうだな。じゃあ、お願いするか。」
「うん。任せて。」
唇で微笑んだまま、アンドリューは瞼を閉じた。
アンドリューこそ、リディが一晩中起きていられるなんて信じていない。あれだけの体験をした上、助けられた4人の中では一番寝ていないはずだ。絶対、数時間後には眠りに落ちてしまうに決まってる。少しだけまどろんだらリディと入れ替えに起きていよう、と思った。
(それにしても、さっきの横顔は俺の見間違いだったのだろうか・・。)
燃え盛る炎に揺られた、リディの赤い頬。
大人の男二人と向かい合い、対等に話をしているように見えた、あの横顔。
短い睫毛を伏せがちにした大人の表情。
あれは、炎が見せた幻覚だったのだろうか・・。
夜明け前、アンドリューはリディに起こされた。
猟師達は出立の準備を済ませており、二人の少年も起きていた。
リディと交代で起きていようと思ったが、寝過ごしたようだ。
自分で思っているより、相当疲れていたらしい。額の傷のせいで熱が出たことも理由の一つだろう。よく眠ったおかげか、熱は下がっていた。
バッツとキールの馬に二人の少年は一人ずつ相乗りし、王女からの借り物の馬にアンドリューとリディが乗ることになった。
東の空が淡いブルーからレモン色に輝きだした頃、教会のある村に着いた。
赤茶けた更地に、レンガの焼け跡が残る建物が点在している。
爆破されたであろう石造りの家は、わずかな壁だけが残っている。
「3年前、プラテアードが攻撃した最後の村だ。ここでジェード軍が独立運動の王を殺害している。」
アンドリューは3年前まだ軍に入隊していなかったため、プラテアードの紛争を鎮圧した経験はない。だが、その激しさは聞いていたし、この村の生々しい傷跡を見れば容易に想像がつく。
教会は村の中心に位置し、十字架は村のどの建物よりも高くそびえていた。
周りの家々は、どこも畑を有しており、条件の良くない土地で出来る作物を精一杯の努力で育てているのが見て取れた。
アンドリューは唇を引き締め、後ろのリディに小声で尋ねた。
「・・・なあ、お前の田舎もこんな感じだったのか?」
リディはしがみついていたアンドリューの背中から少し離れた。
「そうだよ。・・・アンドリューは、ずっとヴェルデで育ったのか?」
「ああ。」
「じゃあ、わかるわけないよな。ジェード国の富の恩恵に預かってるのなんか、首都周辺の王侯貴族と上級軍人だけさ。郊外なんて、どこも似たり寄ったりだよ。特にプラテアードとの国境付近の村は常に紛争の巻き添え食ってたんだからな。」
「ジェードがこんななら、プラテアードの方が更にひどいってことか・・。」
「だから平気で子どもが売られていくんだよ。国の政策なんて、平民を人と思ってないのさ。」
アンドリューは少しだけリディの方に顔を向けた。
「・・・お前、政治がわかるのか?」
「わからないよ。わからないけど、そんなの小さい頃から見てればわかるよ。」
「そうか。・・・街にいると、世の中が全然わからないんだな。」
「街はまやかし。それが父ちゃんの口癖だった。」
「まやかし・・・か。お前の父親も独立運動の巻き添えになったのか?」
「・・・うん。」
リディの声が涙混じりに聞こえたため、アンドリューはそれ以上何も聞けなかった。だが、リディがなぜ首都ヴェルデへやってきたのか、何となくわかる気もしたし、わからない気もした。
二人の少年との別れを終え、4人は首都ヴェルデへ向かって走り出した。
エルバ川やアルジェ湾と逆周りをしてたどりつく道を、バッツとキールはナビゲートしてくれた。無論、山も川もいくつか越えねばならなかったが、往きよりずっとなだらかな道のりだった。
深い森を抜ける間際、バッツ達は馬を止めた。
「あとは道なりに辿っていけばいい。夕方までにはヴェルデに着くだろう。」
アンドリューは馬から降り、二人に頭を下げた。
「本当に、何から何までお世話になりました。」
リディも危なっかしいながらも馬から飛び降り、同じように頭を下げた。
「やめてくれよ。柄でもねぇ。危険な目に遭ってたんだ。助けるのは当然さ。」
「君達のおかげで、エルバ川が人身売買ルートだったことも発見できたしね。他の密輸ルートにもなってるかもしれない。今後、狩のついでに見回るよ。罪もない少年が理不尽に売られるなんて、許せないからな。」
アンドリューは、馬の上のバッツとキールと固く握手を交わし、別れた。
二人の姿が見えなくなると、アンドリューは再び馬に乗り、リディの腕を引っ張って後ろに乗せてやった。
「良かったな。」
「え?」
「あの二人が良い人で。」
「アンドリューは、甘いよ。」
思いがけずリディが暗い声を出したため、アンドリューはドキリとした。
「わかんないよ。あの教会だって孤児を集める名目で一人ずつ別ルートで売っぱらってるかもしれないし。そうさ、人身売買目的で教会を隠れ蓑にしてるのかもしれないもん。」
「怖いこと言うなよ。」
「・・・怖い目に遭ったんだ。疑いたくもなるよ。」
そうだ。
いくら助けたとはいえ、一番の被害者はリディ達3人の少年だった。
教会へ預けた二人に、不安はなかっただろうか。
二人が承知したというから、それ以上疑いもしなかった。
リディがアンドリューと一緒に街へ戻ると言い張ったのも、本当は得体の知れない教会に残されるのを怖れたからかもしれない。
「ならばリディ、俺のことも信じてはいけないんじゃないか?」
「・・・」
「リディ?」
後ろを見ると、リディが頬をアンドリューの背中にくっつけて眠りにおちていた。
(俺のことは、信じてしまっているのか。)
静かに馬のわき腹を蹴って、アンドリューは出発した。
リディは二晩、ろくに眠れなかったのだ。
今、アンドリューと二人きりになって、やっと安心したのだろう。
リディと出会ってまだ1週間もたたないのに、こんな体験をしたためか、ずっと昔からの知り合いのような気がする。だが、色々聞いた割にはリディが何者なのか、かえって謎が深まった。
アンドリューは、せっかく眠りに陥ったリディを起こさぬよう、ゆっくりと馬を進めた。
リディが目を覚ますまで、しばらくはこのままで行こうと思う。
ヴェルデに到着するのは、夜中になってしまうかもしれない。
だが、それはそれでいいだろう。
独りで行くより、今は二人の方が心地よい気がするから。