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第67話:フィリシアの7日間

 フィリシアの生活は、何ともストイックだった。

 朝の祈りの後は書物を読み、食事をしたらまた祈りを捧げ、そして午後は書き物をし、食事をしたらまた祈り、読書をして、夜の帳が降りれば間もなく眠りにつく。無駄なランプの灯りを使わない生活が身に染みているようだ。

 レオンは隣の部屋から小さな穴を覗くことで、フィリシアに知られず監視ができる。

 3日間見張りを続けて、レオンはその規則正しさに舌を巻いた。起床も就寝も毎日同じ時刻。捕らわれの身であるばかりではない。いつ偽物と見破られ殺されるかわからない状況で、同じリズムを刻んで生活できるなんて、相当心臓が強いとしか思えない。

 「大したものですね。」

 食事の済んだ皿を受け取りながら、レオンはそう声をかけた。

「生活のリズムを崩さない冷静さ。捕らわれの身とは思えません。」

 その答えの代わりに、フィリシアは数冊の本を鉄格子から差し出した。

「これは?」

「あなたの来る前に、私に色々説明して下さった方から貸していただいたのです。」

 レオンは、怪訝な顔つきでフィリシアを見た。

「それは、誰のことです?」

「私がここに来たばかりの時に、退屈しのぎに欲しいものがないかとお尋ねになった方です。その後、年配の方が本を運んでくださいましたが、それきりお会いしていません。」

 マリティムは、何も言っていなかった。

 事態が呑みこめていないレオンに、フィリシアはかまわず言った。

「どうか、その方を探してお返しください。それから、感想は本に挿んであるとも伝えてください。」

「感想?」

「ええ。」

 腑に落ちない心持のまま、レオンはとりあえずマリティムの下へ向かった。

 マリティムは、本を貸したのは自分であり、レオンが戻るまで食事や本を運ぶ役目を爺やに頼んでいたことを打ち明けた。

「爺やは信じる信じないという以前に、24時間監視する体力はないのでな。あれきりだ。」

 マリティムはそう言うと、分厚い本に挿まれていた数枚の紙を手に取った。初めのうちは足を組んで眺めていたが、少し経つと顎に手をあてて、真剣な眼差しで読み始めた。

 5分ほど経った頃、マリティムは紙をレオンに渡した。

「読んでみろ。」

「・・・本の感想文ですか。」

「それは感想文ではない。立派な小論文だ。」

「小論文?」

 レオンは驚いて紙を見た。

 小さな文字が、紙の隅々までびっしりと埋められている。

「レオンも大学で学んだのならわかるだろう?大したものだ。今のプラテアードには大学どころか学校さえまともにないものを、よくここまで勉学に励んだものだ。流石は独立運動の王に育てられた・・・というところか。」

 レオンの方が、その文章の出来栄えに驚いていたかもしれない。大学で主席だったレオンの卒業論文に勝るとも劣らない、論理的かつ説得力のある文章。もし彼女が本物のアドルフォの娘だったなら、納得できなくもない。だが、あれは間違いなく偽物だ。

(彼女は、一体何者なのだ?)

 レオンが色々考え込んでいる間に、マリティムは別の哲学書に挿まれていた文章に目を通した。幾つか読むうちに、マリティムの口端に皮肉めいた笑みがこぼれた。

「・・・ただのお姫様ではないようだな。」

 マリティムは、自分の書棚から分厚い本ばかりを選び、机の上に無造作に積み重ねていった。

「レオン、すぐにこれだけの本を王女のところへ運んでくれ。」

「こんなにですか。」

「王女は、『感想文』に引っかけて私を挑発してきたのだ。」

「挑発?」

「面白いではないか。私は、その挑発にのることにした。」

 マリティムはそう言うと、挑戦的な光を瞳に宿した。

「王女に伝えろ。今日から7日の間にこれらの本すべてに目を通し、それぞれに小論文を添えて返却するように、と。」

 レオンは、驚いて声をあげた。

「これだけの量、しかも思想だけでなく政治や経済、歴史まで知識がなければ読みこなせない書物ばかりではありませんか。」

「当り前だ。何せ、交換条件は食料なのだからな。」

「食料?」

「プラテアードが今、最も欲しているものだ。ジェードは統治する側として何をすべきか・・・とか何とか説いてきた。私に意見するなど百年早いと思い知るがいい。」

 できるはずがない、とマリティムは決めつけているようだ。

「あの王女なら、やり遂げるかもしれません。」

「そうかな。小論文は書けばいいというものではない。一つ一つが私を唸らせる出来ばえでなければ。その判断をするのは、私だ。私がNoと言えば、それで賭けはおしまいなのだから。」

 ―――それは、賭けではなく出来レースなのでは―――と思ったが、レオンはそれを口にできない。

 とにかく、指5本分の厚さはあるような書物を20冊、レオンは2回に分けてフィリシアに届けた。そして、マリティムの伝言をそのまま口にした。

 フィリシアは机に積まれた本を前に少しの間言葉を失ったが、すぐに顔をあげた。

 本を貸してくれた男が国王であったことにも驚いたが、それは口にせず、鉄格子の向こうのレオンをまっすぐに見つめた。

「私がやり遂げれば、本当に、プラテアードに向こう三カ月の食料を援助してくださるのですね。」

「陛下は、そうおっしゃいました。しかし、可能性は限りなくゼロに近いと思いますよ。」

「出来栄えを判断するのは国王ご自身ですものね。でも、やらなければ可能性は本当にゼロになってしまいます。砂粒一つの可能性でもあるのなら、私はやるしかないでしょう。」

 フィリシアは、時間が惜しいというように、早速机に向かった。

 一番分厚い本を手に取り、フィリシアは自分に言い聞かせるように呟いた。

「国民の命と引き換えにしては、容易い条件だわ。」

 そのセリフを聞いた時、レオンの腕に鳥肌が立った。


 ここにいるのは、本当に偽物の王女なのか?

 

 リディがプラテアードの首長だというのは間違いないとしても、王女だというのは嘘で、本物の王女は確かにここに連れて来られた女性なのではないか。いや、リディが王女だとしても、もう一人、別の王女が存在するのではないか。

 レオンが息を詰めて見つめる以上に、フィリシアの根の詰め方は尋常でなかった。

 フィリシアの中で、何かが吹っ切れ、何かが目覚めていた。

 どうせ、いつかは偽物だとばれる。その時まで偽物だとばれないようにすることが使命。そのためには、ただ口を噤んでいればいいと思っていたが、それだけで誤魔化しきれないと悟った。本物のアドルフォの娘だったらどうするか、本物の王女ならどうするか、それを考えて行動することが必要だと覚悟を決めたのである。


 1日、2日、3日・・・。


 日が昇り落ちることを忘れたかのように、フィリシアはずっと机に向かい続けた。

 これほどの集中力を、レオンは見たことが無かった。

 食事の声をかけることさえ、憚られる。

 レオンが眠っても、フィリシアが眠った様子はなかった。

 時々、微睡んではいるようだ。が、その間さえ悔やむように再び眼を見開く。

 日に日に顔色が悪くなり、眼も落ち窪んでいくのに、その雰囲気は増々王女の風格を纏っていく。

 それは、不思議な感覚でさえあった。

 はじめから偽物だと知らなければ、レオンは間違いなく、王女と疑わなかっただろう。


 そして、約束の7日目。

 フィリシアは、鉄格子の向こうのレオンに問いかけた。

「時間の約束はありますか。7日間というのは、今日の24時までなのか、それともきっかり168時間、明日の午前11時をさすのか。」

「あぁ・・、そこまでは聞いていませんでした。」

「そうですか。では、24時を目指します。」

「聞いてきましょうか?」

「いえ。そんなことをしては、余裕がないように取られそうですから。」

 実際、余裕などないはずだ。だが、それを見せないようにしたい、というプライドなのか。

 レオンは、食後の皿を下げるため階下へ降りると、塔の入り口の見張りに手紙を渡した。

「皿を厨房に届けるより先に、これを陛下に。」


 手紙を受け取ったマリティムは、素早く内容を確認すると立ち上がった。

「どちらへ、陛下?」

 同じ部屋にいたフィリグラーナに声をかけられたマリティムは、「煩わしい」思いを隠すことなく言葉にした。

「どこへ行こうと、私の勝手だ。」

「妻として、夫の行き先を尋ねてはいけないとおっしゃるのですか。」

「・・・そなたは出産の日まで、自分の身体だけ心配していればよい。」

「できることなら、そうしたいところです。でも、無理ですわ。侍女達は色々な情報を、私に伝えてくれるのですから。」

 マリティムは、大げさに溜息をついた。

「だから女という生き物は信じられん。」

「塔の中の王女に、会わせてください。」

「・・・何?」

 フィリグラーナは、マリティムの正面に回り込んだ。

「会ってみたいのです。」

「駄目だ。」

「本物かどうか確証が持てないと聞きましたわ。でも私なら、わかります。」

「なぜ、そなたならわかるのだ?」

 エンバハダハウスを訪ねた時、会っているから。

 だが、その答えを言ってしまうと、城を抜けだしてエンバハダハウスへ行った理由を問われ、アンドリューと面識があったことまで話さねばならなくなる。誤魔化し程度の嘘では、見抜かれるのは時間の問題だ。

 フィリグラーナは、口ごもった。

「それは・・・王女である者同士ですから・・。」

「下らん。絶対に、会わせるわけにはいかぬ。プリメールとプラテアードが結託して詰まらぬ画策をしないとも限らんからな。」

 マリティムはそう言うと、再び歩き出した。

 その背中に向かって、フィリグラーナは叫んだ。

「王女は偽物かもしれないのに、なぜ陛下が直接お会いになる必要があるのです?」

 マリティムは振り向きもせず、返事をした。

「私がいつ、塔へ行くと言った?」

「私に言えない行き先など、一つしかないではありませんか。それぐらい、私でもわかります。」

「・・・。」

 マリティムは何も言わず、部屋を出て行った。

 もはや、フィリグラーナには成す術がなかった。

 身重でなければ走って尾行できるが、今はどうしようもない。頼みのジェリオは、まだプラテアードから戻っていない。

 フィリグラーナの心の片隅で、女の直感がざわめいていた。

 言い知れぬ不安は、気のせいだけではないと思う。

 そうでなくても、お腹の子の額に紋章が浮かぶかどうか考えるだけで気が狂いそうだというのに。

 フィリグラーナは、その場に崩れ込んだ。

 いっそ、産まれてこない方がいいのではないだろうか。

 3人目も紋章が無い子ならば、マリティムは今度こそ別の女に目を向けるだろう。

 プリメール国との争いを避けるため、離縁はしないかもしれないが。

 自分の目の前で、マリティムが他の女に手を出すなんて、フィリグラーナには耐えられなかった。マリティムを愛しているからというのではなく、王妃として、女としてのプライドが許さない。

(私は、そんな女が出てきたら、殺してしまうかもしれない。)

 そう思うだけで、フィリグラーナは自分が怖くなる。

 今までも何度か想像してきたが、こんなにも現実味を帯びて焦燥をかきたてるようなことはなかった。

 フィリグラーナを不安にさせるのは、塔の中の王女。

 本物かどうかは問題ではない。

 「王女」かもしれないプラテアードの女が近くに存在するという事実。それが問題なのだ。

 侍女達の下世話な噂。

 マリティムが、時折塔を訪れているという話。

 マリティムが、何やら王女の事で動いているという話。

 フィリグラーナは、なぜ自分ばかりこんなに苦しまなければならないのかという、悲痛な疑問の答えを探していた。「塔の中の王女」は、その答えに打ってつけだった。

 フィリグラーナの怒りの矛先は、こうしてフィリシアに向かっていくのである。


 マリティムは、塔の最上階へ上った。

 鉄格子越しに部屋を見張るレオンは、マリティムの足音を聞きつけ、すぐに跪いた。

「わざわざ足をお運びいただき、申し訳ありません。」

「いずれにせよ、一度は来るつもりだった。」

 マリティムはそう言うと、部屋の中を覗いた。

 中では、フィリシアが外の様子になど目もくれず、一心にペンを走らせている。

「・・・終わる見込みはあるのか。」

「それは、わかりません。」

「王女は、どれくらい眠っている?」

「私が見ている限りでは、まったく寝ていません。時折、微睡んではいましたが。」

「そうか。・・・期限は今宵24時。その時、また来る。」

「私が受け取り、陛下の下へお届けしますが。」

「時間の厳守を確認するためには、私が来るより他あるまい。」

 マリティムは、部屋の中を凝視したまましばらく黙っていたが、去り際にレオンに言った。

「ホットミルクにブランデーとたっぷりの蜂蜜を溶かして差し入れてやれ。」

「・・・はっ。」

 マリティムは、決して冷酷非情な男ではない。しかし、少なくとも「異国」の「女」に気遣いを示したことなど、今まで無かったことだった。


 約束の時刻が近づいた。

 5分前から扉の前で待機していたレオンとマリティムは、息を詰めてフィリシアの様子を窺っていた。

 細く儚げなフィリシアの身体は、高く積み上げられた本に埋もれてしまいそうだ。

 一分前にフィリシアは書くことをやめたが、何時間ペンを握っていたのかわからない指は、強張ってペンから放れない。仕方なく、利き手と逆の左手で、不器用に紙を折り畳み、本の間に挿んだ。そして、やはり強張った腰を持ち上げ、最後の力を振り絞るように一冊の本を掴むと、扉へと歩み寄ってきた。

 鉄格子の間から本を差し出すと、フィリシアは擦れた声で言った。

「これで、すべて・・・」

 レオンが本を受け取ったのと同時に、フィリシアはその場に倒れた。

 マリティムが鍵を開け、部屋の中に入って様子を窺うと、フィリシアは、深い眠りに落ちていた。

 人は、睡眠不足で死ぬことはないと聞いている。それは、睡眠だけは身体が絶対的に要求するものであり、限界を越えれば身体が勝手に眠りに入るからだ。

 マリティムは細く柔らかいフィリシアの身体をそっと抱き上げると、ベッドまで運んだ。そして、レオンに命じた。

「暖炉に火を入れ、湯とブランデーを用意してくれ。これだけの本を運ぶのは面倒だ。今夜は私がここで、すべての論文に目を通す。」

 レオンは一瞬、耳を疑った。

「陛下が、このような部屋でお過ごしになるのですか?」

「そうだ。今夜は私が王女を見張る。レオンも疲れているだろう。今晩くらいはゆっくり休むがよい。」

「しかし、陛下の身に何かあったら・・・。」

「私の経験からすれば、王女は丸一日は目覚めない。万一目覚め、私に牙を向けたとしても、私は銃もサーベルも持っている。案ずることはない。」

 赤々と燃える暖炉の脇に安楽椅子を置き、マリティムは早速、紺色の表紙に挿まれた小論文を読み始めた。瞬く間に集中したためか、レオンが部屋を出た事に気づく様子もなかった。

 自室に戻ったレオンは、天井を仰ぎながら思った。

 結果がどう出るかはともかく、これがもし本物のリディだったら、どうなっていただろう。果たして、この偽物の王女と同じだけの事を成し遂げられただろうか。

(もしかすると、彼女は本物以上の働きをしているのかもしれない。これだけの優秀な人材を、プラテアードはよく見つけたものだ。いや、人知れず養成していたのか。)

 フィリシアの監視でほとんど眠っていなかったレオンも、ほどなく深い眠りについた。

 久々の夢は、なぜか優しい香りがした。

 それは、マリティムに言われてフィリシアに差し入れた、ホットミルクの香り。

 それを口に含んだフィリシアの綻んだ口元が、レオンの脳裏に浮かんで、消えた。


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